1×7=「己が己であるために」
「貴女は、遠からず死ぬことになりますわ」
穏やかな微笑みはそのままに────おっとりと告げられた言葉に、あたしは返す言葉を喪った。
目を瞬かせる。何かを言おうとして、何も出て来なくて、間抜けな金魚のように口をぱくつかせるだけで終わってしまう。見返す紅の瞳に揺らぐところは一つも無く、ただ当たり前のことを当たり前に述べただけという風情に、混乱しているあたしの方がこそ間違っているのかもしれない、などと見当外れな考えが脳裏を過った。
「……エーデルシュタット、手前……」
「あら、なぁにその目は。若干端折りはしましたが、事実でしてよ」
髪を一つに括った細面の男性────艫居さんがじとりとレオさんを見やれば、彼女はこともなげにそう答えた。エーデルシュタットとはレオさんの苗字だろうか、などと益体も無いことを考えて、哀れな現実逃避はすぐにまたその耳に心地良い声で引き戻される。柔らかな表情が、心なしか真剣味を帯びた。
「必ず、というわけではありません。でも耳半分で聞いて欲しくなかったから、あえてそういう言い方をしましたの」
驚かせてしまってごめんなさい。そう告げられてしまえば、あたしとしてはひとまず受け容れるしかなかった。
遠からず────死ぬ。それは人間ならば当たり前の営みだ。ただそれは、あくまでも「遠いいつか」の話である。明日、あるいは明後日死神がやってくるなどと聞かされれば、人間はまともに生きてはいかれない。順を追って聞かされていたとしても、最後まで現実感を持てないままに漫然と時を過ごし、ぼんやりとしたまま最期を迎えることだってありうる。ならばと開口一番でその衝撃をぶつけてきた彼女の選択は、ある種賢明とも言えた。
誰しも、「死」が目前にあるかもしれないと思えば、否応なしに向き合うことになるのだから。とにもかくにも、それがたとえ無理矢理口に詰められたものだとしても、呑み下してからでなければ具体的な話には進めない。
「……聞かせて、ください。正直わけがわかんないし、全然納得できてないけど……でも多分、大事なことだから」
彼らの目に、悪意は無かった。人と関わった記憶も無しにそんなこと判断できるのかという反論はもっともだと思うが────それでも、あたしはあたしを助けてくれた人を、疑おうという気にはならなかった。第一、そういうことをやろうと思えば、あたしが寝ている間に好きなだけ煮るなり焼くなりできたはずなのだ。彼らに、見も知らぬあたしの世話を焼くメリットは無い。
惑うばかりだった視線を定めて、ただ真っ直ぐとその紅玉に注ぐ。どうするかなど、話を一通り聞いた後で決めれば良い。その覚悟が伝わったのか、太陽の光のように輝く赤い瞳がとろりと優しさを湛えて頷いた。
「良い目だわ。では、一つ一つ話しましょう……」
────曰く。それは、御伽噺のような、現実の話。
《
《再編》というある災害を境にして、世界の容は歪められてしまった。人間は、それによってもたらされた《星力》という力に、速やかに適応することを求められたのだ。元々有毒な力では無かったようで、人間という種自体が《星力》に適応できるようになるまでに、さほど時間はかからなかった。
人間は《星力》を吸収し、体に巡らせ、放出している。その循環が絶えず行われていれば良いが、問題は「溜め込むばかりで、放出することができない」体質の場合だった。
それがあたし。あたしの体は、常に《星力》を吸収し続けているのだという。しかし、人の体には容量がある。肺が取り込める酸素の量には限りがあるように、《星力》を取り込み溜め込んでおける量にも、当然ながら限界というものがあるのだ。
限界を超えて吸収してしまえば一体────どうなるか。
「水風船に延々と水を注ぎ続けるようなもの。いずれ
あくまで、告げる様は淡々としていた。綺麗な紅で彩られた唇がティーカップに口付け、こくりと嚥下して対面の鮮ちゃんに「美味しいわ」と一つ笑みを零す。鮮ちゃんが軽く頭を下げると、レオさんはティーカップをソーサーに静かに戻し、改めてあたしに向き直った。
「そのペースでいけば、おそらく保つのは一ヶ月ほど。ですが必ず、貴女の体のことを知って、定期的に星力を『抜いて』いた人物がいるはずですわ。でなければ、その身体年齢になるまで生きていられるはずがない」
「まあ、昨日今日……それこそ鮮ちゃんに拾われた時にいきなりそういう体質になった、っていうのは無理があるからぬぇ」
うんうん、と遥さんが相槌を打つ。穏やかな声色がテーブルの上に置かれた茶菓子を一つ摘んで、ひょいと口に投げ入れた。
……仮に、仮にだ。あたしのその体質が、生まれつきのものだったとして。
この体の齢がいくつなのかさえ定かではないとはいえ、それでも十五は下るまい。生まれてからの十五年間、まさか一度もその「限界」を迎えずに生きて来たとは考えにくい。
であるならば、あたしはきっと、「誰か」と生きてきたのだ。ただあたしが全てを忘れてしまっているだけで、あたしを育て、見守り、この体を保たせるために尽力してくれた誰か。それが本当なら、あたしは全ての記憶を取り戻して、「その人」のもとに戻らなければならない。
それが当然で、それが自然だ。だが、なんとなく気が進まないのは……単に、記憶が無いせいだろうか?
「貴女の命を助け、救ったからには、それが安全だと確信できるところまで送り届けるまでが責任というものです。ゆえにわたくしたちは、貴女が記憶を取り戻しその『暫定保護者』の元に帰るまでは、貴女の保護を続ける、という結論に至りました」
たおやかな手が、凛と正した背筋の上、豊かな胸元に添えられる。真っ直ぐな紅玉の瞳に、衒いや翳りは無かった。「できる」からするのであり、「そう」と決めたことは最早あたしの意志を問うてすらいない。
まるで、照らすような自信だ。太陽のように、鮮烈さを伴った視線に少しだけたじろいで、……あたしは、小さく尋ねる。
「……それは、ここにいる全ての人の、総意ですか?」
「ええ。一応この中でのリーダーはわたくしですが、この結論は全員できちんと決を採ったことです。不安があるなら────不安だらけでしょうが、努めて答えます。仰ってくださいまし」
あたしの言葉を待つように、暫し静寂が重たく腰を下ろす。不安。不安というならば、それこそ無数にある。正体の知れぬ己、そして我が身の行く末。しかし何よりも、この人たちが一体何を考えているのか、わからないことの方が気持ち悪かった。
再三ではあるが────彼らに、あたしを助けるメリットは何一つとして無いのだ。少なくとも、あたしの思い浮かぶ中には何一つとして無い。彼らに悪意は無かろう、それは瞳を見ていれば分かる。だけども、悪意が無いからこそ、その思うところがどこにあるのか全く見通すことができなくて、それが「気持ち悪い」のだ。
意を決して、口を開く。面差しは前に、問うならば、直ぐから答えを受け止めねばならぬと考えて。
「何もできないあたしを、どうして、……助けてくれるんですか?」
問うた。彼女たちは、一瞬だけ顔を見合わせる。
さして間を置かず、レオさんが、
「寄る辺無き者を照らすのが、星というものですから」
遥さんが、
「可愛い人の子を導くのが、老いた者の務めだからぬぇ」
鮮ちゃんが、
「『汝、隣る友を助くべし』。……そういう教えだからな」
艫居さんが、
「ここで見捨てるのは、『義』とは言わねえ。それだけだ」
いずれの瞳も、そこに虚実や欺瞞のにおいはなく。
「(ああ────そういう、ことなのか)」
四者四様。その全てを、聞いて理解できたとは言い難いが、少なくとも、納得はいった。彼らはきっと、憐憫や哀れみ、単なる正義感からあたしを助けようとしているのではない。
そうしなければ、己でなくなるからだ。己が己であるために必要な行為として、彼らはあたしを助けようとしている────ありていに言ってしまえば、己の信ずるモノを守り保つという目的のために、あたしを「利用」しようとしているのだ。
動機が見えれば、恐ろしさは無くなる。しかしそれ以上に────自己を喪ったあたしにとって、これほどまでに強烈な「芯」を持った人たちは、ただそれだけで憧れになり得た。「己」などと、言ってしまえば積み重ねに過ぎない。歩んだ軌跡が道となり、それがそのままその人を形成していく。
傍にいれば、彼らの「道」の一端を垣間見ることが叶うかもしれない。そうすればあるいは────と、思ったから。
「……よろしく、お願いします」
頭を下げて、それから面を上げる。向いた視線はいずれも真っ直ぐなもので、彼らはそれぞれの形で表情を和らげた。
これが、あたしが《カルテット》の元に仮住まいすることになった、その最初の日の顛末だった。
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