閑話

閑話 ある料理人の手記

 私は、カラマンリス邸で料理を担当させていただいております。

 今、料理長が長期休暇でいらっしゃらない為、私が代理で料理長を務めております。


 いつもですと長期休みの間は、溜めたお金で旅行へ行き、食べ歩き等を行う事を道楽としておりましたが、今回は手当がつくとの事でしたので、リゾート地へご一緒させていただきました。

 ま、この仕事をお受けしたのは、手当がつくからだけではないのですけれどね。

 あのリゾート地は行った事がない場所でしたので、その地方の食材や料理方法等に興味があったからでもあります。


 当初、リゾート地へいらっしゃるのに、料理人を連れて行くと奥様がおっしゃった時には、意味が分かりませんでした。

 私たち料理部の人間は、カラマンリス邸以外で働く事が殆どありません。

 しかも、旅行先には当然そのホテル等に料理人たちが居る筈ですからね。

 お仕事をお受けした私ともう一人は、一体どういう事なのだろうと、最初は疑問に思っていました。


 奥様から事情をお伺いした時には、なるほど、と思いました。

 ホテルではなく、キッチン併設のコンドミニアムだったのですね。

 何故敢えてそんな場所を、と思わなくもなかったですが、奥様がアッサリと『子供たちに料理を教えたい』とおっしゃっていました。

 まさか貴族子息子女たちに料理を、なんて思っておりませんでしたから、最初は信じられませんでしたけどね。


 ああ、あと、使い慣れないキッチンでの料理は少し不安がありました。

 コンドミニアムについていたキッチンの設備は新しく、オーブンがガス式でしたし、水道も最新式でした。最初は戸惑いましたが、慣れるととても便利でした。

 カラマンリス邸自体が古い為、少し設備が古いものが多いです。奥様が、少し前からカラマンリス邸の設備投資を行い始めたので、今度提言してみようと思います。


 いやはや。奥様は色々、私たちがあまり考えた事がない事ばかりを行いますね。

 左利き用の包丁など、初めて見ました。

 いえ、実は私が左利きなのです。

 しかし、包丁は右で使うように仕込まれたので、右手でも使えますよ。

 でも、左手で使えるに越した事はありませんからね。

 それ以外にも、色々な種類の包丁を用意なさってくれました。

 今までは、大きさぐらいでしたね。種類があったのは。特殊なのは方頭刀クリーバーぐらいでした。


 しかし、ええと? 出刃包丁? という、恐ろしく肉厚な包丁を見た時には、用途が分かりませんでしたね。聞いたら、魚を捌く時に骨を切る為に分厚くなっているそうですが。なるほど、確かにこれだけ分厚ければ力をかけやすいですね。刃が折れる事も歪む事もなさそうです。

 また、柳刃包丁? という、恐ろしく鋭く長い包丁も用意されていました。これも魚を捌く用だそうで。いや、奥様はどれだけ魚を捌く用の包丁をご用意なされるのか……よほど魚がお好きなのですね。今度魚料理を色々ご準備しようかと思いました。

 左利き用は勿論、大きさも種類も様々な包丁の他、ハサミまで業者に依頼して作らせていた事を知った時には、本当に驚きました。

 理由を聞いたらば。

「毎日の事に小さな不便があったら、それが積み重なって嫌になるでしょう? 使いやすいに越した事はないですし」

 と、サラリと申しておりましたね。

 いや、確かにそうではあるんですが。貴族夫人はあまり関係のない部分にまで、そういった気を回していただけるとは正直思っていなかったものですから。

 この職場は、アタリだな、と思ったものでした。


 収穫は、道具や設備の事だけではありませんでしたね。

 このコンドミニアムは、キッチンとダイニングがカウンターで区切られているタイプのものでした。

 そう、見えるんですよ。皆さんがお食事をなさっている所が。

 とても新鮮でしたね。

 我々料理部の人間は、下げられた皿の状態を見て、どんな風に召し上がったのか想像する事ぐらいしかできませんでした。

 イチ料理人が、皆様がお食事なさる場に同席する事もありませんしね。


 アティ様は、あんなに一生懸命にお召し上がりになっていらっしゃったんですね。お好きな味だった時には、お口に入れたあとあんなに笑顔になられて……。

 しかも、出された料理の盛り付けに、あんなにキラキラ目を輝かせていただけていたなんて。

 いえ、涙ぐんでなど、おりませんとも。ええ。

 もっと、喜ばせてさしあげたいですね。ハイ。


 ああ、そういえば、奥様が面白い事を仰っておりましたね。

 トウモロコシの粒を使って、顔を描いてくれ、と。

 最初、どういう状況か分からなかったのでご説明をお願いしたら、粒を目と口に見立てて配置してくれ、という事でした。

 試しに一度やってみたら──ふふ、いえ、すみません。思い出し笑いしてしまいました。

 アティ様も勿論喜んでいらっしゃいましたが、エリック様がですね、もう、なんというかですね。あの反応は、なんと申しますか……大変、子供らしい、反応をしてくださいましたよ。

「にくがわらってる!」

 と。ええ、面白い表現でしたね……なるほど、確かにそう見えますね。いや、本当に、あの反応は……ふふっ。


 ……そんなお子様がたが、命の危険に晒されたというのは、本当に。もう、言葉が出ませんでしたね。勿論我々もでしたが。二階の部屋に閉じこもっている間は、本当に生きた心地がしませんでした。


 籠っている間、やはり沈黙に耐えきれなくなったのか、エリック様が動き始めてしまったのですよ。

 その時、とある方のアドバイスの通り、子守が小声で童話を話し始めました。

 私は聞いた事がないお話でしたね。

 ある所にいた、双子の勇者のお話でした。エリック様は、その話が始まった途端、物凄い集中力で話に聞き入っていましたね。

 その双子は男の子と女の子で、女の子の方が剣の達人、男の子の方が弓矢の達人だそうで。面白いですね。普通逆だったり、女の子の方は別の事が得意だったりすると思うんですが。

 その双子は、お互いの特技でお互いをカバーしあい、悪い魔物を退治するというお話でした。初めて聞きましたが、面白い話でしたよ。


 そうしているうちに、外でノックのような音がしました。

 てっきり、事が終わったという合図だと思い、何人かが扉のバリケードをどけようとした瞬間でしたね。

 熊がいる、という叫び声が聞こえました。

 奥様の声のように感じましたが……奥様はご自身の部屋に籠っていたはずなので、違う誰かだったのでしょう。

 あ、あの方かもしれませんね。エリック様を救出しに行った方です。

 黒いお召し物で、コテージでは見た事がない方でした。このリゾートの組合の方だったのでしょうかね。

 銃撃戦の音がして、少ししたのち、その方がもう終わったと連絡しに来てくれました。

 ……? お子様がたのお知り合いだったのでしょうかね? お子様がたが飛びついていらっしゃいましたから。

 このリゾートで出会って、きっと仲良くなった方だったのでしょうね。お子様がたは本当に全身で喜びを表現なさっておりましたから。


 ああでも……熊肉の料理は、大変でしたね……私は調理した事がなかったのですが、まぁ固いし脂が凄いし。匂いも結構強かったですね。本当に試行錯誤させていただきましたよ。

 それに……いや、これは私が、という事ですが。

 私は熊肉を食べませんでした。食べられなかった、というのが正解です。勿論私の分もありましたよ。

 しかし……あの熊、聞いたところによると、人を襲ったそうですね。それってつまり──

 アンドレウ夫人やアティ様の家庭教師、そしてエリック様の世話係の少年も食べておりませんでした。

 しかし、奥様は勿論それも想定していたようで、別の普通の料理の準備もご依頼されましたから。


 正直に、お伺いさせていただきました。

 その、気持ち悪くないのか、と。

 奥様は、少し神妙な表情をなさっておりました。

「私自身は、こちらの都合で一方的に殺した動物を、ただ殺したかったから殺した、もう不要だから捨てる、そういう風な扱いにしたくないのです。

 でも、心理的葛藤があるのは当然です。そこを無理強いするつもりはありません」

 そう、仰っておりました。


 ……実は、ですね。今回、我々は熊の内臓の処理等は行っていません。

 行ってくださったのは奥様と、そのご友人でした。

 取り出して洗って、我々が利用できるようになさってくださっていたので、おそらく、その中から──

 そこまでやってくださった方のお言葉ですから。

 納得させていただきました。


 いやぁ、色々ありました。

 濃密な期間でしたね。

 冬休みだから休みたいと、断らなくて本当に良かったです!

 こんな経験、おそらく他では絶対にできなかったでしょう! ……まぁ、熊は金輪際出会いたくありませんけれどね……


 奥様がいらして──まだ一年程しか経っていませんね! 意外です! もう何年もいらっしゃるような気がするのに!

 そうですね、今後もずっと、カラマンリス邸に勤めさせていただきたいです。

 そしてより腕を磨き、皆様を喜ばせていきたい所存です。はい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る