二章【さっそく人生終了のお知らせ】

 目を覚ますと知らない天井があった。


「うーん……」


 凝り固まった身体をほぐすために大きく伸びをする。


 変な体勢で寝ていたためか身体のあちこちが痛い。


「そういえば、引っ越してきたんだっけ……」


 目を擦りながら周りを確認すると、もうすでに日は沈み始めていた。


「とりあえず眠気覚ましに風呂でも入るか」


 1階まで降りていくと、リビングの電気が付いていることに気が付いた。


 眠っている間に誰か帰ってきたのだろうか? 大家さんか? それとも別の住人だろうか? 


 まあ、どちらにしろ寝起きのだらしない格好を見せるわけにもいかないので足早に洗面所へと向かう。


 すると、大家さんがすでに焚いていたくれたのかお湯が張られているようだった。


 風呂から上がったら新たに挨拶でもしておこう。そう思い洗面所の扉を開けると--


 そこには天国が広がっていた。


 表現するならエロゲのイベントスチルでよく見るそんな光景だ。


 状況:主人公の目の前で椅子に座りソックスに手をかけている。


 服装:下着姿でショーツにはレースやリボンが付いており大人っぽい。


 まあそんな光景だ。エロゲならばヒロインが恥ずかしがったり、怒ったり、男ならば1度はそんな光景を夢見て、桃源郷と呼ぶのかもしれない。


 だが、僕の目の前にいる女の子は一切そんな姿は見せず、


「……は?」


 叫ぶでもなく、ひっぱたくでもなく、軽蔑の眼差しを浮かべていた。


「…………」


 下着姿のそれも、けっこう美人な女の子が蔑み、冷たく見下ろしている。


(うーん、これはこれで……)


 新たな自分の可能性を感じてしまう。いや、現実逃避は終わりにしよう。


 とはいえ……マズい。これは非常にマズい。


 相手からすれば見ず知らずの男性に突然、下着姿を見られたという状況だ。警察を呼ばれても文句は言えない。


「お……」


 だから開き直る勇気もない僕は、覚悟を決めて--


「おやすみなさい」


 現実逃避を再開した。


 これは夢だ。ありえない……これは夢……夢。どうか夢であってほしい。まだ夢を見ているのだ。夢とはいえ、目の前の光景は大変素晴らしいものだった。


 だが大学にこんなことが知られたら入学初日に退学なんてことにもなりかねない。


 だからこの現実は夢なのだ。目が覚めると、俺はまた10年後の世界に戻っている。


 --なんてことはなかった。


「おい」


 またすぐに風呂場の扉が開かれる。


 そこにいるのはやはりさっきの女の子。とはいえ、さすがに下着姿ではないが。


 改めて見るとその容姿には目を引くものがある。


 整った鼻筋に長い睫毛に縁取られた気の強そうな瞳。肩まで流れる艶のあるロングヘア(風呂上がりのせいか頭のてっぺんで団子にまとめられている)。


 可愛いより美人といった言葉の方が似合う印象だろうか。


 そんな女の子が目だけは全く笑っていない笑顔を向けてくる。


「おはよう」


「……おはようございます」


「随分と大胆な覗きもいたものね」


「いえ、決して覗いていた訳では……」


「は?」


「はい……すみません」


 頭を下げて全面降伏だ。もやはいい逃れはできない。


 太いものには巻かれて生きて行くのが大人というものだ。


「いい夢は見れた?」


「そう、ですね。思わず天国なのかと思うほど、素晴らしい光景でした……」


「……そう」


 女の子は満足そうに肯くと、いっそう侮蔑するようにこっちを見下げて、


「なら次は、本物の天国を見せてあげる」


「いやいや、待て! 待ってくれ! これは事故なんだ!」


「わざわざこの家に忍び込んでおいて?」


「先客がいるなんて知らなかったんだよ」


「はっ……白々しい」


 そう言って鼻で笑うと、


「ドン・ドン・ドン・鈍器〜」


 リズミカルに歌を口ずさみながら鈍器を探し始めだす。大手ディスカウントストアの歌ってそんな物騒だったかしらん?


「お願いだから落ち着いてくれっ! なんでもするから!」


「じゃあーー記憶だけを差し出すか、いっそその首ごと差し出すか……どっち?」


「いや、選べねえよ!」


 僕は首をふる。


 どちらを選んでも待っているのは死だ。


「ふーん……」


 女の子は顎に手を当てて少し考えた素振りをする。


 そうして「なら選択肢はないわね」とつぶやくと、再び鈍器を探し始める。


 もう選択肢ないのかよ……。


 とにかく状況をなんとかしなければ。


 せっかくつかみ取った過去なのだ。こんなとこでゲームオーバーにはなりたくない。堀の向こうで生活なんてごめんこうむりたい。


 だから必死に言葉を探してーー


「いや、待ってくれ! そういえば彼岸 唯人ひがん ゆいとって名前に心当たりはないか? ここで暮らすことになってるはずなんだが」


 その言葉に女の子の鈍器を探していた手が止まる。


「ひがん、ゆいと?」


 そして反復するようにその言葉を繰り返した。

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