第180話 制御をお願いした。

「嫌ですよ。勝手に二人でよろしくやって下さい」

 物凄く嫌そうな顔をしたマギーに、にべもなくピシャリと断られた。


 私とアティの隣の使用人用の部屋の入り口に立ち、心底ウザイんですけどという顔をするマギー。

「そこを何とか!」

「なりません」

 うわー。とりつく島もねェ。

「エリック様が静かになってやっと眠れるんですから、貴女も大人しく寝ればいいんですよ。何誘いに乗ってるんですか。二人きりが嫌なら断るのが正解じゃないんですか?」

 ぐぅの音も出ないド正論っ!!

「すみません……」

「謝りの言葉が聞きたいのではありません。今からでも遅くないから断って来てください」

 ぐう!! 優しさはない! さすがマギー!

「だって、折角の機会だから色々話したくて……」

「じゃあただ話をしてくればいいんですよ。それ以外しなければいい」

 正解!! ああでも今は正解が聞きたいんじゃないんだけどなァー!


 反論できず私が口を閉ざしてしまうと、マギーは盛大なため息を一つついた。

 部屋の中で眠るニコラを一瞥すると、部屋から出て来て扉を閉める。

「……何をそんなに警戒しているのです」

 廊下の壁に少しもたれかかりながら、彼女は私を呆れた顔で見た。

 言葉を促されたので、考えながら口を開く。

「……そりゃ私も、いつもただ話をするだけだし、そのつもりでそうしてるんだけど……」

 思わず言いよどんだ。

 でも、なんとかモヤモヤする気持ちを言葉にする。

「獅子伯と話すと……その、勝手に動いちゃうんだよ、気持ちが」

 過去、レアンドロス様と話した時の事を思い出す。

 彼と話していると、いつも心が揺り動かされて泣いてしまったりする。

 そんなつもり、毛頭ないのに。

「ツァニス様と話す時も勿論気持ちは動くけど……獅子伯と話す時はそれとは違くて、予想外に予想外な方向に揺さぶられる……」

 ぶっちゃけ、ツァニスの時と獅子伯の時と、動く気持ちの種類が違うと感じる。

「だから、そもそも話さなければいい、そばにいなければいいって思うんだけれど、獅子伯と話すのと意外な気づきとかがあって、話していて楽しい。彼と話していると、自分が成長してるって感じる。

 それに、凄く安心感があるの。何を言っても大丈夫なんだっていう……」


 獅子伯は、私を頭から押さえつける事はせず、まず話を聞いてくれる。もし私の意見が違うという事はあれば『自分はそう思わない。自分はこう思う。こういう理由だから』と意見のすり合わせをしてくれる。

 私では気づけない視点での話もしてくれて、とても有意義に感じる。

 そして、安心感。

 それが私を饒舌じょうぜつにさせて、色んな気持ちが湧き起こってくる。

 ツァニスと話す時はそれがない。

 そういう話をツァニスとしないからかもしれないけれど。

「獅子伯ともっと色々話してみたい。でも、話すと……心が揺れる。不意に心臓掴まれたみたいになって……怖い」


 正直にそう話すと、マギーが呆れた顔をした。

「それって、獅子伯の事が好──」

「言わないで!」

 マギーの言葉をすんでのところで遮った。

 遮られたマギーはいぶかし気に私を見る。私は彼女に懇願の視線を向けた。

「言葉にしないで。言葉にしたら認める事になる」

「言葉にしなくても、もう認めてるではないですか」

 うっ。それは、そうなんだけど……

「でも! それは言っちゃいけない言葉なの! そうじゃなきゃ私は──」


 アティの母でいられなくなる。

 ツァニスの妻でいられなくなる。


 これも口にしたくない。

 口にしたら、現実になってしまう。

 私は、比較的言霊ことだまを信じてるから。


 獅子伯とは沢山話したい事がある。

 でも話したら違う気持ちが混ざり込んでくる。

 いや、でも。

 マギーの言ったことももっともだ。

 そんなに怖いなら話さなければいい。

 話すなら話す事だけに集中すれば良い。

 私の理性次第だ。


「私は今、もしかして試されてるのかな? アティへの愛情が他の物より強いのか」

 そう口にすると、ホラそんな気がしてきた。

 私は今試練に挑もうとしてるのか。

 アティへの愛情が強いのか。

 試されてる。

 やってやろうじゃん。

 証明してやるよ。アティへの愛が強いって。

「……貴女って、実は被虐的ですよね」

 勝手に自己完結した私に、マギーが酷くゲンナリした顔を向けてきた。

「そんな事ないよ?! 私は自分に激甘よ?!」

 じゃなきゃ事あるごとに嫌だと声を上げないよ!


「まぁ、私は貴女が何をどう思っていても構いません。アティ様を傷つけなければ」

 マギーは、ガウンの前を改めて閉めてため息と共にそう吐き捨てた。

「で。結論が出た所で、もう寝てもいいですか? 眠いんですけど」

「うん! もう大丈夫!」

 今日こそはイケる気がする! いざって時はアティの頭皮の匂いを思い出すし!!

「じゃ、行ってくるね! いざ! 決戦の場へ!!」

「……どんな意気込み方ですか……」

 マギーは心底嫌そうな顔をして体を返した。

 部屋の扉を開けて、しずしずと戻っていく。


 それを見送っていた私に対して

「ああ、一つだけ、言っておきたい事がありますね」

 マギーがふと足を止めて、ユルリと振り返って私を横目で見た。

 え、なんだろう。アティの頭皮の匂いだけじゃ弱いかな。天使の寝顔も一緒に思い出した方がいい?


「傷が浅いうちなら私は大目に見ますよ」

 え? 何? 何の傷?

「まだ一年です。たった一年。ま、貴女の残した影響は小さくはないけれど……でも、それも時間が解決するでしょう」

 え、マギー、何言ってんの? 何の事? それって──

「別に私は貴女がいなくなっても構いません。むしろ好都合。独占できますからね」

「マギー、それって──」

「では、お休みなさい」

 私の問いかけに答える事なく、マギーは扉を閉めてしまった。


 取り残された私は、そこで一人立ち尽くす。

 そして、マギーが残した言葉の意味を、ボンヤリと考えてみた。


 ***


 リビングのソファに座る。

 暖炉の薪がパチパチと爆ぜていた。

 対面に離れて置かれた二脚のソファに、私とレアンドロス様がそれぞれ座る。

 これだけ距離が離れていれば問題ない筈。


 しかし。

 別れ際にマギーが言った言葉が頭から離れない。

 マギーはもしかして、私に離婚という選択肢があるって言ったの?

 そんな。

 そんなの──


「セレーネ殿」

 名前を呼ばれてハッとする。

 レアンドロス様が、ウォッカのグラスと自分の首を小さく傾けながら私の顔を見ていた。

 あ、しまった。別の事を考えてしまっていた。

 もう! マギーが捨て台詞で余計な事を言うから!!


「すみません。ゼノの事でしたね。

 ゼノは率先してアティやエリック様の面倒を見てくれます。

 今日なんか、無理を言ったアティをたしなめたんですよ。凄く優しく、アティに分かる言葉で、アティの気持ちを優先させながら。

 凄いですよね。同じぐらいの歳の時の私なんて、そんな事出来ませんでしたね」

 私は、今日のソリの出来事を思い出す。

 アレはホントビックリした。そしてゼノの成長に感無量。

「そんな事が」

 レアンドロス様は、私の報告を聞いて目尻を下げる。

「まぁ結局、頑固なアティの説得は出来ませんでしたけどね」

 私がそう笑うと、レアンドロス様も釣られたのか歯を見せた。


「ゼノは我が弱かった。弟に押されっぱなしだったな。

 俺やレヴァンの顔色ばかりを見て、自分からは動く事が出来なかったのに……

 今日、あの無礼な輩たちにも啖呵を切っていた。

 今までのゼノでは考えられない事だ。

 セレーネ殿のお陰だな」

 レアンドロス様はそう私を褒めてから、ウォッカを舐める。

「いえ。もともとゼノが持つ気高さです。

 私は何もしていません」

 これは事実。私はただ、ゼノにノビノビと生活してもらっただけ。

 勿論、貴族令息として締める所は締めるけれど、それはオンオフつける為だけだし。


 すると、レアンドロス様がフッと鼻で笑った。

「それは、セレーネ殿が良い背中を見せているという事だな。

 何かを示したいならまず自分でやってみせる。良い教育方針だ」

 そんな……いちいち持ち上げなくていいのに。ぐぅ。揺らがんぞ。私の心はこれぐらいでは揺らがんぞ!

「それは私ではありませんよ。

 ゼノが目指したい理想像はレアンドロス様です」

 褒め返し。

 そう、ゼノが気高くいるのは私を参考にしてるんじゃない。

 ゼノの憧れはレアンドロス様だ。ゼノは彼を見習っているだけ。私はその背中を押しているに過ぎない。

「ははっ。それは嬉しいな。より一層、ゼノに恥ずかしくないようにしなければ」

 レアンドロス様はそう照れながら、ウォッカの残りをグイッとあおった。


 よっし。

 このままいけば、今日は問題なく過ごせそう。良かった良かった。

 そう安心して、ガラスのワインを飲み干そうとした時だった。

 レアンドロス様が、空になったグラスに視線を落としながら口を開く。

「そういえば。

 あの場にいた管理組合の一人──アレクシス、だったか。

 セレーネ殿の元婚約者で──ヴラドに聞いたが、もともとウチの森林部隊だっとか」

 ぐふっ!!

 口に含んだワインを思わず吹き出しそうになって、私はなんとか口を押さえた。

 そのせいで鼻にワイン入った!! 痛ェ!!!


「セレーネ殿はもしや、彼に会いにここまで来たのか?」

 レアンドロス様のその問いに、私の身体がビシリと硬直した。

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