第286話 スリの少年を追い詰めた。

「オマエっ……! あの時の……!?」

 スリの少年が小さく驚愕の声をあげる。

「そうです。貴方がブローチをスろうとした人間ですよ」

 気付いたよね。赤い瞳、珍しいもんね。覚えてるよね。

「……男だったのかよッ……」

 なんでそうなんねん!!!

 なんで男の姿と女の姿を見せると、みんな私の事を本当は男だって思うんさ!

 それぐらい私の男装が完璧って事かよありがとう!!!


「違います。今は男装しているだけです」

 私は自分の頭からカツラを外す。あー、暑かった暑かった。流石に真夏のカツラはヤバイって。熱中症になるかと思った。あ、カツラ。汗でびっしょり。気持ち悪っ。

 私がカツラを取ると、何故かスリの少年の顔から憎しみが消える。まるで、あっけにとられたかのような──いや、なんか、なんだろう。驚きとも違う。何、どうした?

 何も言葉を発しない少年を小首をかしげて見つめていると、少年はハッと我に返ったかのように、改めて私を睨みつけた。

「アレは盗れなかったろッ……捕まえる理由はない筈だッ!」

 少年は改めて、私にガルガルと威嚇を再開する。……なんか、可愛いな。いかん。そんな事考えてる時じゃない。

「捕まえないですよ」

 捕まえに来たんじゃないし。私はアッサリとそう答えた。

「嘘つくな!!」

 しかし、当然信じない少年は唾を飛ばしいて怒鳴る。

「嘘じゃないよ」

 そう答えたのは、子供たちの後ろにいたベネディクトだった。

 少年はその言葉に驚き後ろを振り向き、再度こっちに首を戻して混乱したような顔で、私とベネディクトを交互に見る。

「折り入って、貴方たちにお願いしたい事があったんです」

 私は至極真剣な顔を少年に向けて、落ち着いた声でそう告げる。

 しかし、まぁ、信じないよね。突然そんな事言われても。

 本当は場所を変えたいけど、それじゃあ警戒されちゃうしね。


「その状態のままで構いません。話を聞いていただけますか?」

 私はそう言って、その場にドッカリと腰を下ろした。合わせてベネディクトもその場に座る。

 そんな我々を、子供たちは目を白黒させながら交互に見ていた。

 逃げようと思えば逃げられるよ。この状態だと咄嗟とっさに動けないからね。でも、警戒されない為に、敢えてそうしてる。

 どうせ逃げられたって構わない。この子たちのネグラも押さえてる。ただ、ネグラに行かなかったのは、下手にそんな事すると場所を変えられてしまう事と、ネグラに踏み込むのは彼らの安息の場所を踏み荒らす事になるから。

 それはしたくなかった。


「貴方たちにして欲しい事があるんです。勿論、報酬もお渡しします。前払い半分として、まずはコレを」

 私は、腰の後ろに括りつけていた小さな鞄から、布にくるまれたパンとオレンジを取り出す。そして彼らの方に布ごと投げ渡した。

 慌てて受け取る少年。布を開いてソレを見た時、彼らの目がキラキラと輝いたのが見て分かった。

「まずはそれの代わりとして私の話を聞いてください。その後、私からの依頼を達成してくれたら、成功報酬として少しですかお金もお渡しします。

 まずは話を聞いてください。

 聞いて、嫌なら断ってくれても構いませんから。あげたソレは返す必要はありません」

 少年は目を揺らしてオロオロとしいていた。考えているんだろう。

 たぶん、そういう事を言い出す大人に会った事がないんだろうな。どうするのが正解なのか、どうするのが自分たちの身の安全に繋がるのか、それを脳味噌フル回転で考えているのが見て分かった。

 そのうち、少年に寄り添っていた女の子がパンに手を伸ばす。慌てて上に持ち上げて、女の子からパンを遠ざける少年。

「ああ……」

 小さく悲鳴をあげた女の子。その子の様子に、少年が眉根を寄せて苦悩していた。

「ここで食べてもいいですよ」

 私は、鞄に忍ばせていたオレンジをもう二つ取り出す。そして一つはベネディクトに投げ渡した。

 困った様子の子供たちを脇目に、私はナイフでオレンジの皮を剥く。そして一房ひとふさ口の中に放り込んだ。

 ……甘酸っぺ! 美味しいな、このオレンジ。クロエが『カラマンリスはオレンジの特産地なんです』って言ってた意味が分かったわ。

 ベネディクトも、私と同じようにオレンジをナイフで剥いて食べていた。

 ──あ、そうか。

 私は、途中まで剥いたオレンジを、まだ警戒している少年と女の子の方へと投げた。オレンジの皮は固いからね。ナイフで切れ込みが入ってる方が食べやすいよね。また、私が食べたヤツの方が変なモンじゃないって分かるから口にできるよね。

「!!」

 女の子の方が、両手を万歳させてそのオレンジを掴む。慌てた少年が女の子を止める前に、女の子はオレンジにむしゃぶりついた。

「毒は入っていません。喉が渇いたでしょう。食べてください」

 オレンジの果汁で顔をベタベタにする女の子を見ながら、私は少年に笑いかける。

 オロオロと、オレンジを貪り食べる女の子と私を交互に見る少年。

 私は、彼が覚悟を決めるまで、ニコニコとしてその様子をジッと見つめ続けた。


 ***


 スリの少年は、私が渡したパンをギュっと掴みながら、難しい顔をして私の顔を睨んでいた。しかし、私が話し終わるまでずっと黙って聞いてくれた。

 女の子の方はその場にしゃがんで、最初に渡したオレンジを無理矢理剥いてグチャグチャにしつつも、それを頬張ってムシャムシャしている。

「……そんなんで、いいのかよ」

 私のお願いを聞き終わった少年は、苦々しく口を開く。

 私は真剣な顔でゆっくりと頷いた。

「勿論、その情報の有用さに応じて賃金は変わりますが、基本、関わりそうなどんな情報にも報酬はお支払いします。お金じゃなくて物がいい場合にはそう言ってください。可能な範囲用意します」

 そう答えたが、少年は難しい顔したままだ。

「……絶対、だろうな……」

 少年は更に言い募る。

「勿論です」

 私も再度そう答えた。


 約束された報酬が支払われない事を危惧きぐしてるんだろうな。だと思うよ。

 彼らは今まで、誰かにされた約束をいつも反故ほごされてきたんだ。約束を信頼できない。今まで散々裏切られてきたらそうなるわ。仕方ない。


 自分がちゃんとやっても、相手が約束したハズの報酬をくれない。そんな事は大なり小なりワンサカある。


 子供の頃だってそうだろう。

 例えば、『宿題をやったら残りの時間遊んでいいよ』って言われて、遊ぶ時間を少しでも長くしたいからと頑張って宿題を早く終わらせて報告したら──

『こんなに早く終わるなら、明日の予習もやっちゃいなさい』

 なんて親に言われたら「なんでだよ嘘つき!」って、思うよね。

 大人だって、早く帰りたくて言われた仕事を急いで終わらせたのに「そんなに早く終わったんならこっちもお願い」とか言われたらムカつくよね。

 最初にされた約束を反故にされる事は本当によくある事。しかも、約束を破った側からすると約束を破った自覚すらない。

 誰しもがそれを体験した事があるハズだ。

 そんな事が繰り返されると、次第に相手への信頼感が目減りし、最後にはその人の言う事を信用しなくなる。


 それと同じ。


 約束が反故され続けると、人は約束が信じられなくなる。

 今貰う一個のパンと、明日もらう十個のパン、どっちがいい? と問われて、何も考えずに明日の約束に飛びつけるのは幸せなのだ。

 のだから。

 これは『自分を信じてくれ』なんて言ったところで無理な話。だってその言葉ですら裏切られて来たんだから。

 だから、約束の半分を先に渡して少しずつ信頼感を積み上げていくしかない。


 スリの少年は、口をへの字にひんまげて、視線を左右に揺らして考えていた。

 美味しい話だ。情報を調べて持って行けば、食べ物もくれるしお金も貰えるという。

 しかし、その約束が果たされるかどうか分からない。

 もしかしたら、私に裏があって別の何かを企んでるかもしれない。

 自分に、そして自分が守ってる女の子に危害が加えられるかもしれない。


 悩んでくれ。

 そして、決断してくれ。

 私には、少年を今納得させられる方法が、今はそのパンとオレンジしかない。

 でも、ここから一歩踏み出してくれれば、私はちゃんと約束を守る。約束を守る事を見せられる。

 どうか、やる、と言って。


「……とりあえずは、やってやるッ……約束は、守れよっ……」

 少年は小さく、悔しいそうにそう呟いた。

 その言葉を聞けて、私は思わず笑みがこぼれる。

「勿論です。ありがとう」

 笑顔でそうこたえると、少年は歯ぎしりした。

「で? 調べた後、どこに情報もっていけばいいんだよ」

 覚悟を決めたのか、少年はその真っ赤な瞳に真剣さを帯びさせ、私を真っすぐに射抜く。私もその視線を正面から受け止めた。

「今から言う場所に来てください。玄関でノックして『ダチュラ買ってください』って言っていただければ用件は通じます」

 下宿の玄関の応対はミコス夫人がやってくれるが、この言葉を言われたら私へのお客なので呼んでください、とお願いすればいいだけだし。


 私が住所を伝えると、彼は「分かった」とすぐ頷いた。

 お。凄いな。一回で記憶できたか。ホントはメモとかで渡したかったけど、文字、読めないかもしれないからな。それはおいおい探っていこう。

 覚えられなくて来れなかったら、しばらくしてまたこっちから出向けばいい。


「では、お願いしますね」

 私のその言葉とともに、ベネディクトが立ち上がって端へと寄り、道をあけてくれる。

「絶対だぞ!!!」

 少年は、女の子の手をガッと掴んで、そんな捨て台詞を吐いてから、ベネディクトの横をすり抜けて路地の向うへと消えて行った。


「いけると思う?」

 少年たちが消えた路地の方に視線を向けながら、ベネディクトがポツリとそうこぼす。

「あの子は、やってくれるでしょう」

 根拠は勿論なかったけれど、自然とそう思えたので、私はサラリとそう答えた。

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