5分でいっぽん:即興小説集

渡貫とゐち

即興短編:お品書き

case1 茶色の世界

 茶色に支配された世界に住みたいと思うかどうか。

 人の肌は茶色で、瞳の色も、壁も、空も、水も茶色。


 茶色だらけというのは、気持ちが悪いが、

 しかしそれも全ての色を知っている俺達だから言えることなのだろう。


 白を知っているから。

 黒を知っているから。


 青を、赤を、緑を、黄色を、知っているから。


 だから世界が茶色だけになれば、違和感は必ず出てくる。


 だったら、慣れればどうってことないのではないか。

 いま、当たり前に見ている色だって、

 ずっと見てきたからこそ違和感なく受け入れていることになる。


 茶色の世界。

 もういちど聞くが、住みたいと思うのか。


「住みたくは、ないだろうなぁ」


 他はどうだか知らないが、もしかしたら――住みたい! というやつはいるかもしれない。

 俺は既に、その一人を知っている。

 変人で茶色だけを愛していると言ってもいいくらいの、茶色バカ。


 茶色過ぎる男。


 どっからどう見ても茶色だ。


「住みたくはないけど、いってみたくはある」


 実際どうなのか。

 さすがにいったことなどなく、体験したことなどないのだから、

 どういう感覚でどういう感情が生まれるのか、知るわけがない。


 想像はできる。けれど、結局は想像だ。


 想像止まりで、それ以上はない。


 一見は百聞になんとか――、

 どれだけ聞いたところでも、やはり一回でも、見ないことにはどうにも言えない。


 分かった振りなんてできる。

 そんなことは世界中の人間がやっていることだ。


 言ってしまえば、嘘を言っているようなもの。

 それは言い過ぎか。だが、それに近いものだ。


 見たい、見てみたい。

 なんの興味もなかった俺でも、こんなに見たいと思っているのだ。

 他のやつらだって見たいだろう?


 すると、トントン、とドアがノックされた。


「入っていいぞ」


「はい!」と声がして、

 俺の部下であり後輩であり親友が、部屋に入ってきた。


「教授が呼んでいますよ」


 教授は俺の先輩だ。だから呼ばれているぞと言われて、嫌だと断れる関係ではない。


 仕方ない、もっともっと、茶色い話をしていたかったが、どうやら時間は少ないようだ。


 テーブルに置いてあったコーヒーを一口、口に含んで、ゴクリと飲みこむ。

 そう言えばだが、このコーヒーも茶色だ。

 どうやら、俺の頭の中は、茶色に埋め尽くされてしまったらしい。

 ここしばらくは、茶色から離れそうにないだろう。


 それもまた、楽しいというものだ。


「なぁ」と俺は後輩に声をかけた。


「なんですか?」と、返事がきたところで、こいつにも聞いてみることにしようか。


「お前は、茶色い世界にいってみたいと思うか?」


「茶色?」

 不思議な顔をする後輩。

「茶色だけで構成された世界ということですか?」


「そういうことだ」

「うーん」

 後輩は少し悩んで、そして笑顔で言った。


「なんだか気持ち悪いので、僕は遠慮しますね!」


 まあ、好みなんてのは、人それぞれか。

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