真夜中に会いましょう
むいみちゃん
第1話 再会
私にとって真夜中は静寂ではなかった。
――あ、そぼ
あぁ、今日も聞こえてくる。”声”が。
いろんな”声”を聞きたくなくて寝るときに付け始めた耳栓。全く意味をなさないことはもう分かり切っているのにやめられない。
ヘッドボードの上で淡く光る時計に目をやれば時刻は夜中の3時47分。ついついため息が漏れだす。あぁ、どうせもう眠れない。
部屋の電気は付けず、時計の横にあるお気に入りのスタンドライトの光だけを付ける。そうすると少し気持ちが安らぐような気がするのだ。
そして同じくヘッドボードに寝る前に置いた保温性が高いボトルに入れた緑茶を持ちベランダに出た。両親が家賃を出してくれている大学生の私には少々豪勢すぎるこの部屋のベランダからは眠らない街が見えるのだ。そしてたくさんの”声”も聞こえてくる。
「今日も、元気だなぁ」
”辛い……”
”どうして?”
”あぁ、幸せだなぁ”
聞こえてくる声はすべてこの世での生を終えた人達のものだ。
死んでしまったことを悔いる声、生にしがみつく声、生きるものを見守る声。耳をふさぎたくなるような汚い声から、幸せの声まですべて私には聞こえてくる。
「……今日もうるさいな」
「何か聞こえる?」
「え?」
私の独り言のはずだった。その声に返事が返ってくるなんて思ってもいなかったから、ついつい気の抜けた変な声が出てしまった。
声の聞こえた方向を見れば、隣の部屋のベランダから一人の男性がのぞいていた。その手には今火をつけたばかりの煙草。
「あ、ごめん。俺には何も聞こえないから気になってさ」
「いえ、すみません。うるさかったですよね。気にしないでください」
少し長く、真っ黒な前髪から少しだけのぞく瞳にドキリとさせられた。恋的な意味ではなく。独り言を言ってしまっているところを見られてなんとなく気まずい。
「いやいや、違うから。ごめんごめん、だからもちょい話そ?ね?ひよちゃん」
「え、何で名前……」
一層怪しくなってきたこの男に最近感じることがなくなっていた恐怖を感じる。慌ててベランダから部屋に戻ろうとすると彼はさらに慌てた。
「ちょ、待って!俺のこと分からない?」
ベランダからこちらの部屋のベランダに身を乗り出すようにして自分の顔を指さす彼。
「この綺麗な顔面を忘れるってなかなかじゃない?」
「あ……」
このナルシストな言葉で昔の記憶が呼び起こされた。私の反応で思い出したのが分かったのか、彼は煙草を一度吸い込んで少しだけほほ笑んで見せた。
「夜中にこんな綺麗な顔独占できる君は特別幸せだね」
「……、霧島さん、相変わらずですね」
そう彼の名前を呼べば満足そうにその綺麗な顔面の上に微笑みを浮かべた。
「相変わらずイケメンですね、って?」
「そういうところ、本当に変わってないんですね」
そうだった、彼は昔からこうだった。
「人間、そうそう簡単に変わらないよ」
「そうですね」
あきれたような声色になってしまったのは勘弁してほしい。
彼、霧島廉はこういう人だ。私の記憶の中の彼と今目の前にいる彼はその綺麗な二重の目も、漆黒と言ってもいい程の黒髪も、そして自らのことをイケメンだと宣うその性格も、全く変わっていなかった。少し、髪が伸び、そして心なしか大人っぽくなっているような、気がする程度の変化。同じ時間軸を生きていないかのような。
「本当に久しぶりだね、翔平は元気?」
「……さぁ?」
翔平、と軽く友達の名前を呼ぶ彼。その彼は私の兄だ。そして私の呪いの一つだ。
「相変わらず、嫌いなんだねぇ」
まるでおもちゃを見つけたみたいに楽しそうににやりと笑った表情にヒヤっとする。
あぁ、捕まった。
「嫌い、ではないですよ。苦手なだけです」
「あいつは君のことが妹として大好きなのにね」
私の言葉にかぶせるように悔い気味に言葉をかぶせてくる。多分この人は遊んでいる。私で。
「気づいてますよね」
私は詳しいことは言わなかった。でも、彼は私の言わなかったことまできっと気づいて、その上で楽しんでいる。彼に主導権を取られまいと、冷静になろうとするが、そう思っている時点でもう握られてしまっていることになんとなく気づいている。
「ん?なんのこと?」
楽しそうだ。本当に。そして本当に腹が立つ。
「顔面は良くても性格は最悪ですね」
「やっぱひよちゃんから見ても俺の顔はかっこいいんだね、ありがとう。ま、言われ慣れてるけどね」
「都合のいいところしか聞いてない……」
「ん?」
「もういいです」
この人の相手など真剣にするだけ無駄だ。いつの間にか空は少し明るくなり始めてしまっている。不思議だ。この人と話している間は“声”が聞こえなかった。それに気づいていながら、私はじゃぁねと楽しそうに手を振る霧島さんを無視して部屋に入って、勢いよく窓を閉め、音が聞こえるようにカギを閉めた。
だから私は知らない。霧島廉が楽しそうに街を眺めながら、
「これからよろしくね、日和ちゃん」
そう呟いていたことを。
そしてこの再会が私にとって最悪で、最高のものだったことを。
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