第236話 子供たちが四苦八苦していた。

「正直なところを申すと──」

 夫人の言葉を受けてなのか、アンドレウ公爵が重そうに口を開こうとした時。


「レオさまー」

 そんな可愛い声が横やりを入れる。

 こんな鈴が転がるような可愛い声は世界で唯一無二! アティだな!!

 声の主・アティは、両手で大切そうに階級章を持って、パタパタと獅子伯の所へと走り寄ってくる。

「ダメだよアティ! 今叔父上たちはお話中だから!」

「アティ行動力ありすぎんだろ」

 ゼノとニコラ──いや、あれはテセウスか。二人がその後ろを慌てて追って来ていた。

「おお、どうしたアティ嬢」

 先ほどまでの真剣な雰囲気を一気に消し、獅子伯は近寄ってきたアティに柔和な笑顔を向ける。

 それにより、一旦我々大人たちは口をつぐむ事となった。

 ツァニスは、ヤレヤレといいたげな表情の中に、少しだけ笑みを含めて溜息をつく。

 アンドレウ夫妻は仕方ないって言いたげ。ごめんなさいね。


 この真剣な場に子供を連れて行くのか、という話は事前に出ていた。

 お願いしたのは勿論私。私が子供たちに会いたいからっていうのも勿論あったのだけれど、紫の花が咲く木の群生は見せてあげたかったし、ベネディクトとベルナも紹介したかったから。

 ま、それによりアンドレウ公爵とメルクーリ伯爵との会合の隠れ蓑にしたかったという裏の目的もあったけれど。

 でも! 裏の目的は裏の目的! 兎に角子供たちとワチャワチャしたかった! 私がッ!! 癒されたかった! 私がッ!!! Give Meちょうだい 心のオアシス!!


「あのね、ゼノがね、コレならレオ様ならわかるかもって! だからね、コレのことおしえてほしいの」

 そう言ってアティは、獅子伯の目の前に階級章をグイっと出して見せつけた。

 獅子伯は、一瞬私の方をチラリと見る。私は素知らぬ顔をした。

「そうか、コレの何が知りたい」

「はぇ?」

 アティは、獅子伯がすんなり教えてくれるモンだと思っていたようで、質問を返されて目を真ん丸にしていた。落としちゃうよ目ん玉!

 アティの所に辿り着いたゼノとテセウスも、獅子伯の言葉に驚いていた。

 そうか、このチーム『ワンちゃん』は三人とはいえ一番年上でもテセウスか。質問の仕方が大切なんだって、気づいていなかったみたいだね。


 ニコニコと質問を待つ獅子伯に、どう質問したら良いのか分からなくなってしまった様子の三人。

 その後ろに、すすっとサミュエルとアレクが近寄って来た。

「アレクさん、こういう時って貴方ならどう質問します?」

「俺? そうだなぁ。大人一人につき一回、五人にしか聞いちゃダメなんだろ? 難しいな」

 子供たちの後ろで、棒読みのセリフを言うサミュエルとニヤニヤしながら答えるアレク。わざとらしいクッサイ演技!! サミュエル大根! 人の事は言えないけれど!!

「まずは、そのアイテムについて、何が分かれば持ち主が分かるのか考えるよな」

 アレクがそう答えると、サミュエルは腕組みしてウンウン頷く。

「そうですね。まずは大人に聞く前にそこを確認する必要がありますね」

 無駄にデカい声でそう結論を出すと、近寄って来た時のように、サミュエルとアレクがすすすっと離れて行った。

 ヒントの出し方が露骨!! 分かりやすすぎるぐらい分かりやすい!!


 それで何かに気がついたんだろう。テセウスがゼノとアティの耳元にそっと耳打ちし──

「ニコラくすぐったい。なにいってるのかわかんない」

 アティが身じろぎし、フニャフニャした笑顔でテセウスを見上げた。

「あー! だから、レアンドロス様に聞く前に作戦会議しようぜっ!」

 痺れを切らしたテセウスが、照れたような顔をしてそう叫ぶ。

「そうだね。まずは聞く事を決めよっか」

 ゼノがそう頷くと、アティを中心にしてガッとそれぞれ手を繋いだ三人は、来た時のようにパタパタという足音を立てて暖炉の方へと戻って行った。


「……面白いわね。子供にこうやって考える事を身につけさせるなんて」

 アンドレウ夫人が、去って行った三人の背中を見ながら、そうコロコロと笑う。

「確かに。上手いやり方だ」

 獅子伯も、眩しそうに目を細めて、ポツリとそう呟いた。


 ***


 冬の終わりにベッサリオンから戻って来た後。

 アティの誕生日会を盛大に祝い、その後の日々ずっと、私とツァニス、そしてマギーとサミュエルで色々相談した。

 今後の事についてを。

 風が暖かくなりはじめ、新緑で世界に色が戻り始める間に、少しずつ少しずつ、事を動かし始めて行った。


 私とツァニスは、まだ離婚はしていない。

 しかし、離婚へと少しずつ動き始めている。

 カザウェテス子爵が起こした事件により私が身体を壊してしまい、それにより仕方なく離婚するのだという話を、少しずつ流布るふしていった。

 事情を知らない他貴族たちが、さっそくツァニスに接触を図ってきたのには笑っちゃった。後妻の座を様々な人間たちが虎視眈々と狙ってるんだね。こりゃツァニスも大変だわ。

 ま、おかげでけれどね。


 私が本当はピンピンしている事を知っているのは、ツァニスとマギー、サミュエル、そして私の身の回りの世話をしてくれるクロエだけ。アンドレウ公爵にも獅子伯にも、本当の事は言わなかった。

 不要な嘘はついていない。カザウェテス子爵が私に毒を盛った事、そして離婚を考えている事を伝えただけに過ぎない。

 当初その事を伝えた時に、アンドレウ夫人も獅子伯も「本当にそれでいいのか」と聞いてきた。

 私はそこについては「決めた事ですから」としか返事しなかった。

 ま、会った私が相変わらずなのを見て、なんか微妙な顔をしていたっけね。でも、二人ともそれ以上何も、その事については触れて来なかった。


 まあ、それはそうとして、それよりも何よりも。

 アティへの説明に時間をかけた。


 今思い返しても、本当に胃の痛い日々の連続だったなぁ。

 アティには大人の事情は分からない。離婚という概念も恐らく具体的には理解していない。『結婚』というものが『男女が一緒にいる事』ぐらいのフンワリした認識だったしね。

 だから当初、『結婚をやめる』事が離婚であるという事を伝えた時……

 アティ、泣いて叫んで大暴れして、もう屋敷中大惨事になった。

 アティの中では『結婚をやめる』=『一緒にいない』という認識だったから。

 離婚した瞬間、私が目の前に永遠に現れなくなるのだと思ったんだろうアティは、もンの凄く泣き叫んで全力で拒絶した。

 え、別に、感動なんて、していませんけれども?

 嘘です。一緒に泣きました。ハイ。号泣です。

 だから、何度も何度も根気よく伝えた。

 いきなりいなくなるワケじゃない。『母』という肩書を失くすだけなんだって。

 確かに今までのように、アティの母として振る舞う事はできなくなるけれど、アティの事はずっとずっと大好きで、アティの傍には居るよ、と。


 でも、アティは納得しなかった。

 私に苦しいくらいに抱き着いてきて

「ずっと、おかあさまで、いて」

 と、何度も何度も呪文のように繰り返していた。

 ホント、私もそうしたい。そうだったらいいのに。

 なんでアティを私が産んでないんだろう。

 なんでアティと血が繋がっていないんだろう。

 血さえ繋がっていれば、離婚しようとどういう形であろうと、世間からも何からも認められる「母」で居続ける事ができたのに。

 なんでアティとの縁は、表面上は薄っぺらい「継母」と「継子」なんだろうって。

 血の繋がりが呪いであるような側面を持つ一方、私にとっては逆に、アティとの間に喉から手が出る程欲しいのに、手に入らないものだった。


 だから、ずっと伝え続けた。

 例え離婚したって、私はアティを大好きで居続けるし、アティが私を大好きでいる間は、私たち二人の間にある関係は変わらないんだよって。

 他からどう言われようと、それは誰にも壊せないものなんだよって。

 だって、アティと私の関係は、私たち二人だけのものなんだからって。


 実際のところ、それは離婚するしないに関係ない。

 アティが大人になって、私が実の母ではないんだという事を本質的に理解した時に、彼女を揺さぶる可能性がある。

 それは、どうしようもない関係性。血という絶対的な繋がりがない、私とアティがどうしても越えなければならない事。


 その時の為に、伝え続ける。

 それが、私が唯一できる事だった。

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