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  • 古傷がちょっと疼くような…心の奥底にしまいこんでいた開かずの箱の鍵穴を見つけてしまったかのような気持ちでした。
    かつて死にたがっていた大切な大切な友人を思い出しました。
    最後の『お前の命はお前のことを思ってくれている人のものだ』というところ、まさにあの時のアノ子に思っていたこと。どうか頼むから生きてくれ、そう毎日祈っていた日々でした。
    懐かしく愛しい記憶を甦らせてくださり、勝手に感謝しています。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    返信遅れてすいません。
    自分の死というのはどこか、自分のことだと思ってしまいがちです。
    でも、死んだ後の世界に自分はいなく、自分を思っていてくれた人だけが残る。
    自分の死というのは基本他人事なんです。
    生きてほしい。と思ってくれる人がいることがどれだけありがたいことなのか。
    人の死は感謝で終わってほしいと願ってます。


  • 編集済

    長文コメント失礼します。意味がわかりにくければ無視してもらっても構いません。

     「『こう言えばいんでしょう』っていう感じ」は、自分でも感じていたことです。
     世間から期待される「正解」があって、それをよく考えもせずにペラペラと言ってしまう。そのせいで真実が隠蔽されてしまう。
     
     私は、これを「常識デーモン」と呼んでいます。デーモンは、デカルトが思考実験に使った、外部から考えを吹き込む存在のことです。世間に流れる常識には、答えを吹き込んでそれを疑えないようにする魔力があるように思えます。ここで指摘されていることもその一例かと思います。

     ここで取り上げられている通り、差別解消を訴えるとかえって差別を内面化してしまうという問題があります。それは、話されたことが事実に置き換わってしまうという常識の性質上、仕方のないことだと考えられます。この問題を常識の範囲内での思考で解決するのは不可能で、解決のためにはもっと強力な哲学的・社会学的思索が必要なのだろうと思います。しかし、一般社会にはその必要性が全く認められていないのが残念です。筆者の方のように真剣に考察している方がいらっしゃる一方で、「哲学・思想は役に立たない学問の代表格」というのが常識化していますから。

     無神経に常識を振りかざすこの世の中に辟易されているのではないかとお察しします。それでもご自身の意見を発信する勇気に、応援を送ろうと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    重大な問題に目を背けるように思考停止して、求められているだろう言葉を羅列しているだけですよね。

    すいません。デカルトについての知識があまり自分の中にはないので、『デーモン』という思想を初めて知りました。なるほど。確かにその通りかもしれないですね。この国は民主主義の多数決原理なので仕方ないのかなと常識については諦めています。

    自分はニーチェの思想が好きで、かなり影響を受けてます。この差別の問題は『弱者のルサンチマンの反逆』のいい例だと思ってます。この時代にこそ異端ニーチェの哲学は心に刺さると思います。

    『常識に対して疑問を持つ』これが哲学、最初の学問の始まりのはずなのに、哲学や思想が役に立たない学問だということは自分的には腹立たしいです。これほど面白く、誰にでもできていた学問はないと思います。

    自分は常識を嫌悪します。それに、振り回された人ですし。こんなふうに意見やコメントをいただけると、自分に自信がつきます。ありがとうがざいます。