第125話 頭の痛い出来事だらけだった。

 しばしの沈黙の時間。

 それが、酷く長いように感じられた。


 背後から聞こえる微かなレアンドロス様の声。

「……弟と離縁した時、元伯爵から俺の後添えとして推された事はある」

 そうなの!? お祖父じい様何してんのッ!?

「しかし、散々ウチメルクーリに色々な事をやられた後だ。メルクーリにそのまま残すのは酷だろう。弟から兄に乗り換えたんだと、そうバカな事を言う口さがないヤツらはウチにも沢山いる。

 それに、俺はその時、もう結婚する気はなかった」

「今は?」

 ツァニスの質問に、しばらくまた間があいた。

 心臓が肋骨突き破りそう。酸素足りない。苦しい。落ち着け私。ここにいるのがバレてしまう。


「……言わない美学もある。そう思わないか? セレーネ殿」

 ビクーーーーーーーーーーン!!!

 バレてた! とっくにバレてた!! いる事めっちゃバレてた!!!

「セレーネ!?」

 ツァニスの驚いた声。それと同時に足音がして、窓がバンっと開けられた。

「いつからそこに!?」

 背中に突き刺さる批難の声。ゆっくり振り返ると、ツァニスが驚きの顔を私に向けていた。その向うでは、レアンドロス様が苦笑いしてる。

「……つい、さっき……」

「どこから聞いていた!?」

「ええと……」

 正直に話したら怒られそう。でもレアンドロス様の事だから、私がここに辿り着いた時から気づいていそう。

「ツァニス様が、私がどう考えているか分からないって……」

「随分前だな」

 すみません。

「でも、細かい部分は聞こえていません」

 だって、ツァニスはボソボソしゃべってたし。

 それを聞いたツァニスの安堵した表情。え。何か聞かれちゃマズイ事だったの?

「なんでこんな時間にこんな所にいる」

 ツァニスが、私からサっと視線を外して問いかけてくる。

「ツァニス様を探しに来ました。明日が出立の日なのに、こんな時間までお戻りにならないので」

 その言葉に、ツァニスがちょっと嬉しそうに顔を綻ばせた。

「もう戻る。先に戻っていろ」

「はい」

 テイよく追い払われたな。ありがたい。これ以上ここで話を聞いてたら、聞いちゃいけない事まで聞こえてきそうだったし。


 私が改めて身を翻して帰ろうとした瞬間。

 チラリと見たレアンドロス様の口が動いたように見えた。が、声が出ていないから何を言ったのかは分からない。

 ──分からなくていい。


 私はそのまま、寝室へと戻って行った。


 ***


 アンドレウ公爵家の別荘を後にした。

 それぞれ同じ方向へと帰っていくので、馬車での移動、車での移動、列車での移動、それぞれずっと一緒にいたけれど、あまり個人的な事は話さなかった。

 ただ、物理的な距離が離れる前にと、養育院の話は詰めたけど。

 運営資金や運営部門の事、場所や教育内容、そして保護する時に、各地方の駐在たちとどう連携を取るのか否か。

 今まで政治的な話に一切関与させてもらえなかったから、どの話も新鮮だった。

 そこから、現在の政治組織の形もボンヤリと見て取れた。


 アンドレウ夫人が最初に話していた噂話、もっと真剣に聞いておけばよかったと後悔したよ……

 それを言ったら「今更ですね」と彼女は笑っていたけれど、私が今までそういう事に『関与できる立場にいなかった』という事を伝えると、彼女の目が光った。

 ……企んでる。何か企んでるね、その顔は。

 だって「それは面白いですわね」って言ったもん!!

 何も教えてはくれなかったけど、彼女はそこいらの『貴族夫人』ではないな、と思った。これからまた一波乱ありそうな予感がしたよ……


 ニコラについては。列車が物珍しかったのか不安になったのか。

 途中でテセウスが出て来て、また悪態をついていた。

 その時、ちょうど居合わせたマギーから

「悪態をつく時は言葉を選ぶんです。そんな直接的ではなく、もっとこう相手が『え? 今なんてった?』ってレベルを狙うのです。

 その為に必要なのは語彙ごい力です。本を沢山読む事をオススメします」

 とか言ってたんだけどさ……なんか、私が思ったのと違う教育をしよとしてないかいマギー?

「そうじゃないと、こうなりますよ」

 って、指さされたサミュエルが、苦虫を嚙み潰したかのような顔してたなぁ。……それには同意。


 アティは終始上機嫌。ニコラが戻って来たからだな。ニコラにベッタリだったよ。

 揺れる列車の中でも構わずスイスイ刺繍をこなしていくニコラを見て……アティの目は完全に信者のソレになってたな。

 エリックは相変わらず。イリアスもそんなエリックに振り回されていた。『体力がもっと欲しい』とぼやいていたっけな。

 ゼノといえば。列車を降りたら別れる事になるレアンドロス様と、二人っきりでずっと話していた。滅多に会えないからね。私はそんな二人をそっとしておいた。


 肝心のツァニス。まだあれからちゃんと話ができていない。

 彼は何か言いたげな顔を時々するものの、視線が合うとサッと逸らされてしまうんだよねェ。

 なんだろう。何が言いたいのかな。

 痺れを切らした私は、列車のサロン室に彼を誘い人払いをして、ちゃんと話をする事にした。


「ツァニス様。何か言いたい事があるのではないですか?」

 そう切り出すと、彼は苦い顔をして私を見下ろしてきた。

 しかし何も言わない。なので

「貴方の悪い癖ですよ。思っている事を伝えてもらわないと、私は読心術なんて使えません」

 そう伝えた。私だって察する限度があるっつーの。

 すると、途端にキリッと真剣な顔になるツァニス。一歩私へと近寄った。近いって。ちょっと仰け反ったわ。

「セレーネ」

「はい」

 至極真面目な声で、名前を呼ばれたので返事をする。

 しかし、そこからツァニスは声を発しない。

 …………沈黙長ェよ。

「セレーネ」

「はい」

 もう一回呼ばれたので返事をする。そして、彼の言葉を待った。

 また沈黙。

「セレーネ」

「はい」

 何回やんねん。このやりとり。

 また口ごもるツァニス。

 そんなに言いにくいのかな。

「セレーネ」

「はい」

 何度目だ。

「愛してる」

「はい」

 ……あ、流れでつい普通に返事しちゃった。

 でもなぁ。

「存じ上げております。春前ぐらいからずっとそう仰ってくださっているではないですか」

 何を今更。

「……違う。そうだが、そうじゃない……」

 何がよ。

 ツァニスが視線を一度宙に巡らせて、脳内の言葉を探すような顔をする。

 そして再度、真剣な目で私を見てきた。

「……セレーネに恋をしている」

 へー。

 ……。

 …………。

 ………………は!?

「こい!?」

「そうだ」

 何ソレ!?

「セレーネはどうだ?」

 どうだとは!? ええ!? ええと!? ちょっと予想外すぎて返答に困るよ!!

 なんでツァニスはこう、ゼロか百なのかな!?

 言わない時は何も言わない癖に、言う時はダイレクトってどういう事!?

 ええと、ええと、どうしよう!?

「あのっ……ですね。私は……ええと! ええと……恋をしていません!」

 あ! 言葉間違えた! めっちゃダイレクトに返事しちまった!!

 目に見えてガッカリとするツァニス。肩を落としてシュンとしてしまった。

「語弊があります! その! ええと! 愛してはいますよ!?」

「本当か!?」

「家族愛ですが!!」

「家族愛……」

 さっきから、ツァニスが私の言葉に一喜一憂してる。

 私も焦って言葉をオブラート包めへん! もう! ツァニスが不意打ちするから!!

 変な汗出てきた! もう! ええとどう収拾つけたらいいか分からん!!

「……私は違う。セレーネをセレーネとして恋をしている。アティの母でもなく、私の妻でもなく。だから、セレーネにもそうして欲しいが、どうすればセレーネは私に恋をしてくれる?」

 聞かれても困る!!

 ツァニスが、私の両肩を強く掴んで引き寄せる。

 息のかかるほど顔を寄せられ、じっと目を見つめられた。あまりの真剣さに、自然と口が開いた。

「そ……それは──」


 ガンガンガン!

「エリックです! はいっていいですかっ!?」

 ガチャっ

 返事してなーーーーーーーーーーーーい! エリックーーーーーーー!!!

「だんちょうなにしてんだっ!?」

 超絶近距離で見つめあった私たちを見て、エリックが首をひねる。

 ……その後ろでは、イリアスがニヤニヤしながら立っていた。

 さてはイリアス!?

 私は思わずツァニスの体を突き飛ばした。壁に後頭部を強打したツァニスは、頭を抱えてうずくまってしまう。ごめん……つい。

「あ、もしかしてお邪魔でした?」

 輝かんばかりの笑顔で、しゃがみこむツァニスにそう声をかけるイリアス。

「いや、大丈夫だ……」

 苦ーーーーい顔をしたツァニスはノッソリと起き上がると、後頭部を抑えつつ部屋を出て行ってしまった。まだ、答え、言ってないんだけどな……いいのかな。


 エリックは小首をかしげながらその姿を見送った。

「あれ? イリアス、たーにすにようがあるんじゃなかったのか?」

「ああ、そうだったね。エリック、ツァニス様を捕まえて来てくれる?」

「わかった!」

 そう大声で返事すると、ツァニスの後を追ってエリックが走り去ってしまった。

 嵐かよ……ホントに、嵐かよ……


 その場に残された私とイリアス。

 ……なんか、どうしよう。ええと……どうしよう。

「……セレーネ」

 私の横に立つイリアスが、下からひょいっと私の顔を覗き込んできた。

「僕はね。二人が潰し合えばいいと思ってるんだ」

 突然何不穏な事言ってんのこの子は!?

「だって、あとたった六年半だもの」

 ……何の話? イリアス、何を話してんの?

「セレーネ、あと六年半経ったら、どうなるか知ってる?」

「六年半?」

 なんだろう。六年半? 六年でもなく七年でもなく? 六年半? え? なんだろう??

 イリアスが、物凄く穏やかな笑顔で私の手をそっと掴んできた。

 そして、その手に自分の唇を寄せる。

 何してんのっ!?

「六年半経つとね。僕が十八歳になるんだ。十八歳になったら、結婚できるんだよ。セレーネと」

 ハァ!?

 私は速攻で手を引く。しかしイリアスはニコニコした顔のまま。

 え!? え!? え!? 何言ってんのこの子は!?

「六年半経ったら私がいくつになるか分かってます!?」

「勿論。年齢なんて、ただの数字だよね」

 怖い! なんか、よくわかんないけど、笑顔怖い!!

「セレーネに『まだ子供なんだ』って言われて、僕は初めて『早く大人になりたい』って思ったよ。今までは、大人になんかなりたくないって思ってたけど、今は違う。早く大人になって、セレーネを妻として迎えたい。

 それまでは、セレーネが誰かの妻でも子供を産んでても構わないよ。

 最終的に、僕の妻になってくれるんなら」

「え!? は!?」

 独占欲の鬼だった偏愛男が何を言ってるの!?

「ただ、それまでに邪魔はヤツは一人でも減っててくれると嬉しいけれど。直接手は──下さないよ。潰し合ってくれればそれでいいから」

 やっぱり歪みは健在なのかよっ!?


「だから僕は、全力で、色々と邪魔をするよ。楽しみにしていてね」

 いたいけで可愛らしい笑顔の裏にドス黒いオーラを漂わせたイリアスが、私の手をそっと両手で握りこんだ。

 ヤバい。まだまだこの子の教育からも手が抜けねぇ。

 ……日ごろの行い、ちょっと見直した方がいい時期に、きたのかもしれない……な。


 私は、今後起こるであろう沢山の事柄に頭痛を覚えて、ギュウギュウと目頭を揉む事しかできなかった。



 第四章 了

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