第279話 下宿に腰を落ち着けた。

「とりあえずまず欲しいのは、情報提供者とセーフハウスですね」

 私は目の前のうつわから、湯気が揺らめく美味しそうな具沢山クラムチャウダーをスプーンでよそい、そこに視線を落としつつ呟く。

「情報提供者って、そんなに簡単に見つかるものなんですかね?」

 ダイニングテーブルの、私の斜め向かいに座ったサミュエルが、パンを千切って口に入れようとしていた手を止めて、小首を傾げならがそう問いかけてきた。

「……セーフハウス??」

 私の隣に座ったニコラが、お茶が入ったマグカップを両手で抱えたまま、呟いて宙に視線を這わせた。


 列車での移動が終わり、大きな主要都市──旅の目的地に到着した。

 ここはカラマンリス領でも結構な大きさを誇る都市で、他領地からの列車の終点駅でありつつ、領地内を走る他の列車との乗り換えを行う、いわば経由地。

 物だけではなく情報の出入りも激しく、そのお陰で文化技術の発展速度が他の場所より早い。

 活気があって人も沢山、普段これほどまでの人がいる場所にあまり行った事がなかったので、あまりの発展具合・人の多さに度肝を抜かれたね。


 そんな発展しまくった街に到着し、我々はしばらくの活動拠点として決定した下宿へと訪れて腰をえた。下宿は、とある未亡人が運営するアパートメントだ。元々は一棟丸ごとが個人宅だったらしい。

 街の中心部からは少し離れた場所にあるけれど、周辺は閑静な住宅街であり、静かで居心地は良かった。

 下宿を運営する未亡人──ミコス夫人は、夫を亡くした後、なんやかんやあって運営していた会社が人手に渡ってしまった。それでも生活をしなければならない為、自宅の部屋を下宿として人に貸し出すようになったんだって。そろそろ老齢に差し掛かろうって年齢のようだから、きっと大変だよね……


 当初はホテルでも長期で借りてそこを拠点にしようかと思っていたんだけど、金が勿体無いな、と思ってやめた。いつまでかかるか分からないし、ただでさえ諜報活動にはお金がかかるから、できるだけ節約したくって。

 この下宿──ミコス夫人の下宿は、一つ一つの部屋が大きめで、かつ二つの部屋が一気に借りられて、挙句の果てには朝食・夕食もつけてくれる、というので速攻で決めた。

 正解だった! ミコス夫人の料理は絶品だった!! もうここに住みたい!!! 

 ……いえ、勿論、カラマンリス邸のご飯も美味しいですよ? どちらかなんて選べませんよ。ええ。ただ、ちょっと、素朴な料理が恋しかったなーって、それだけです、ハイ。


 そんな素敵下宿先で今、我々は夕飯を頂いていた。

 下宿形式なので、食事は各々おのおのの部屋でではなく、ダイニングに置かれた大きな机を皆んなで取り囲んでいる。テーブルクロスはパッチワークでメチャクチャ可愛い。所々に刺繍があるのは、きっと修繕跡を綺麗に見せる為だ。凄い。

 お皿やマグカップも、使い込まれていると思われるのに綺麗。リビングの部屋自体も、壁や柱は年季が入っているにも関わらず、手入れが良くされていて古めかしさはなかった。調度品も主張しすぎず上品。

 なんだか……実家に帰ってきた気分になるね。落ち着くなぁ。


「まあ、情報提供者は簡単には見つからないでしょうね。だから欲しいんですが」

 私はサミュエルからの疑問に答えてから、クラムチャウダーを頬張った。……美味すぎる!!! 本当にここに住みたい! いや、カラマンリス邸も(以下略

「セーフハウスっていうのは、諜報活動を行う上で絶対必要不可欠な、安全地帯の事です。ほとぼりを冷ましたり、隠れたりするのに使います」

 今度はニコラの質問に返答する。ニコラは私からの回答を聞いても、首を傾げたままだった。

「諜報活動ってのは、基本、『敵がいてこそ』だから、危険と隣り合わせなんだよ」

 私の言葉に追加してくれたのは、サミュエルの隣に座ったアレクだった。アレクは食べるのが物凄く早いので、もう食べ終わっている。既に食後のデザートであるオレンジをナイフでいていた。

「敵がどこに潜んでいるか分からないから、そこら辺に隠れるワケにはいかない。『ここは絶対に安全』というのが確保された場所の事を、セーフハウスって言うんだよ」

 いたオレンジの一房ひとふさを、隣に座ったベネディクトに渡すアレク。ベネディクトはオレンジを受け取ったものの、食べずにジッとアレクの顔を見つめていた。

 アレクがベネディクトに構わずオレンジを口の中に放り込むと、ベネディクトは安心したのか自分もオレンジを口にする。

 ……他人から貰った物について、彼は警戒してなかなか口にできないんだなぁ。難儀なんぎだ。でも、大事な習慣でもあるなぁ。


「情報提供者については、今まで通り、ディミトリ様のお仲間からではダメなのですか?」

 ニコラの斜め前に座ったクロエが、クラムチャウダーを食べていた手を止めて、ディミトリの方へと視線を向ける。

 クロエが言う通り、この下宿を見つけてきてくれたり、事前に必要な情報を集めて来てくれたのは、ディミトリの仲間たちだ。

 彼らはカラマンリス領を拠点にしてるから、確かにそういう意味では彼らでもいいんだけど……

「俺たちでは、力不足だとでも?」

 そう声を厳しくしたのはディミトリ。パンを口に放り込もうとしていた手を止めて、私の事を鋭い目で射抜いてきた。

 ああ、『お前たちじゃダメ』っていう風に聞こえたんかな。

 私は首を横に緩く振った。

「いいえ。そういう意味ではありません。ディミトリの仲間たちは何よりフットワークが軽い。とても助かっています。ただ、できればその地に元々いる人を情報提供者にしたいんですよね。その方が変化に気づきやすいし、情報も集めやすいですから」

 必要な情報収集を、都度つどその場に行って集めればいいかもしれないけれど、それだと小さな変化を見逃しやすくなる。それに、ある日突然現れた人に聞かれて話をするよりは、いつも話す人に世間話の延長として話した方が、心理的抵抗感は薄いもんだ。

 木を隠すなら森。

 なら、森の中に最初から生えてる木を協力者にした方がいい。


「あらあら、盛り上がってるわね? どんなお話?」

 そんな温厚だけれども弾んだ声で話かけて来たのは、この下宿のオーナー、ミコス夫人だ。私の親世代の年齢だと思うんだけれど、私が知ってるこの年代の女性──母とか、大奥様とか、そういう苛烈な人たちと違って、笑顔が優しく素敵で、声も柔らかく温和な雰囲気をまとった女性だった。

 マグカップが並んだお盆を手に、ニコニコ笑顔でこちらへと歩いて来ていた。

「このクラムチャウダーが絶品だね、と盛り上がっていました」

 私は笑顔で、今まで話ていた情報を隠す。

「この辺は貝が特産なんですか? 色々な種類の貝が使われていますね」

 咄嗟とっさに話を合わせたのはアレク。さっすがぁ〜。

「そうなのよ。少し行ったところにある大きな湖は汽水湖きすいこなの。色々な種類の貝がれるのよ」

 嬉しそうにコロコロと笑うミコス夫人は、私やサミュエルの前にマグカップを置いてくれる。


「きすいこ……?」

 痛くないのかな? というぐらい首を横に傾けてそう尋ねたのはベネディクト。

 本当、いつ見ても思うんだけど、アレ、痛くないのかな? 見てるこっちが首痛くなりそうだよ。

汽水湖きすいこっていうのは、淡水と海水が入り混じった湖の事です。海に近い湖等に見られる特徴ですね」

「ふーん……汽水湖きすいこだと、なんで貝が沢山れるの?」

 私がそう答えると、ベネディクトは今度は逆方向に首を傾げて言い募ってくる。

 うん。いいね。疑問に思ったことは、何でも口にしてみて下さいって言った効果が出てきてるね。アティ&ベルナや、妹たちから食らった「なんで? どうして?」攻撃を思い出すわ。ベネディクトからの質問は答えられる物が多いから助かるわ。

『なんでお空は青いの?』って妹たちに聞かれた時、光の構成要素の話を言っても理解できないだろうから、答えに困ったねぇ……ま、説明したけどね。更なる「なんで? どうして?」攻撃を食らって困った困った。懐かしい。

 ──あれ? でもカラマンリス領出身なのに、ベネディクトは汽水湖きすいことか知らないんだ。……暗殺術とか、そういうのばっかり身につけさせられて、もしかして、そういう勉強とかは、させてもらえなかったのかな……カザウェテス子爵めェ……アイツ、本当にムカつくわ。


 うーん。しかし、困った。汽水湖きすいこで貝がたくさん採れる理由かぁ……

 なんとなく理屈は分かるんだけど、説明出来るほど明確に理解してる訳じゃないからなぁ。

 そうやって返答に困っていると、代わりにサミュエルが口を開いた。

「基本、湖は川の末端等にあるので栄養が集まり易いんです。そこに、定期的に海の栄養も流れ込んできます。プランクトンと言われる目に見えるか見えないかギリギリの大きさの小さな生き物が、そういう場所には沢山いるんですが、貝はそういうのを餌にしています。汽水湖きすいこは塩分バランスが場所によって違う為、淡水の貝、海水の貝、汽水域きすいいきを好む貝、色々なものが採れるんですね」

 おお! なるほどね! そういうことか!

 っていうか、サミュエル、そんな事まで知ってるんだ! 凄いな!

 サミュエルの解説に、ベネディクトはまるで猫のように、何もない宙に視線をフラフラさせる。

 そして一言

「……面白い」

 ポツリと呟いた。ほんの少しだけ、顔をほころばせて。

 なんか、微笑ましいな。諜報活動という殺伐とした仕事の最中だけれど、なんか、こういうやり取りが、少し心を癒してくれる。


「……ふふっ。久しぶりの感覚だわ。食事を囲んでの団欒だんらん。楽しい」

 ミコス夫人も、私と同じ気持ちになったのか、口元に手を当てて、そう楽しそうに微笑んでいた。

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