第192話 幼馴染が現れた。
部屋の壁に肩をもたれかかせ、腕組みしたアレクがニヤニヤした顔で私の事を見ていた。
「アレク!? なんでまだいるの!?」
私が慌てて腰を浮かすと、アレクは手で制して肩にかけていた猟銃を見せた。
「組合からの指示で、万が一の時の護衛だ。今日は応接室で寝ずの番」
そう言いながら猟銃を肩から降ろすと、サミュエルが先ほどまで座っていたソファにどっかりを腰を下ろした。
彼は、ソファの肘置きに肘をつき、顎を軽くさすりながら私の顔をジロジロと見ていた。
「……何?」
もしかして、顔に傷でもありましたかね? 気づかなかっただけで。
「いや、無事で良かった、と思ってね」
あ、そう言えば、最後のアレはアレクに助けられたんだ。そういえばバタバタしててお礼を言うのを忘れてたわ。
「アレク、助けてくれてありがとう。アレクがいなかったら、私確実に死んでた。ベッサリオンにいた時より、銃の腕、あがったんだね。凄かったよ」
本当に。あの最後の一撃が熊を射抜いてくれなかったら、私は八つ裂きにされていた。
「ああ、当たって良かったよ。ま、撃ち抜く自信はあったけどな」
肩をすくめてそう軽く返事をするアレク。
しかし、そのすぐ後、少し真剣な表情になった。
「……実はさ、俺はお前に言ってなかった事があるんだ」
えぇ!? まだ何かあんの!? いや、もう驚かないぞ。アレクが何を言ったって。
「……お前が前に大怪我した時の事。俺も狩りに行ってたのは知ってるよな?」
そう言われ、私は昔の記憶を掘り起こしながら頷いた。
アレクは、息を吸って何かを言いかけたが、一瞬止める。
戸惑うかのように口をモゴモゴさせた後、鋭く一つ息を吐いてから、改めて口を開いた。
「俺、お前が熊に襲われている所を、遠くからだけど……見たんだ」
アレクのその言葉に、私の呼吸がヒュッと止まった。
「セリィは、俺の目がイイのは知ってるよな。遠くからだったが、見えたんだ。で、援護で撃とうとした。でも……あの時は、撃てなかった……」
そう語りながら、彼はソファにたてかけていた猟銃をスッと撫でる。
「お前に当たるかもしれない、そう思うと、引き金を引けなかった」
アレクの顔が、
「お前が助かった時には勿論嬉しかったし、喜んだ。でも……後悔していた。あの時撃てていれば、お前の身体にそんな傷、残らなかったのかもしれないって」
そんな事を、ずっと思っていたんだ。
そうか、だからアレクはあの時、私を励ます言葉を言わなかったのかもしれない。後悔があって、言えなかったのかもしれない。
「
でも、俺その時気づいたんだよな。
お前の身体に傷が~ってのは、お前が生き残れたから言える事だって。
死んだら元も子もない。
だから、今日は迷わなかった」
アレクが、スッと視線を私の方へと戻した。
「で、おかげで無事熊を撃ち抜けた。ありがとな」
そう笑顔で言われ、私は首を
「何がありがとうなの?」
「襲われてたのがお前で」
なんやねんソレェ!!
私が抗議の為にまた腰を浮かすと、アレクがハハッと快活に笑った。
「だって、俺、やり直せたんだぜ? お前を今度は助けられたんだ」
彼は私を手で制しながらも、私を真剣に見返してくる。
「あの時の後悔を、
そして、胸に手をあてて、最上級の礼をしてきた。
……なんだか、気恥ずかしくなってきてしまった。昔馴染みのアレクに改めてそんな事されると、なんかくすぐったい。
「もしかして、電話で言おうとしてた事って、それ?」
昔、撃てなかったんだ、ごめんって?
そう尋ねてみたが、アレクは首を横に振る。
「いや、それじゃない」
「え? じゃあ電話で何を言おうとしていたの?」
死亡フラグだと思って言わせなかったんだけど、じゃあ何を言おうとしてんただろう?
聞いてみたが、アレクは口を閉ざしてしまった。
えー。言わないの? 死ぬ気にならないと言えない事だったワケ? それってどんな話よ。
すると、アレクはフーッと大きく長く息を吐き出したのち、ソファの背もたれに身体を埋めて、チラリと二階の方へと視線を向けた。
そして突然、ニヤリといやらしい笑みを顔に浮かべて振り返った。
「そういえば、お前ってさ……無自覚人タラシだよな。タチが悪い」
ハァ!? 突然何!?
「何それ! 違いますゥー!」
「お? つまり意図して人とタラシこんでんのか。うわぁ」
「言い方! 私は味方を集めてんの!」
「ああ、なるほど。物は言いようってか」
まるで詐欺師みたいな言い方しないで欲しいわ。
私は敵の方が多いからな! 周りは相変わらず敵だらけだかんな!!
ってか、今話逸らした。メッチャ逸らしたな。相当言いにくい事を電話で言おうとしたなこの野郎。気になるじゃねぇか。
でも……言いたくないならそれでいいや。気にしないもん。うん。
「ま、良い手だな。信頼を得てから秘密の暴露。相手は『セリィにとって特別』なんだという印象を与える。人を惚れさせる
「人を結婚詐欺師みたいに言わないでもらえる? 惚れさせるつもりもないし。他の人にだって同じようにしてらぃ」
なんて事を言うんだコラ。マギーにだってアンドレウ夫人にだって、ヴラドさんにだって同じ事しとるわ。
「え、でもだって、あの執事? の、あの態度。感情丸見えじゃん」
サミュエル、言われてんぞ。
「物珍しいからそうなるんじゃない? それに、彼の女性の好みは『
ダニエラとかな。
「えぇッ!? そんな事まで話してんのっ!? やだ! 仲良すぎじゃん!」
「いや、直接『好みは?』なんて話してないよ。ただ、前に色々あって、そうなんだろうなって思っただけ」
「はーん……」
顎をさすりながら、口をあけて気の抜けた返事をするアレク。何さ。何その顔。なんでさっきからずっとニヤニヤしてんのさ。
「ま、相手がどう思おうと、あの執事? は勝ち目はねぇな」
アレクが、あからさまに『残念』といった顔をして肩をすくめて見せた。
「何よ、勝ち目って」
誰と戦ってんだよ。私とか? ああ確かに負ける気はねェ。
私がそう尋ねると、アレクがここ一番のニンマリ顔をしてみせた。やらしい顔っ!!
「だって、お前の傍には、お前が一番『好みのタイプ』がいるじゃん」
笑いを噛み殺してるかのような声で、そう囁くアレク。
ドキッとした。
「そういうのヤメ──」
「いやぁ、確かにゼノ様はセリィの好みの顔だなって思ってたけどさァ。それをそのまま大人にしたような人物が、セリィのすぐ傍にいるとは思わなかったなァ」
明言しなくても誰の事言ってんのか分かるぞ! やめろコラ!!
「だから──」
「獅子伯とは一度ぐらいしか直接話した事はなかったから、そん時はそんな事全然思わなかったけど。ベッサリオンにいる時も、伯爵家のお前らは縁があったけど、子爵の俺たちは獅子伯にはお会いした事なかったしな。
今回初めて間近で見て思ったわァー。『やだっ……タイプ! セリィの』って」
「おちょくんなコラ!」
いいかげんにせぇよ!! 笑ってんじゃねぇぞコラ!!
ひとしきり楽し気に笑ったアレクが、一度息をついて、改めて私の顔を見た。
「獅子伯、確か前の奥様を亡くして以来ヤモメだろ。チャンスじゃん」
口元は笑っていたけれど、視線は真剣だった。
言われて、ふと私は視線を逸らした。
薪が爆ぜる暖炉をじっと見つめ、そして、ゆっくり口を開く。
「いや、もう、そういうの、やめようと思って」
その時のアレクの顔を見たくなかったので、私はそのまま暖炉の火をじっと見つめ続けた。
「やめるって、何を?」
彼の質問が聞こえる。
「レアンドロス様と再会してから今日まで、ホント、楽しかった。レアンドロス様といるとね、安心するんだよね。それに、自分でもビックリするぐらい浮かれるの。
でも──」
一度そこで言葉を切って、呼吸を整えた。
「そうやってウキウキするのも終わり。距離を置かないと。だって、私はアティの母でツァニス様の妻だから」
これ以上距離を詰めたら、引き返せる自信がない。
貴族間の不倫なんて耳にタコができるような話みたいだけど、私は違う。
不倫なんぞしたくない。
沈黙が舞い降りた。
アレクは何も言わない。
私も、これ以上これについては、もう何も言う事がない。
これ以上考えちゃいけない事だから。もう考えちゃいけない。
アレクが、大きなため息を一つついた音がした。
そして
「セリィって、相変わらずバカなんだな」
そんな言葉で横っ面をハタかれた。
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