十八章【特別講義】

 民宿『二葉』では学校単位やツアー客などの宿泊者にものんびりしてもらいたいと一人用の十畳ほどの部屋が数多く用意されている。


 それにどの部屋も隅々まで手入れが行き届いていて、埃ひとつ見当たらない。


 そんな一室で僕たちはテーブルを囲むようにして座っていた。


 朝比奈はぐるっと首を左右に向け確認後、不満そうに眉根を寄せて正面へと向き直る。僕とちょうど目が合うと、


「どうして、汐山くんと夏目さんまでいるんですか?」


 不満そうな声を上げた。


 さっきまでしぼんでいた頰がまたぞろぷくぷくと、ふくれている。


「いや、大勢でする方が楽しいかと思って」


 夏目の顔を確認するが苦笑を返される。


「ん……ん、それじゃあ小説についての講義を始めていきたいと思う」


 咳払いをして気を取り直して講義を始める。


 ちなみに授業時間は昼食までの一時間。昼食を食べ終えたらバスで帰ることになっている。この講義はそれまでの時間潰しみたいなものだ。


 僕は指を一本立てる。


「これからの市場で一番売れるジャンルはなんだと思う」


 そうして、それぞれの顔をじゅんぐりに見回す。


「そんなの、異世界英雄無双ファンタジーだろ? 現に一番売れてるじゃないか」


 あたりまえだと言うように汐山が答える。


「残念ながら間違いだ。現在の市場ではそうなんだけどな……」


 僕は首を振る。


「まあこれは自分の独断と偏見も多少は入ってるんだけど、次はラブコメが流行ると思ってる」


「一周回ってなんでラブコメなわけ?」


 夏目が不思議そうな声を上げ、


「わたしも異世界英雄無双ファンタジーだと思ってました」


 朝比奈が疑問の声を上げる。


「まあ、需要は無くならないと思うけどな」


 僕はがりがりと頭をかく。


 たしかにこれから、多くの異世界英雄ものや俺TUEEE!系がアニメ化を果たすことになる。


 もちろん、インターネットという媒体においてはこれからも異世界ものが上位を占めることになるのだが--


 それを語るにはここまで肥大化してしまった異世界ものについて少し見返す必要があるだろう。

 2017年頃にアニメ化されたネットの小説投稿サイト発の『このすば』と『リゼロ』が放送されて異世界モノの人気に火がついてからネット上の小説投稿サイトにおけるランキングが狂い始めた。

 

 僕は一旦そこで話を区切って周りに視線を向ける。


「朝比奈たちもこの作品は見たことがあるか?」


「はい、見ました。面白かったですよね」


「そうね、異世界系ってそれまで読んだこともなかったけど面白そうだと思ったわ」


「それぞれに違った味があって面白かったよな」


 おおかた想像していた通りの感想が返ってくる。


 だが前提としてそれらの作品が売れたのは普通の異世界英雄無双ものとは異なった魅力があったからだ。


 しかしネットではこれ見よがしに同じような内容の異世界英雄無双ものが大量に生産されネット小説の週間ランキングが全て異世界系で埋まるといった事態になった。


 そうして大量に生産された模倣作品は読者の需要量を超え供給されていき、始めこそ喜んで読んでいた読者も次第に飽き始め、現役の作家連中からも呆れられていく。

 

 そういうこともあって2019年辺りからラブコメ作品が人気を集めてくるんだが……これは少し未来の話だ。


「なるほど、そういうものなのね……」


 夏目が興味深そうにメモを取っている。


「だから市場の調査ってのは作家にとって大事なことなんだよ」


 もちろん市場に合わせて作品を書いたとしても、その中で受け入れられる作品はごくわずかだ。そのことは嫌というほどよく知っている。


「その話なんですが……」


 声の方へ視線を向けると、朝比奈はいそいそと手を胸の前で擦らせるように。こちらを伺うような目を向けている。


「先生はそのことを踏まえてこの小説を書いたんですか?」


 そう言って朝比奈はカバンから僕が書いていた小説の一巻を取り出した。


 いつも持ち歩いてるのかよ……。


 嬉しいが、そんな状況を見ると気恥ずかしくなるな。


「なんだそれ?」


 汐山が訝しげに眉根を寄せて朝比奈に聞いてくる。


「先生が書いてる小説です」


 自分が書いたわけでもないのに堂々と小説を掲げて見せる。


「そういえば、出版してるって言ってたわね。私は読んだことはないけど」


「へー、おもしろいのか?」


「少なくとも、わたしは好きです」


 朝比奈は柔和な笑顔を浮かべると、優しげにそれを見やる。


「心が動かされる、幸せな読書体験でした。きっとわたしのためだけに書かれた物語なのだと思います。わたしに読まれるために、生まれてきてくれた物語、そう思うんです」


 恥ずかしげもなくそうまくし立てる。


 作家はいつも誰かのために作品を書いている。それは過去の自分であったり未来の自分であったり様々だけれど。


 少なくとも僕の作品は彼女に届いてくれていた。誰からも評価されなかった僕の作品を彼女だけが必要としてくれている。それはとても嬉しいことだ。


 朝比奈は細工箱に詰めた大切な宝石を扱うように本の縁を優しくなでる。


 初刊の一冊が売れたか返却された以来、もうしばらく増刷なぞされていないその小説にはめくれ癖がついている。何度も何度も繰り返し読んだのだろう。


 胸が痛んだ。


 小さな黒い塊が、肺腑はいふの底にとぐろを巻き始めている。


「なら、ワタシも読んでみようかな」


 夏目は思い立ったように言葉をこぼす。


「もしよかったら、この本お借ししますよ」


「ありがとう」


 朝比奈から夏目に小説が手渡される。


 それを見て強く、胸が痛み続ける。


 でもそいつは、郷愁だとか感情だとかそういう美しいものではなく。


 うごめく黒い塊の正体は--軽蔑だ。


 朝比奈の未来を自分の都合で世界を上書きして少しでも変えてしまった自分に対する。


 そして、少なくとも朝比奈はこうして蝶に取り憑かれるほどに思い悩んでいる。


「どうかしましたか?」


 翡翠のように磨かれた何の濁りもない瞳が僕を見る。


「……いや、なんでも」


 僕は首を振る。


 だとしたら--これから僕がやるべきことは決まっているはずだ。


 もう過去を変えることはできないけれど、未来に至るまでには不確定な要素が無数に枝分かれしているのだと、未来はそこに至るまでの過程で変えられるのだと明乃さんも言っていた。僕の今の立場からこそできることがあるはずだ。


 それを全力でするだけだ。


 10年後の世界で築き上げてきたボツ原稿の山はまがいなりにも僕の力として蓄えられているはずだから。


 朝比奈が彼方であろうとなかろうと僕は僕の作品を必要としてくれた彼女の力に少しでもなりたいと思った。

 

 そうして特別講義は終了と相成った。

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