君とのキスは蜜の味

黒夜

本編

はぁ、どうしたんだろう。

最近私の身体の調子が良くない。

身体を動かすのが怠いと感じるほどだ……朝昼晩と毎日バランスの良い食事を摂っているのに……何かの病気なのだろうかと不穏な気持ちが私の心を徐々に蝕んでいく。


今はそこそこに変わった病気に発症する人が増えてきている。


愛する人を忘れて拒絶する病気。

人の血を欲する衝動に駆られる病気。

徐々に『忘れていく』病気。


これらの病気が発症する人は珍しいがいない訳じゃない。

そしてこれらの病気に罹った人のほとんどがこれまでと同じような生活には戻れなくなるらしい。


綾崎あやざきかなで先輩、私の中学の時の先輩だった人。

噂で聞いた話だが彼女は一年ぐらい前に大切な友人が変わった病気の影響で二人も失ってしまったらしい。

一人は苦しみに耐え切れずに自ら命を絶ち、もう一人はその人が死んだ一年後に交通事故で亡くなったらしい。


それから元々あまり明るい性格とは言えなかったというのが私の知る奏先輩だったのだが、人が変わったかのように勉学に励んでいる様子をこの前見かけた。

まるで何かに囚われているかのような様子だった。


自分は救えなかったのだから、他の人を救う義務がある……そんなことを呟いている奏先輩をこの前見かけた。


私ももしそうなったら周りの人に迷惑をかけてしまうのじゃないかと思うと恐怖で震える。


「診療所に、行こうかな」


でも、この怠さはどうも普通じゃない。

そう感じた私は自分の体を医者に診てもらうことを決めた。




ひいらぎ由香里ゆかりさん。貴女の病気はここでは対処出来ません」


医師のその言葉にショックを受ける。

もしかしたらよっぽど酷い病気に罹ったのかも知れない。

自覚のある症状は身体の怠さだけだけど、自覚が無いだけで私の身体はボロボロなのかもしれない。


「えっと、そんなに重い病気なんですか?」


不安だった私は思わずそう質問した。

医師の返答は静かに首を横に振るだけであった。


「そこまででは無いのですが、ここで対処することが出来ないのは事実です。紹介状は書かせて貰いますので出来れば本日中、遅くとも明日までにはそこで受診してください」


そう言われて私は医師から紹介状をもらった。

不安だ、普通の病気ならここの診療所でも充分に対処出来るのを私は知っている。

お母さんからそう聞かされていたからだ。

でも、変わった病の対処は出来ないらしい。


怖い、辛い、苦しい……それらの感情が私の頭の中をぐちゃぐちゃに混ぜ合わさる。

私、もう日常に戻れないのかな?

心の中で縋るように尋ねても、誰も答えてくれなかった。




「柊さん、貴女の症状は端的に言えば栄養失調です」


栄養失調?でも私はバランスの良い食事を取っている。

私は一人暮らしではなく、両親や妹といった家族四人で暮らしている……だからこそちゃんとした食事が出てくる。

お母さんの作ってくれる食事を好き嫌いなく私は食べている。

偏った食事じゃないのに栄養失調はあり得ないと思った。


「疑問も最もですが、貴女のことについて言いましょう。柊さんは特異体質となってしまったのです。いわゆる、後天性特異体質変化病です」


…………えっと、どういう病気なのだろう……私は病名を告げられても意味を理解出来ないでいる。

でも、変わった病気だということだけははっきり分かった。


「一言で言うなら体質が変わるということです。例を出すなら、日光に弱くなる……特定の物以外の味を感じなくなる……というような感じです」


どうやら私の身体が今までとは違う身体になってしまったらしい。

多分、私の体質は食事では栄養が取れない……みたいな感じなのかな?


「柊さんは体液以外で栄養が取れなくなる体質になったようです」

「体液!?」

「突然ですが、柊さんに恋人っていますか?」

「……いません」


女の子の友達なら何人もいるし、男子とは話したりはするけど私は恋をしたことが無い。

良い出会いが無いかと思ったりもしなくはないけど、あの時の紫音しおん先輩をみかけて人を好きになるのに少し躊躇いを持つようになった。


恋をした場合、稀にではあるが愛した人を失うという喪失感を味わう可能性もある。

そんなのは稀だと分かってはいるが、身近にそうなってしまった人がいるとなればそう考えてしまっても仕方ないだろう。


「そうですか……ではこれを」


医師は私の答えに残念そうな表情を一瞬だけでも浮かべながら私に赤い液体が入った小瓶を渡してきた。


「中身は人工血液です。一ヶ月分だけ出して起きますがそれ以上は効果が無いでしょう」

「どういうことですか?」

「貴女の体質は人工血液で誤魔化せるのはその期間までということです。どうにか期間内に体液を飲ませてくれる人を見つけてください。ただし、肉親などの血の繋がった人は効果がありませんのでご注意ください」


どうやら私は渡された人工血液が無くなるまでに相手を見つけなければならないようだ。




初めて人工血液を飲んで、一ヶ月しか効果が無いと医者が言っていた意味が分かった。

体質に関して詳しく記載された紙にも書かれていたが人工血液を飲んだ後に凄まじい飢餓感に襲われる。


『自分にとって理想的だと思っている相手が近くにいる』という条件でのみ強烈な飢えに侵されると書いていたが私が飲んだのは自分の部屋だ。

家族にこのことは話せなかった。


原因は多分、妹だ。

妹は……絵里えりは血の繋がらない義理の妹だ。

無意識に私は絵里のことが好いていたのかもしれない……そう思うと胸がカァと熱くなる。


でも私は絵里には絶対に言えない。

家族として……妹として……一人の人として私を拒絶して欲しくはなかったからだ。

嫌われたく、なかったからだ。




三日目

私の身体に変化が起きる。

部活帰りの絵里と鉢合わせた……彼女は汗をかいていた。

それを見て、私は甘い匂いを感じて思わず唾が出そうになった。

……どうやら妹の汗を美味しそうと思ってしまったらしい。

気のせいだ、そう思いたかった。


七日目

食事をしていると味がいつもより薄いように感じてしまった。

急いで私は書かれていることを読んだ。

人工血液は確かに栄養を補給できるが徐々に私自身を狂わせるらしい。

五感に影響を及ぼすのは初期症状だそうだ。

未だに相手は見つかりそうに無い。


十日目

妹から甘い香りが漂ってくる。

妹自身からだ……どうやら完全に私の嗅覚は壊れたようだ。

高校の友人たちじゃあ駄目だ、私は彼女らに頼れそうにない。


十三日目

味が全く感じられなくなってしまった。

食感や温かさは感じられるのに味はしない。

砂や粘土を食べてるみたいだ。


十五日目

渡されたのは残り半分しかない。

絵里の唇を奪って啜れば極上の甘露なのだろうと本能が教えてくる。

味のしない日が続いたせいで味に飢えているようだ。


十七日目

飢餓感がより一層強くなった。

食事はたまにであるが吐き戻している……味のしない食べ物を身体が受け付けないのだ。


二十日目

甘い匂いが強く、私の理性を揺さぶる。

舐めたい……思う存分舐め尽くしたい。

そう思う自分自身に戦慄する。

もう、私は壊れているのかもしれない。


二十四日目

『具合が悪い』、そう嘘をついて学校をサボった。

お母さんに言った時は随分と心配されていた。

やっぱりここ最近の私の顔色は悪い物だったらしい。

吐き戻す頻度が増した……昨日なんて毎食吐いていた。

もう、私は普通の食事を取れないみたいだ。


二十七日目

妹を見て、彼女の体液を取り込むことしか考えられなくなった。

必然的に私は部屋に引き篭もる……いつ理性が無くなって妹を襲ってしまうのかが分からなかったからだ。

今までの間で体液を飲ませてくれる相手は見つからなかった。

このまま衰弱してしまうのだろうか?

…………絵里、会いたいよぉ。




三十日目

今飲んだのが最後の一杯だった。

もう、飲むための血液は無い。


「なんで、こんな思いをしなくちゃならないの?」


私が望んでいたのは普通の一般的な将来だった。

ただ、漫然と幸せな未来を歩みたいと思っていただけなんだ。


「絵里、絵里」


涙がポロポロと溢れて止まらない。

絵里と会わないようにして三日は経った。

会いたいという思いが日に日に加速する。

でも、会ってはいけない……会った瞬間に私はおかしくなってしまう。

今の私は飢えた獣だ、人と関わっていい存在じゃあ……


「お姉ちゃん、入るよ」


そう言って絵里が入ってきた。


「お姉ちゃん?やっぱり痩せてるし、ご飯もしっかり食べなきゃ……」


最後まで言い終えることが出来ずに言葉が切れる。

私が押し倒したからだ。

向こうからやってきた、ご馳走だ。

もう無理だ、無理だ無理だ、ガマンデキナイ。

このまま、絵里の口の中に私の舌を……!?


「私、何して……!?」


過ちを犯す前に正気へと戻った私は絵里から距離を取る。


「お姉ちゃん……どうしたの?ここ最近、私に会わないようにしているし、顔色も悪いよ」

「お願い!私に……近づかないで!!!」


私のことをあくまでも心配そうに近寄ろうとする妹を私は拒絶する。

今の私にとって妹は極上のご飯にしか見えない。

今は私に近づかないで欲しい……私は妹をそんな風に見たくないのだ。


「あれ?診断書?どうしてお姉ちゃんが……」

「見ないで!!!」


何度も読んだ私の診断書を絵里が見つけてしまった。

知られたくないという思いで私は叫ぶ。


だが、診断書を取り上げようにも元々運動オンチの私が運動部のレギュラーである絵里に勝てるわけがない。

ましてや私の思考は『妹を襲わない』ということに多く割いている状態なのだ。

一つの行動に集中出来ない私では妹から自身の診断書を取り上げることは出来なかった。


「……栄養を取る手段?」

「見ないで……見ないでよぉ……」

「体液!?」

「ぅぅ……」

「……お姉ちゃん、栄養が無いの?」


知られた……知られてしまった。

知られたくなかったのに……最も知られたくない人に知られてしまった。

怖い……気持ち悪いと拒まれる未来が見えるようでとても怖い。

怖くて、悲しくて、涙がポロポロと流れてくる。


「お姉ちゃん……こっち向いて」

「…………」


何かを覚悟したような絵里の声が聞こえるけど反応出来ないでいる。

そしたら無理矢理、下に沈んでいた私の顔を上げて……妹とキスさせられた。

私は驚きで目を開くと口の中に甘い液体が流れ込んでくる。

それをコクコクと飲むと全身が満たされたような充足感に包まれた。


「お姉ちゃん、これからは私がお姉ちゃんの栄養になるから!」


顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしながらも有無を言わさないような絵里の雰囲気に思わず私は頷いた。

……初めてのキスは蜜の味だった。




あれから私の身体はほとんど元に戻った。

飢餓感に襲われることもなく、食べた物もしっかりと味を感じられるようになった。

ただ、私にとって食べ物は栄養にはならなかったので病気になる前よりかは食べる量は確実に減った。


しかし、戻らなかったこともある。

私の生活だが夕ご飯を食べ終えた後に私の部屋で絵里とキスをするのが習慣となった。


病気の影響なのか人の体液をすぐに飲まなかった影響なのかは分からなかったけど、味覚の一部は戻らなかった。


唾液は蜜……涙は液体の砂糖……汗は柑橘系の甘いジュース……血はシロップ。


絵里に飲ませて貰った体液はどれも私にとって甘くて幸せな味がした。


「……どう、お姉ちゃん」

「……ご馳走さまでした」


私は恥ずかしさと嬉しさが混ざった感情の声で感謝の言葉を述べる。

普段は今みたいにキスだけで済ます。

血液など滅多に飲ませて貰えない……まぁ、まだ味わっていないのもあるが。


確かに病気は今までの私の日常を変えた。

でも、こんな甘い気持ちを抱えた日常なら、それでも良いかと思ってしまう。


こんな変化だったら、悪くはない……かな?

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