異世界に行ったのでフェアリードクターを目指します

第1話 ヨモツヘグイ


 なんか退屈だな。


 大学の図書館を出て、道を歩いているときふとそう思った。そんな私は、大学生がかかる病気「大二病」というやつなのかもしれない。心の中でそっと嘲笑する。


 思い返してみると、私は痛いやつだ。自分が「なににでもなれる」小説をよく読み、妄想に耽るのは毎日のこと。中学生の頃は当たり前のように中二病も患った。その病気は今でもずるずると後遺症を残している。


 そんな私がなぜレポートもないのに大学の図書館に入り浸っているのか。

それは妖怪の本や、妖精とかそういう非日常のファンタジーな物語を勉強するため。

 中二病という重い病の後遺症に悩まされながら、私は伝承文学という素晴らしい学問に出会った。伝承文学のおかげで、『妖精辞典』とか『妖怪大全書』とかを読み込む大義名分を得たとも言っていいだろう。伝承文学さまさまである。今日も『妖精学』の本を、ガラガラの図書館でウキウキとしながらまとめていた。

 そんな図書館の帰り道、さっき読んでいた本にあったフェアリーリングのようなものを見つけてしまったのだ。


 なにか光ったような気がして、目線を地面に向ける。道から少し外れたところにあったそれに私は引き寄せられた。


「おお〜」


 よく見ると、本の中で見たやつとそっくりでテンションがあがる。うっかり出してしまった声に恥ずかしくなったが、周りには幸せなことに誰もいない。私はフェアリーリング(仮名)をぐるっと一周した。緑色の芝生が丸く禿げている。あまり大きくはなく、人一人ギリギリ入れるほどだ。

 さっき読んだ本には、妖精の世界への入り口という説明があった。もっとも、なんともファンシーっぽいフェアリーリングは科学的に原理が証明されてしまってはいる。それでもテンションが上がった私は、周りに人がいないことを良いように「えいっ」と声をあげて無邪気にフェアリーリングの中に入った。


 直後、胃がかき回されるような感覚がしたのち、吸い込まれるように体から力が抜ける。視界が真っ暗になり、私の意識はそこで途切れた。





『−−−』

『−−−−−−』



 なにかがさえずるような音がする。

確かめようと目を開けようとするが、瞼が重くて開けられない。

 仕方がなく暗い視界の中で、ぼんやりと記憶を辿った。

 今日は、土曜日で一限があった。

一限は適当な先生で寝てる人も多かったが、内容は面白い。眠い目を擦りながら聞いていた。そのあとどうせ暇なので、図書館に行っていつもの席に座っていつもの中二病が読む本を読んだ。腹の虫がなったから、お昼を買いに外に出て、それで……


それで!?


 直前のことを思い出した私は、重かった瞼を勢いよく上げ


「まぶっ…」


ようとしたが、飛び込んできた強烈な光に反射的に閉じた。

 私は倒れたのだろうか?貧血ではあったけど、今日は調子が良い日だ。だとしたら、飛び込んだあとすっ転んで頭を打ったのだろうか。

 頭の中で、思いつく限りの原因を考える。できれば後者は恥ずかしいから嫌だったが。


『−−−−−−』

『−−−』

『−−−−−−−−−』


 その間にも、なにかがさえずるような音は止まない。私は警戒をしつつ下を向きながら体を起こし、今度こそゆっくりと目を開けた。


「……は?」


そこは森だった。


 周りには木、木、木。大学構内にも、ちょっとした自然豊かな箇所はあったけど森はない。というより、森なんてどこにあるかも分からない。

 森になんて行ったことない現代人でも、ここが森だということは分かる。

しかし、なんで私がここにいるのかがどうしても分からなかった。 

 ここはどこだろう、夢なのだろうか。呆然とする頭で必死に考えようとする。思考はまとまらず、なんで?と疑問しか出てこなかった。キャパティシーを超えた状況に、ぼんやりすることしかできない。


 何分経ったのか、はっとした私はようやく私は周りを見渡した。眩しいと思ったのはどうやらちょうど木漏れ日が当たるところにいたかららしい。私の体は光に照らされていた。


 そして、見てしまったのだ。宙に浮く物体を。


「…!?」


 体が反射的に物体と距離を取るために下がる。上半身を起こして手を後ろ手につき、目の前の物体と相対した。


笑っている。

口をパクパクしている。


喋っているのだろうか、この物体が?


 聞こえてくるのはその物体が

ーー正確にいうと、ピーターパンに出てくるような小さな人間が出すさえずるような音だけ。


空いた口が塞がらなかった。


 しばらくすると、2匹いる片方がスイっと近づいてくる。咄嗟に身を縮こめて警戒体制を取る。近くにきた物体を睨みつけながら様子を伺ったが、私の周りを一周してすぐ戻っていった。



『これで聞こえるんじゃない?』

『いや〜笑った笑った』

『まさか入ってくるとはね、しかも起きた時のあの反応!』

『ねえ、マレビト?聞こえてるでしょ。お前の名前は?』


これは声なのだろうか。

頭に響くような、でも耳からも聞こえているという不思議な感覚。




 目の前の非現実敵な景色に、私は考えることを放棄した。人生初である。

 お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん親不孝でごめんなさい。ついに私は、妄想と現実の区別がつかなくなったみたいです。


 クスクスと、口のようなところに手を当てて4つの目がこちらをじっと見つめてくる。


『ねえ、聞こえてるでしょ?な、ま、え!』

『まさか名前も言えないの?』

『名前くらい言えるだろ、赤ん坊でもないんだし』


 頭の周りをくるくるしている物体は、どうやら私の名前が聞きたいらしい。


「…あ、……」


 異世界に行くことは何度も妄想して、イメージトレーニングした。もちろん、異世界にいる生き物とも会話をすることも妄想している。けれど実際はそううまくいかないらしい。目の前の異様な光景に、声を出そうにも口から出るのは言葉にもならない息だけだった。


『こいつ、喋れないの?』

『違うでしょ!びっくりしてるんだよ!面白い!』


 先程私に近づいて来た方が、クスクスと笑っている。するともう片方が顔の近くでピタッと止まった。眉を寄せた表情に、背筋がヒヤッとする。これ以上怒らせてはいけないと、本能的に感じて喉を絞って声を出した。


「…っ相模明希、です」


 2匹は掠れた私の声を聞くと、目を合わせた。


『サガミアキ?サガミアキ?』

『変な名前!変な名前!』


 そんなに私の名前が愉快だったのか、合っていないイントネーションで名前を呼びながら、嬉しそうにくるくる飛んでいる。

 2匹の物体が周りを飛んでいるのを、焦点を合わせずぼーっと眺める。何だか吹っ切れたような気がした。

名前を変だと言われてしまい、深く考えた方が負けだと言い聞かせる。


「ここはどこですか?」


 語尾に「異世界ですか?なーんちゃって」とつけようとするのを堪えた。

心のどこかでこれはお前の見てる夢なのだと、馬鹿なやつだと言ってほしいのを望んでいる。

 私の質問を聞いた2匹の物体は、こそこそと話し合った後口を開いた。


『ここはお前の元いた場所じゃないよ』

『お前が自ら入って来たんでしょう』


 飛ぶのをやめて、じーっとこちらを見つめてくる。当たり前かのように、私の望んだことの真逆の答えを言い放った。


「あー…これゆ『ちなみに、夢でもないからね』………」


 夢のような存在に、夢じゃないよと言われて信じる奴はいないと思う。そんなことを口にするとなんだか怒られそうだと、口を閉じる。


『お前はさ、思ってたんじゃないの?』

『退屈だー、どっか遠くに行きたいって』


 2匹の物体は、息を合わせるように言葉を掛け合った。


「……」


 たしかに、元の世界に魔法はないし、伝説の生き物だっていない。それを探りたくて浸っていたくて、私は現実を逃避し続けている。現実なんて退屈だった。

 ぎゅっと手を丸めた。なんだか目を合わせられなくて、下を向く。


 勉強は楽しかったが、それも束の間。あと3年しか自分の好きなことを好きなだけやる時間は残っていない。

大学院に入るお金もないから就職しないといけないし、大学院に入りたいと、伝承文学を研究したいんだと親に言う勇気もなかった。結局は、退屈してるのは自分のせいであるのは自分でも痛いほど分かっていた。


「すごく、退屈でした」


 異世界に行きたいと思うほど、私は常に現実を逃避している。


『でしょでしょ!』

『連れて来てあげたんだよ!』


 徐に顔を上げると、2つの顔がはっきりと見える。回答がお気に召したのか、2匹そろってにんまりとしていた。


『ねえ』

『だから』

『『これ、食べなよ!』』


 息を合わせて小さな手のひらを同時に広げると出て来たのは、虹色に光る苺のようなものだった。


 黄泉竈食ひ、というのを私はもちろん知っている。その世界のものを食べたらその世界の住人になる、という逸話。明らかに私の世界では存在しない食べ物の前に、唾を飲み込んだ。

 彼らのこちらを試しているかのような表情を見ると、「知っている」ことを知っていると確信した。くすくすと笑っていた。おそらく楽しんでいるのだと思う。


 なんとなくここが現実なのではないかと認識する。この世界でも黄泉竈食ひなんてあるのだろうか?食べなかったらこの2匹の物体は怒るのだろうか?

 思うに私の人生の中で勇気を出したことなんて一度もなかった。ずっと保守的に生きてきて、なにが「退屈だ」だ。異世界、行けるものなら行ってやろう。

 自分の中でよく分からない勇気を出して、むんずと実を掴むとそのまま勢いよく口に放り投げた。


『え!』

『ちょっと!馬鹿じゃないの、お前!』


 焦ったような2つの顔を見ながら、咀嚼もほとんどしないまま飲み込む。虹色の果物の味は全く分からなかった。


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