第190話 美味しくいただく事にした。(※残酷表現注意)
私が取り出した内臓を
「これが熊の
アレクは、切り離した
私は鋭く息を吐くと、肋骨を切り開く為に胸骨にナイフを突き立てた。
硬ェ! ナイフに体重を乗せながらなんとか続けるが、一度休んで額の汗を拭った。物凄く力がいる。こんだけデカいから当たり前か。
傷に響くわ。左腕が引きつって痛ェ。でも怪我をしてる事がバレたらマズイ。私はなんとか我慢する。
「代わろう」
見かねたレアンドロス様が、私の手からナイフをやんわりを取り上げた。そして続きを行ってくれる。
私はワキに退いて大きく一つ息をついた。
そういえば。レアンドロス様が戻って来た時は男装は解いていたけど、きっと傷の事を含めてヴラドさんが報告してんだろうなぁ。……怒られなかったけど、視線が全てを語ってた。怖かった……。
「じゃあよ。山にいる熊、全部感謝して食っちまおうぜ」
レアンドロス様の手際を、眉根を寄せつつも視線を外さず見ながら呟いたのは、テセウスだった。
良い考え! 的な感じでエリックも目を輝かせる。
その言葉を受けて私が口を開くよりも先に
「それはダメだよ」
テセウスの言葉を否定したのは、ゼノだった。
「なんで?」
疑問顔でゼノを見るテセウス。ゼノはアワアワとしながらも、視線を巡らせて言葉を探していた。
「ええと……熊がいなくなると、鹿が増えちゃうんだよ。鹿は、草を食べ尽くしちゃうし、冬になると木の皮を食べて木を枯らしちゃうんだ」
おお、ゼノは知ってるのか。さすが、メルクーリの人間。
「鹿が増えるのは良くね? 捕まえまくって食いまくれるじゃん」
テセウスのそんな切り返しに、ゼノは困った顔をした。
「そんな簡単にはいかないよ。鹿が山に何頭いると思ってんの」
言葉を継いだのはイリアスだった。
「多分、この山だけで鹿は数百頭いるんじゃないかな。人が入れない深い山にはもっといるかもね。
増えないようにそれを狩るには、物凄い人手と金と時間が必要だよ。
その事だけに労力はかけられない」
さすがイリアス。そんな事まで知ってんのか。
イリアスの言葉に、テセウスは面白くなさそうに口をとんがらせて
「そんなの知らねェし」
ちょっと
私は笑って、そんなテセウスを見る。
「知らない事は誰にでもあります。知らない事は恥ずかしい事ではありません。
今、イリアスはテセウスが知らない事を教えてくれました。
テセウスは、今度はそれを踏まえて考えてみればいいんですよ。ただそれだけです」
そう伝えると、テセウスは少し恥ずかしそうにして、小さく『ウン』と頷いた。萌え殺す気かこの野郎。
私は山の方へと視線を向けた。
それに釣られて、子供たちも山の方へと視線を向ける。
「自然は、絶妙なバランスとサイクルで成り立っています。その中の一つの歯車がなくなっただけで、全てが狂って壊れてしまう事もあるんです」
私は、前世の世界の事をボンヤリと思い出す。一度バランスが崩れた自然は、緩やかな滅びのサイクルに入り、何が消えるまで止まる事はない。
「熊が減れば、熊が食べている鹿などが増えます。鹿が増えると草木が減ります。鹿は食べ物を求めて農作物を荒らします。
鹿を獲物にしている狼が増える事もあるでしょう。増えた狼は鹿を取り尽くして、そのうち人や家畜を襲います。
また、草木が減れば、山は土砂崩れを起こしやすくなり、川に土が混じって濁ります。虫も消えて魚がいなくなります。
また、その先にある海に栄養がいかなくなり、海の魚も減ります。
全ては影響しあってるんです」
そう、全ては影響し合い、関連しあってる。
レアンドロス様が熊の胸を開き終えてくれた。彼はそのまま、関節や骨の継ぎ目にナイフを入れて大きく部位ごとに解体していく。
レアンドロス様が傍に退けた大きな肉と骨の塊に、私はナイフを入れて骨と肉を分けていく。
段々と、皆んなが知っている『肉』の形になっていったからか、誰かが『美味しそう』と呟いた。現金だな。ま、分かるよ。だよね。
「でもさ。そうだとしたら。人間って……邪魔じゃね?」
テセウスが、そうポツリと呟いた。
なんて
「なんでだ?!」
エリックが、キョトンとした顔でテセウスを見上げる。
アティは先ほどから、黙ってレアンドロス様の手元をジッと見ている。
「だってエリック。人は勝手に『熊は危ないから狩らなきゃ〜』『農作物が荒らされるから鹿を狩らなきゃ〜』とか言ってんじゃん。
それってさ、さっきセレーネが言った『バランスとサイクル』を崩す事になんだろ?」
テセウスがそう説明すると、エリックは腕をクロスさせて眉根を寄せて、うーんうーんと唸り始める。
……か・わ・い・いっ! エリック、そうやって腕組み出来ないまま成長して欲しい!
「あぶないから、クマ、たおしたい。
クマ、へる。しか、ふえる。ダメ。
やさいたべちゃうから、しか、たべる。
しか、へる。クマ、おなかすく、ひとたべる。ダメ。
うーん……?」
一人でブツブツ独り言をこぼしたエリックが、次第に目を見開いて『ホントだ!』という顔をした。
「イリアスどうしよう?!」
絶望、といったショックを受けた顔をしたエリックが、必死の形相でイリアスにしがみついた。
「一匹も狩っちゃいけないって事じゃないよ。熊を狩りすぎちゃいけない、鹿を狩りすぎちゃいけないって事」
苦笑したイリアスが、ポンポンとエリックの頭を撫でて彼を落ち着かせる。同時にゼノもウンウンと頷いて言葉を継いだ。
「人里に降りて来る危ない熊だけを狩る、とかね。でも、僕たちが何にもしなかったら、熊は里に降りてきちゃうものだから、僕たちも熊が来ないように工夫する必要があるんじゃないかな」
「棲み分けだね」
ゼノの解説に、イリアスが付け足した。
「熊の方は、楽に美味しい物を食べられる場所を求めるのは自然な事。
僕たちは、熊が危ない、でも熊を駆逐しちゃマズイって分かってる。
だから僕たち人間の方が、熊の生態とか色んな事を調べて理解して、熊たちが寄ってこないようにするんだよ。
それが『棲み分け』。
お互いにお互いを不可侵にするんだ」
「ふかしん?」
「近寄らないこと」
「ふーん」
ホントに理解したんか? エリック……
でもまぁいい。既に理解してるイリアスとゼノがそばにいて、いずれ大きくなったらエリックも理解できるようになる。
それでいいよ。
そうこうしているうちに、熊の解体が終盤に差し掛かる。
「首はどうする?」
レアンドロス様にそう問われたので
「落としましょう。今回は全部バラします」
そう答えると、レアンドロス様は頷いて手足と首を落としてくれた。
私は残りの肉を毛皮から切り離した。
「毛皮は加工して使いましょう。骨は飼料にします。油は貴重ですね。町ではなかなか手に入れられませんし、是非持って帰りたい」
そう伝えると、いままで黙って見ていたサミュエルが『えっ?!』と声を上げた。
そっか、知らないのか。
「熊の油は保湿力があり、傷を治すのに最適なんです。私のこの体の傷の治療にも使われました。細かい傷については、油のおかげで綺麗に消えましたよ」
実は今ある腕の傷にも使ってる。ま、ちょっと臭いけどね。
「それは本当?」
そんな声が、遠くから飛んできた。
何事かと思って振り返ると、ポーチの所にいつの間にか出てきたアンドレウ夫人が、口元を扇子で隠しながらも興味津々という目で見てきていた。
「ええ。事実です」
身をもって実証済みッス。
「じゃあそれってもしかして……」
皆まで言わないアンドレウ夫人。そう、貴女の予想通りですよ。
「そうですね。つまりお肌にとても良いって事です」
乾燥防止──ひいては、
私の答えに、アンドレウ夫人の目がキラリと光った。
なので一応、釘を刺しておく。
「これを目的に熊狩りを命じないで下さいね」
アンドレウ夫人の事だから、絶滅するまで狩りを命じそうだよ。
「まぁ失礼ね。そんな事はしないわ」
アンドレウ夫人が、口元をパタパタ仰ぎながら、サラリとあらぬ方向に視線を移す。
「そういう効果のあるものは、貴重だから価値があるのよ」
サラリとそんな事を言った。
……アンドレウ夫人、公爵夫人というより、敏腕実業家って感じ。その方が世の中の為になるんじゃね?
私は苦笑しつつ残りの作業に取り掛かった。その様子を、子供達はジッと見続ける。
分解した肉を見て、アティがポツリと
「おいしい?」
と聞いてきたので
「今日の夕飯で、確かめられますよ」
そう答えておいた。
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