第3話 霧の街と彼女の居場所(10)

「私はね、昔から人と関わるのが下手だった。

小学校の時はね、五、六人の女の子で休み時間に話しているでしょ。最初は私も話しているんだけど、途中から、自分見られてるんだーって、話をする自分を見るもうひとりの自分が出てくるんだ。それで、なんだか気が散って、上手く話さなきゃならない気がしてきて、気づいたらただ頷いているだけなのね」

「ああ、そういうのか」

 僕は彼女の言葉に曖昧にうなづいたが、そういうのとはどういうのなのか? 実は自分で言っていて、よく分からなかった。女子の中ではありそうだよな、という意味だろうか?

「二人組とかなら大丈夫なんだ。でもみんなと集団で行動する時とか、いっつももう一人の自分が出てきて私の足を引っ張るの。もっと自由に、素直にみんなと話せたらな、って思いながら、いっつもただ笑って頷いているだけ。でも心の中では、『なんでみんな勝手に話進めちゃうんだろう、私の意見をもっと聞いてよね』って思ったり。それでしまいには、みんなが私に意地悪してるように見えちゃうんだ。話を振られたって、そんなこと考えてるから、ちょっと気取ったことしか言えない。私が何か言った後、普段はすぐ次の意見が出てくるのに、一瞬シーンってなるの。ああ、私みんなに距離置かれてるんだーって。それからはもうどんどんみんなから意識が遠のいていって、『もう帰りたい』って思いばっかりになって」

 僕は彼女の言葉が、悲しい気持ちで溢れかえっているのを感じた。彼女のはっきりした口調は、自分で自分をとがめているようにも受け取られた。

「確かに、お前くらいの年ごろは大変だよな。友達付き合いとか、人からどう思われているかとか、プライドとか、一番気にする年頃だもんな。僕も、あんまりはっきり覚えてないけど、そういうの、いろいろ気にして悩んでたと思うよ」

 僕は、自分にもそんな多感な時期があったことを、うすぼんやりと脳裏に浮かべてみた。彼女の口ぶりを聞いている限り、彼女は多感であまりに多くのことを考え過ぎているように感じた。彼女が人見知りで会話下手な原因の一つは、その鋭敏すぎる神経にあるように思われた。

「じゃあ、もう、悩んでないの? 」

「ああ、もう悩まないな」

「じゃあ、大きくなれば、もう孤独じゃなくなるの? 」

 少女は、そういって僕の方をじっと見た。僕は、突然答えに窮した。

「別に、問題が解消されるわけじゃないよ。でも、受験とか、仕事とか、みんな忙しくて悩んでるヒマが無くなる……のかな。あと、人が分かってくれないとか、そういうのに慣れちゃうんだろ。人と自分に考え方とか違うっていうことが、当たり前になるんだよ、きっと」

 僕は、少なくとも人と考え方が違うことを頭で理解できることが大人の条件の一つだと考えていた。きっと、それを受け入れられないままの大人も多いことだと思うのではあるが。

「じゃあ、結局、問題は解決しないんだね」

「向う岸、悩み過ぎだよ」

 僕はそう思った。僕は、彼女の悩みがあまりに繊細すぎるように感じた。そうして、僕たちの生きていく社会ではそんな悩みはほとんど顧みられるものではないと思った。彼女自身が強くなる以外、問題を解決する手段は無いだろう。

 向う岸は、少しの間僕の方を眺めていたが、また口を開いた。

「病院はいいね。私、おにいちゃんも先生も看護師さんも、病院のみんなが好きだな。だってみんな、一人一人ちゃんと私に向き合ってくれるもん。

外ではそんなことなかった。いつもみんなに合わせなきゃって、笑顔をがんばって作ってた」

 彼女の言葉は僕の心の中までチクチクとした痛みを与えた。そうか、彼女の孤独の意味が分かったぞ。僕は彼女の言葉の意味をてんで理解できていなかった。彼女の孤独は、社会で居場所を見つけられない寂しさのことだったんだ。自分の気持ちの持ちようでは無くて、周りの環境から与えられる精神的な苦痛だったんだ。

「私の両親はね、二人ともどっか、私に似ていた。お父さん、サラリーマンしてたけど、すごい真面目な人だった。ひょろひょろっとして、背が高いの。それでちょっとやせ気味で。

いつも心を広くあろう広くあろうって、努力していた。小さな時は優しいお父さんで大好きだったけど、小学六年生ごろから、世間じゃ優しいだけじゃいけないんだって思っうようになった。それで、自分をセーブする癖はきっとお父さん譲りなんだって思い出してから、すごくお父さんに不満を感じた。

会社の人と話すときは、電話越しでもぺこぺこしてる。近所の人と会った時も、自分から何度も頭を下げる癖があるの。そのくせ、会社では同期に追い抜かれて出世できないみたいだし、近所の人にも厄介ごと押し付けられて町内会の雑務やゴミ出し当番を人よりたくさんしているの」

「お母さんは、ちょっと太ってた」

 向う岸のほっそりした体からは想像がつかなかった。

「うん。いっつもにこにこしていて、ご近所の人からも『良い人』って言われてた。熱心に神道を信じてて、よくその話をしてくれたなあ。日本の始まりとか、天照大御神とか、ヤマタノオロチとか。

 お母さんも私と同じ、昔から体が弱くって、小さなころにはよくベッドで寝ていたんだ。それで学校でも友達があんまりできなかったらしくて。それで、神道を熱心に信じていて、神様の教えをすごく大切にしてる人だった。

 でもね、自分がそのせいで世間に上手くなじめないことちゃんと分かってたんだ。私には基本的なことは教えたけど、絶対に神道を習わせようとはしなかった。娘には、自分の頑固なところ、引き継いでほしくなかったみたい」

 結局引き継いじゃったけどね、と言って向う岸は小さく笑った。

「それでね、両親と私の三人で、中学校へ上がる前の春休みに山登りにいったの。立山って、有名な山。そこでね、私たち、季節外れの雪崩に巻き込まれたの」

「ああ、その事件、知ってる。ちょっと前に話題になったよな。あの年は、雪質が例年とちょっと違ってたんだよな。確か、不況のあおりで地方に金が無くて、富山県は追加の対策をしてなかったんだっけ。マスコミに叩かれまくって、ずっとその報道してたな。でも、お前があの時事故に遭ってたなんて……」

 向う岸はちょっとこっちを見て、また夕日に目を向けた。

「私の乗るバスの外からね、ものすごい音がしたの。まるですぐ近くで火山が噴火したみたいな音だった。それで、爆音でバスの中の人たちの叫び声とか、全部かき消されちゃうの。そしたら天井の蛍光灯がぱっと消えて、真っ暗になった瞬間、天井がボーンって吹き飛ぶ様な音がした。それで上から真っ黒で、冷たいものが一杯なだれ込んできた。バスの中がくしゃって変形して、私には何が何だか分からないまま真っ暗になったの。

私、重くて冷たくて動けなくて、体中が痛かった。ずきずきして、自分の身体が変な形になっているんだって、分かった。冷たくて痛くて寂しくて、何度も泣きながらお父さんとお母さんの名前を呼んだ。

それで私、本道の神様にお願いしたの。どうかお願いです。私を助けてください。私は死にたくないんです。どうか助けてください……」

 向う岸は黙ってしまった。彼女の頬がみるみる紅潮していく。瞼がぴくぴくと小さく揺れて、瞳から涙がいっぱいに溢れている。彼女の上の歯が下唇を思いっきり噛んでいた。

「私だけは……助けてください。他の人は死んじゃっても構わない。私だけはどうにか助けてください。私は、まだ死にたくないんです。私、お父さんとお母さんの無事も祈ってあげられなかった。

 よく考えれば当たり前だよね。普段クラスでだって、自分のことしか考えていないから、いちいち小さなことで悩んじゃって、みんなとうまく話せないんだよ。みんなが冷たいんだなんてオオウソ。そうやって言い訳して、私は結局いつも自分のことしか考えられていなかった。私は、ずっとそんな自分が嫌いなだけだったんだ。

 私はしばらくして意識を失っちゃった。

 気が付くと、霧が立ち込めた街に居たんだ。ちょっと湿った霧が街全体を覆っているの。街は、社会科の資料集で見たドイツの街みたいな様子だったな。私は真ん中に噴水のある広場のところに立っていた。そこからいくつも道が延びていて、おしゃれな家がたくさん立っていた。道の向うは、霧でよく見えなかった。家はオレンジ色や肌色の壁をしていて、隣同士がくっ付いている。窓にはたくさん窓があって、木製の格子が掛かっている。窓はみんな、カーテンが掛かっていて、中の見える家は一つもなかった。街には、ほとんど人がいなかった。」

「へえ、なんかおしゃれな街だな。テーマパークあったっけ? 」

 僕がそう聞くと、向う岸は無言で首を横に振った。そして、それ以上僕の質問に答えようとはしなかった。

「最初はね、瓦礫の下から誰かが助け出してくれたのかと思ったの。ああ、私助かったんだ、って思った。

でも私の身体は傷一つついていないから、おかしいとも思った。街には外人さんみたいな恰好した人もいたし、きれいなドレスを纏った女の人もいた。私より小さな女の子が向こうからきて、道の向うに消えて行った。私はその子を見た途端、お父さんとお母さんを探さなきゃいけないと思った。

それで、冷たくて湿気の多い場所だから、きっとまだ山の上にいるんだって分かった。あちこち街を歩いて、あの女の子みたいに声を上げて呼んだ。私がここにいるなら、きっとお父さんとお母さん……パパとママもこの街にいるに違いない。会ったら私たち、山を下りなきゃいけない。おじいちゃんとおばあちゃんに電話して、私たちがよく分からないけど事件に巻き込まれたことちゃんと報告しなくちゃいけない。

でも、どれだけ呼んでもお父さんとお母さんは現れなかった。街中を歩き回って、大声で呼んでもパパもママも現れなかった。それどころか、パパとママを探しているのが私だけじゃ無いみたいだった。私が街中を歩いてお父さんとお母さんを呼んでると、高校の制服を着た男の子や、黄色い帽子を被った小学校の女の子も同じように探しているの。私はどんどん恐くなっていった。お願いします、神さま。私、パパとママにもう一度会えるんなら、もう他に何にもいりません、ってお祈りした。

 そしたらね、路のずっと向うからパパとママが来てくれたの」

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