十四章【フレッシュマンキャンプ】
三重県、
海に面するリゾート地でもあり。スペイン村などでも有名なこの地に、僕たちはフレッシュマンキャンプで訪れていた。
僕は橋の欄干にもたれて昨日、明乃さんに言われたことを思い出していた。
『私たちの蝶を回収する手伝いをしてくれませんか?』
それが俺が死なずにすむ唯一の方法だとも言っていた。
そんな僕の隣では
「どうしたんです? 難しそうな顔をして……」
美味しそうに饅頭をちぎっていた朝比奈が心配そうに顔を覗かせる。
その朝比奈の近くを回るように一匹の蝶飛んでいる。
夏目もそれに気付いているのか、向かいの欄干に身体をもたれさせながら蝶の様子を伺うように、ときおり朝比奈を見ている。
明乃さんによると。蝶の影響下にいる人が家など一定の場所にとどまり続けてしまうと、その場所にまた別の蝶が引きつけられその人により影響を与えてしまうが、蝶のいる場所からその人が離れるだけでもだいぶ影響を緩和できるらしい。
だからこの状況は僕たちにとってありがたかった。フレッシュマンキャンプのうちに早く朝比奈の抱えている問題を解決して、蝶を彼女から切り離さないと最悪の場合、自分の人生を諦めてしまいかねない。
朝比奈のことは昨日のうちに明乃さんたちに伝えている。
「いや、なんでもない」
考えるのを一旦保留にして俺は首をふって、食べかけの饅頭を示す。
「それ、美味いか? もっと食うか?」
「いいんですか? それでは、いただきます」
そう言うと差し出された饅頭を手にとって一口で口に放り込む。
「ところで……」
朝比奈が思い出したように疑問を口にする。
「先ほどから気になっていたんですけど、千景先生と汐山さんは何を話してるんでしょうか?」
そう言って目配せされた視線の先、道路を挟んで向かい合っている
「なあ、姉貴」
「なに? 弟よ」
互いを流し目で見合ってから2人揃って正面の景色を見る。
「俺たちはなんでこんな山奥なんかに来てるんだ」
「フレッシュマンキャンプの目的地だから……。ちゃんとしおりに書いてあっでしょ?」
先生がやれやれと肩をすくめると、汐山が抗議の声を上げる。
「俺が聞いてるのは伊勢っていったら、有名な海産物とか神社とかあるだろ!? 他の学科の連中は白浜の海とかに行ってんのに、なんで俺たちはこんな山奥にいるんだよ!」
「仕方ないでしょ、大学から金が降りなかったんだから」
そうーー僕たちは伊勢市のリゾート地ではなくそこから北上した山奥のとある民宿に来ていた。
僕たちがいる橋の欄干から少し離れた場所で弟姉がまだ言い争っているのが聞こえてくる。
「私だって行けるなら、海が見えるホテルで泊まりたかったわよ。 景色見ながらビール飲みたかったあ……」
ちょっぴり涙目で大の大人が子どもみたいに駄々をこねながら指差した道路沿いには『二葉』と書かれた一軒の民宿がある。
民宿、二葉。この近くの渓流沿から取れる新鮮な鮎やワラビやたらの芽などの山菜を基軸とした郷土料理が味わえる宿で、一泊二日で僕たちがお世話になる宿だ。
「だけどここの女将と文芸学科の学科長が知り合いで割引価格で泊まらせてくれるって言うから、文芸学科はここでフレッシュマンキャンプすることになってんの。まったく、こっちも羽を伸ばして休みたいってのにさ」
先生はまたぞろやれやれと肩をすくめる。死んだ魚みたいな目をしていた。
すると、急にうがぁーっと拳を振り上げると、
「あーーーっ、もうやってらんない。これから班ごとに分かれて自由時間だから、アンタ達も自由にしていいから。私も自由に宿に帰ってお酒でも飲んどくから」
そう言い終わらないうちに民宿の方にとっとと歩いて行ってしまう。
俺たちはただその後ろ姿を見送った。
職務中に飲酒ってどうなんだか……。
「これから自由時間らしいぞ」
先生の姿が見えなくなってから僕は向かいの欄干に腰掛けている夏目に声をかけた。
このアザレア橋という名の真っ赤な橋の下には、春にはまだまだ冷たい川が流れている。そこから立ち昇る風に煽られて、橋の上で夏目の黒の髪がゆるやかに流れていく。
大和撫子がひっそりと散歩しているところを一枚絵に描いたような、叙情的な風景だった。そんな姿におもわず見惚れてしまった。
「どこを見てるの?」
その絵のなかの主が、怪訝そうに眉を持ち上げた。
「いや、これから自由時間らしいんだけど、どこか行きたいところとかあるのかなって」
見惚れていたことを気付かせまいとつとめて取り繕う。同じ欄干にもたれて時間を確認した。
「午後一時か……」
空を見上げれば、トンビが
僕は長い息を吐き出して、頭上にかざしたスマホでその軌跡を隠す。
伊勢に来て、早くも一時間が経過しようとしていた。伊勢に来る前に渋滞していたこともあり、予定時刻よりも一時間遅い到着となってしまったが……。
「いい天気になってよかったですね」
となりにやって来た朝比奈が同じように空を見上げる。
「そういえば彼岸くん、フレッシュマンキャンプの課題の添削を行うことになったのよね」
「わたしも聞きました。頑張らなくちゃです」
「でも、同年代に作品を見られるってなんだか恥ずかしい気持ちもするよな」
「そうですよね」
気付けば何の違和感もなしに汐山が会話に参加している辺り、リア充じみたコミュ力を感じる。
今回のフレッシュマンキャンプでは生徒間同士の顔合わせや先輩数人を交えた大学生活におけるオリエンテーションが実施される。
フレッシュマンキャンプが終わり次第、課題という名目で学生の実力がどれほどなのかを測るために作品を執筆させられる。その結果によってこれからの授業方針などを決めていくらしい。
優秀者の作品はプリントアウトされたのちに配られみんなが目を通す。おそらくは競争心を高めるためだろう。
「先生は作品、書かないんですか?」
朝比奈が不思議そうに首を傾げる。
「まあ、出来レースってのもあるし。なにより別の作品を書かないといけないからな」
小説を書いていると起こることだが、作品の合間に別の作品、長編であれ短編であれ同時に二つ以上の作品を書いてしまうと、物語とキャラクターが混合して混乱してくることがよくある。そのためにプロットなどといった方向性を見失わないようにするためのものを用意しておくのだが、二つ同時進行で作品を書くのは締め切りに追われまくるので速筆でない限りオススメはしない。
それに、原稿の改稿をくらったばかりだしな……。
このフレッシュマンキャンプで何かをつかめればいいんだけどな。
視線を上げると欄干に身体をもたれさせながら朝比奈がスマホを弄っている。
「なにを見てるんだ?」
「ここの近くにある有名な場所を探してるんですよ」
言いながらも指は忙しなく画面の上を行ったり来たりしている。
しばらくそれを眺めていると、指がぴたりと止まった。
画面をこちらに見せびらかすように顔に近づけてくる。
「近くに、
「鷲嶺? 聞いたことないな」
二人揃って首を傾げる。
「鷲嶺って名前の鍾乳洞がたしかこの近くにあったはずよ」
「知ってるのか?」
「秘境として観光ブックなんかにも載ってたりするし、そこから湧き出してる水を宮本武蔵が飲んだ幻の水として売り出してるみたい。鍾乳洞の中にも入れるみたい」
近くに有名な観光名所があるからといっても色々と気苦労が多いのだろう。有名な場所にだけ観光客が集まっても意味がない。ましてやこんな山奥では口コミも広がりにくいだろう。だから外人が好きそうな歴史的つながりと絡めているのだろう。その経営努力わからんでもない。
「いや、わからなさすぎるんだけど……」
夏目に呆れられたような目を向けられるが気にしない。
「とにかくそこに行ってみるか」
こんなところだと他に行くあてもなさそうだしな。さっさと行って早く宿に戻ろう。
だが、そんな思いは早速打ち砕かれることになるのだった。
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