第166話 手も足も出なかった。

「え? 許嫁いいなずけ?」

 アンドレウ夫人の目がキラキラと輝いて、続く言葉をアレクシスに催促する。

「ハイ。ええと、セレーネが離婚した事はご存じで?」

 アレクシスはニコニコと返事する。

「ええ」

「その後、少ししてから私が兵役につくまでは、婚約して許嫁いいなずけだったんですよ。ま、いい歳して未婚だった私と、次の結婚話が来ないセレーネの体裁ていさいつくろう為でしたけどね」

 私は、アレクシスの言葉に頭を抱えた。ああ、もう、顔あげてらんない……

「ただ、実際に結婚してしまうと色々面倒だったので、婚約止まりでしたけど。お互い都合が良かったんですよ」

 もうやめて。聞いてらんない!!


 だから嫌だったんだよ、アレクシスを家に上げるの。

 絶対この話出ると思ったッ……!

 ああもう、アンドレウ夫人はこの手の話好きでしょ!? 根掘り葉掘り聞くでしょう!?

「アレクもういいから!」

 私が思わずそう止めに入ると

「え? セリィ隠してたのか?」

 アレクシスがキョトンとした顔をする。

「そりゃ再婚先でそんな話しないでしょ!?」

「そうか? お前あけっぴろげだから、アレコレ余計な事喋ってると思った」

「立場ぐらい私でもわきまえますー!」

「お前が『立場をわきまえる』って……どの口が」

「この口ですけど何か!?」

 そこまで言いあってから、ハッと我に返る。

 まわりが、シンとしてる……


「アレク」

「セリィ」

 ヴラドとアンドレウ夫人が、驚愕の眼差しで私たちを見ていた。

 ──ああしまった!!!


「とても親密な許嫁いいなずけだったのですね」

 ズバンとそんなツッコミを入れて来たのは、アティのそばにいるマギーだった。

「違ッ……私とアレクはもともと子供の頃から──」

 アワアワそう言い訳しようとすると

「おかあさま、セリィっていうの?」

 おやつを食べ終わったアティが、私の事をキョトンとした顔で見ていた。

「あ、そうです。私の愛称で、ベッサリオンの親しい人はみんな私をそう呼ぶのですよ」

 思わずそう解説すると

「かわいいおなまえ」

 とアティがフニャアと溶けた笑顔をぶち込んできた。

 ありがとーーーー! アティも可愛いよっ!! けど! 今は! それどころじゃないっ!!!


「まぁまぁ、とても仲が良かったのですね。という事は──」

 アンドレウ夫人が、どこから出したのか扇子で口元を隠しながら問いかける。絶対ニヤついてるの隠してるでしょソレェ!!

「そうですね。それなりに」

 ニッコリとした笑顔で答えるアレクシス。

 何が『それなり』やねん! 逆に意味深すぎんだろォ!?

「兵役につく許嫁と、無事帰還した後に晴れて結婚をする事を約束した二人……ロマンティックですわね」

「違いますよ!? アレクシスが兵役についた時に解消しておりますからねっ!」

 その証拠に、ツァニスと再婚してるでしょうがっ!

 しかし、なんか盛り上がった雰囲気に私の言葉は届かず。

「気のおけない仲、というものかしら?」

「そうですね。確かに体裁の為の婚約でしたが、相性は悪くなかったと思います」

「相性!」

「お互いどう感じてるのか、文字通り手にとるように分かりましたから」

「まぁ!!」

「勘違いなさらないで下さいよ?! 性格の、ですからね?!」

「してないわ。セレーネこそ何と勘違いしたの?」

「ぐゥッ……!!」

 勝てねェ! アンドレウ夫人とアレクシスの組み合わせ、勝てる気がしねェ!!


 ふと見ると、マギーとイリアスがキラッキラした顔して私の事を見ていた。

 なんて輝かしい嗜虐しぎゃく的な微笑みっ! こわっ!!

「普段何かとエラそうに説教する人が」

「手玉に取られてるのを見るのは気持ちがいいね」

 二人してなんで清々しい顔してそんな事言うのっ?!

「ま、でもホントはね。手玉に取るのは自分がいいんだけど」

 イリアスが変な事付け足した!

「そうですね。分かります」

 マギーまで何言ってんのっ?!

「イリアス様はこれからでございますね」

「うん。語学の勉強にも熱が入っちゃうね」

 こっちのペアにも勝てる気がしねェ!!


「くっだらね」

 そう吐き捨てたのは、おやつも食べ終わってお茶を飲んでいたテセウスだった。

 つまらなそうな顔をして椅子から降りたテセウスは、エリックとアティ、そしてゼノのカップの中身に視線を落とし

「おかわりいるか?」

 サラリとそう尋ねる。

「いる!!」

「ハイ」

「あ、僕はもう大丈夫」

 問われた子供達が各々返事をするのを聞いて

「エリックとアティは同じのか? 今度はミルクティにするか?」

 テーブルの上をテキパキ片付けながら再度問う。

「ミルクティ! あまいの!」

「アティはミルクのままがいい」

「あいよ」

 元気よく返事したエリックとアティに、テセウスは笑って頷いた。

「あ、僕も手伝う」

 そう腰を浮かせたゼノだったが

「ゼノは座ってろ。それか、セレーネ助けてやれよ」

 テセウスにそう止められた。

 言われたゼノは

「え」

 困った顔で私の方を見て、困った顔のままヴラドを見て、さらに困った顔をしてテセウスに視線を戻した。

「ど……どうやって?」

「知らね。考えろ」

「えぇー……」

 テセウスに適当にあしらわれたゼノは、キョロキョロと周りを見回す。大人たちはみんな苦笑してゼノを見ていたけれど、しかし何も言わないので、椅子から降りたゼノはトコトコと私が座るソファの元へと来て

「た……助けに来ました」

 そう言って私の隣にポスンと座り、手をギュッと握ってきた。


 ハイ! ドキュンとキタよーーー!!

 ゼノそれキュンとしたキュンとした!!

 私を守ってくれてるんだね!! 心強いよ! これで私の元気は百倍だよッ!! 負けない気がするよ!!!

 ゼノやっぱりイイ男! なるよ! 確実に!! 知ってる!!!


 その様子を見ていたアレクシスはポソリと

「ゼノ様はセリィの好みの顔だな」

 そう呟いた。

 何言ってんのォォォォ!!?

「アレク!!」

「え? 事実だろ? だってレヴァン様の何処か気に入る所はないのかって聞いたら『顔』って……」

「言ったけど! 言ったけれども! それは子供の頃の話で!!」

「え? じゃあゼノ様の顔、好きじゃないのか?」

「好きですけどォ?!」

 ──ハッ?! またやっちゃった!!


 恐る恐るゼノの方を見ると、顔を真っ赤にしたゼノが、目をまん丸にして私の事を見上げていた。

 私の手を握っていた手を、フルフルと震わせてゆっくりと離し、そしてそのまま顔を両手で覆ってしまった。

 もう! ワザとだなアレクシス!!

 それを証拠にアレクシス、ニヤニヤしながらゼノの事を見ていた。

「チッ……思いもよらぬ所に伏兵がっ……」

 憎々しげにそう吐き捨てたのはイリアスだった。

 もう何が何だか! 混乱してきたぞ!!


「アレクシス! 仕事は?!」

 なんとか彼を追い出したくて言い訳を探す。

「あ、大丈夫。休憩中」

 サラリと笑顔でかわされた。クソっ!!

「でも、そろそろ戻った方がいいのではないですか?!」

「酷いなセリィ。運命の再会果たした俺を、まるで厄介払いしたいみたいだぞ?」

 その通りですけど?!

「そんな事──」

 ある。ある。ある。めっちゃある。ぐう!

「あー。酷いなァ、セリィ。お前が好き勝手立役者を邪険に扱うなんて」

 ギャフン!!

 剣術大会の事言ってんな?!

 確かに! 確かに手を回してくれたのはアレクシスだったねその節はありがとう!!!

 くっ……ここには、私の男装の事を知らないアティとゼノとサミュエル、その他家人たちもいるし、万が一バラされたら痛ェ……


 クソっ! 手も足も出ねェ!

 だからホント家にあげたくなかったんだよチキショウ!!!


「……セレーネ様も、太刀打ちできない人間がいたのですね……」

 テセウスと一緒におかわりを持ってきたサミュエルが、意外そうな呆れたような、なんだか微妙な顔をしてポツリとそう漏らす。


「ふふっ。ここに来て今が一番楽しいわ」

 口元でパタパタと扇子を仰ぎつつ、アンドレウ夫人がコロコロと笑った。

 それは……ようございました……楽しんでいただけたようで、私も嬉しいです……


 私は再度頭を抱えて、自分の膝に顔を埋めるしか出来なかった。

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