一章【新生活】

 衝撃の出来事から2年後。僕は大阪府の南の果て、南河内郡のさらに果ての地に立っていた。


 目の前にはコンクリート造りの巨大な建物がある。


大堀おおほり芸術大学--」


 建物の一番上に書かれている文字を読み上げる。


 そして、ポケットに入れてある学生証と見比べる。


「--文芸学科、彼岸唯人ひがんゆいと


 どうやら間違いではないらしい。


 僕は大芸の学生として、2018年の4月に、この場所に立っていた。


 信じられなかった。だってタイムスリップなんて起こるはずがない。もしそんなファンタジーじみた現象があったとしても、なんで僕が?


 だから、たとえ2016年のカレンダーを見せつけられようが、数世代前の機能が退化しまくっているアイフンにドン引きさせられようが、妹が服装だけじゃなく容姿まで中学生になっていようが、何かの間違いで壮大なドッキリだと疑っていた。


 でも。


 洗面所で自分の姿を見て、いよいよ信じる他はなくなった。


「自分まで若返ってるとなるとなあ」


 と、まあ。


 どういうわけか、10年前の世界に来てしまっていたのである。


 衝撃がやわらいだあと、当時高校二年生だった僕は学校に行かないわけにもいかず、なんとか残りの高校生活を無事に送ることができた。


 そんな中、生活も安定し出した高校二年の夏頃、僕は大手出版社NF文庫の新人賞に1つの作品を応募した。


 10年後の世界で僕が読み漁っていた作品からアイデアを切り離して温め直して煮込む。まるでバラバラの布を使って色艶やかな衣を作るように。ほつれが生じないように注意しながら散らばった繊維を1つ1つ縫い合わせてそれらを1つの作品に落とし込んだ。


 今になって思うと前の自分、正確には時間が巻戻る前の10年後の自分の小説家になれなかった後悔から来る衝動だったように思う。


 そしてNF文庫新人賞で佳作を獲得して高校三年の夏に念願の作家デビューを果たした。 


 まさか、僕が? と自分の目を疑ったものだが、あれよあれよという間に新人賞授賞式にも参加してやっと自分が本当に作家としてデビューできたのだという実感がわいてきた。


 10年後とは何もかもが違う。自分が望んでいたものを手に入れたのだ。


『ここからもう一度やり直そう』そう思った。


 大学に進学するかどうかは迷ったが、担当編集に一度しか体験できない大学生活というのを体験するのも創作のためになるからと勧められたのと、それに10年後の世界で憧れていた彼女たちと同じ大学で一緒にひとつの作品を作ってみたいそう思った。


 そして、合否が届いてから数日が経過し--

 

 そして、今日。


 講堂で入学式を終えたばかりの僕は、大堀おおほり芸術大学文芸学科の1回生として本校舎の前に立っていたのだった。



「えーっと、太子たいし、太子で、この信号を左……」


 思う存分大学を散策したあと、僕は大学が管理している2階建ての木造住宅を探していた。


「『さがら荘』……ここか」


 太子通りを抜け小道に入ったさらに奥の奥。坂を上るとひっそりと人目をはばかるように新築の木造住宅が建っている。


 実家のある藤井寺ふじいでらから大芸のある南河内みなみかわち郡まで電車で15分と交通の便はそこまで悪くはないのだが、親と相談した結果。兼ねてから大学生になったら1人暮らしをしたいと言っていたこともあり1人暮らしをすることになった。

 でも、妹もいるし小説家と学生の両立、家事スキルが皆無というのもあって、そこで大学が管理している学生向けの荘を利用することになったのだ。


「まだ誰も来て……ないな」


 事前に預かっていた鍵を使い玄関から中に入るが人の気配はない。


 大家さんも親戚の事情か何かで数日前から、部屋を開けているらしかった。


 中は思っていたより広々としていて、共有のリビング兼ダイニングと、しっかりと整理が行き届いている台所。そして、廊下を抜けた先に共有の浴場とトイレ。各自の部屋は1階と2階に2つずつ。


 不動産屋からは、自分を入れて入居者は3人と聞いている。


 全員1回生らしいので、いくぶん気は楽だった。


 契約した時に、どこの部屋にするかはすでに決めていた。階段を上がって、2階の右側。


 昼過ぎになって届いたベッドや、自宅で使っていたテレビ、服を入れたタンスなどを置くと、やっと部屋らしくなった。


 家具の位置を決めた頃にはすっかりと夕方すぎになっていて、辺りも暗がり始めていた。


「ふーっ、あとはおいおいやればいいか」


 額の汗を拭ってベッドに腰を落ち着かせる。

 1人暮らしの食事は偏りがちだが、あらかじめ言っておけば大家さんが作ってくれるらしい。でも、今日は大家さんが居ないので自分でなんとかするしかない。


 10年後の世界では拙いながらも1人暮らしをしていたのだ。料理に関しては味さえ目をつむればどうとでもなると思う。


「他のやつ、まだこないのかな……」


 もし入学式に参加していたら今日中、そうでなくとも入学ガイダンスが始まる前、つまり明日には来るはずだ。だというのに、誰も来る気配がない。


「はーっ、僕が芸大生か……」


 話す相手もいないので、取り敢えず今日はもうすることもない。ご飯は……まぁ、お腹が空いてから考えよう。


 机に置かれた学生証を眺めていると、だんだんと実感が湧いてきた。


 あの彼女らと同じスタートラインに立っているのだ。


 もちろん、まだ一緒の大学に入ったというだけのことだ。


 そして僕は念願のライトノベル作家になっている。10年後の自分が夢見、叶えられなかった夢だ。


 あれから何度も考えた。どうしてタイムスリップしたのか、だがさっぱりわからなかった。


 ただ、今はとにかく自分に違う未来があることが嬉しかった。


「ふぁ……ねむ」


 落ち着くと唐突な眠気が襲ってきた。


 入学式や引っ越しの作業で身体を使いすぎたせいで思ったよりも疲れてしまっていたようだ。


 そして、そのままベッドにくずおれる様に眠ってしまった。



 

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