ツバサの思惑

 あいつらよくやってくれた。わたしの予定を遥かに上回る成長が嬉しいぞ。とくに野川と尾崎。エミさんが伸び過ぎたからそろえたのだが、よく頑張ってくれた。このレベルになりエミさんが写真を組めば世界最強だ。


「あの作品はツバサ先生とマドカにアカネ先生が組んでも難しいと思います」

「そうだな。アカネやマドカと組んだら大喧嘩になって作品にすら仕上がらんだろう」


 一流のプロは誰もがプライドが高い。言いかえれば唯我独尊であるしワガママだ。そうでなけば生きていけない世界でもある。もっともプロの写真で本当の意味での共同作業などまずありえんからな。


 それをやれるのは世界であの三人だけだ。それもいつまでではない。すぐにでもそれぞれの道に歩いて行く。いや歩いて行かなければならないのだ。


「やはり若さの勝利でしょうか」

「若くなければ無理だ。固まってしまった者を解きほぐすのがどれほど難しいかは、さんざん経験させられた」

「御意と存じます」


 弟子の育成法は加納志織時代から試行錯誤の繰り返しであった。数を抱えて切磋琢磨させた時もあったし。少数精鋭で鍛え上げる方式もやってみた。だがどうしても壁がある。ここで殆どの者が弾き返される。


 これまで如何にして壁を越えさせるかの方法を模索してみたが、ヒントはアカネだった。アカネには壁などなかったのだ。あったのはヘタクソな写真だけ。その状態で写真さえ上達すればプロだったのだよ。


 わたしとて確信はなかった。アカネが例外なのか、そうでないのかをだ。そんな時に舞い込んだのが摩耶学園の写真部の指導であった。注目したのはエミさんだ。まだカメラを始めたばかりのズブの素人であったが、あの時に見えた気がする。


「でもあの時は」

「そうだ、まだ二人目のアカネの可能性もあると考えていた」


 一番手がかかったのは野川だ。写真部の中では一番テクニックがあったが、一方で一番写真が硬くなっていた。最後はハンマーで打ち砕くぐらいの手間がかかった。これは去年の夏から春もそうだった。


「でも砕かれましたね」

「タケシもそうだった」


 薄々感じていたのだが、既製の写真上達メソドはテクニックの上達に関しては良く出来ていると思う。しかし、一方で写真を固めてしまう弊害がある。これはテクニック習得との引き換えで目を瞑らないと致し方ないと考えていた。


 だがそこにこそ真の問題点があると考えだしたのだ。写真が固まってしまうのはメソドの致命的な欠陥ではないかと。そこで時間の許す限り初心者の作品を見て回るようにした。思った通りとしてよい。テクニックこそ稚拙で、欠点の多い写真であるが、壁の向こうの作品が確実に存在する。そう、あれこそが天分のはずだ。


 既製メソドで写真を学ぶと単に写真が固まるだけでなく、壁のこちら側に引き寄せ、コンクリートで固めてしまうとして良い。それこそがプロの壁の正体だ。既製メソドで上達するほど硬くなりすぎ、容易に壊せなくなってしまうとして良いだろう。


 野川程度を学んだだけでもだぞ、その壁を打ち壊すには、オフィスの弟子たちに壁を越えさせるぐらいの手間が必要だった。野川が壁を越えられたのは幸運に過ぎない。限られた者を除いて容易に越えられるものでないのは嫌と言うほど経験している。


「それに較べると小林さんも、尾崎さんも」


 尾崎も心配していたが、尾崎がB4級しか取得していないのは、先に進めなかったのではなく、西川流の教育が合わなかったからだ。尾崎の感性がそれを拒否したとしても良い。そういう意味でアカネに近いところがある。尾崎も案外頑固だからな。


「ええ、ホントに。でもオフィス流の指導への馴染は良かったかと存じます」

「水が合ったのだろう。尾崎も間違いなく天才だ。あれだけのヒントで麻吹アングルまであっさり見えたからな」


 尾崎には時間が足りないと見ていた。期間を考えると加納アングルまでが目一杯と考えていたのだ。それがだ、驚異的な速度で身に着けてしまったのだ。マドカも驚いていたが、わたしはもっと驚いた。わたしは尾崎が間に合わない可能性を考えてあれこれ小細工を使ったが、


「不要でしたね。たとえロイド先生、ミュラー先生、辰巳先生が完璧なチームを組んでも結果は同じの気がしています」

「あの三人が組んだら空中分解するが、マドカの言わんとするところはわかる」


 写真に上達メソドはどうしても求められる。いくら弊害があるとしても、写真を始めたい者はなんらかのメソドをまず頼る。これはわたしもそうだったし、アカネすら・・・あいつは例外すぎるから置いておく。あいつはファインダーしか見てないからな。


 求められるのは弊害を除去したメソドだ。ただ容易ではない。わたしも摩耶学園で試してみたが、あまりにもオーダー・メイドになりすぎた。あんなシステムを一般化するのは不可能として良いだろう。


「ツバサ先生も理論派じゃありませんからね」

「まあ、それもある」


 メソドを作るのは得意とは言えないのはマドカの指摘通りだ。もし作るとしても写真の行き着くところまで極めてから考えても良いぐらいかな。そこまで行ってしまえばやることが無くなり、退屈になりそうだからだ。


 だが写真の行き着くところは遥かに遠い。そんなものがあるのかどうかさえ、わからない。そこに向かってひたすら進んで行くのがわたしの生きがいだ。これだけはラッキーなことに主女神を宿すことにより無限の時間が与えられた。


「だからロイド先生たちに作らせようとしてるのですね」

「そうだ。あいつらはメソドで商売しているから必死で作るだろう」


 それに気づかせ、作らせるためには強烈な衝撃を与えないとならない。今やっているメソドが役に立たないことを思い知ってもらう必要がある。だからこの勝負にここまで手間をかけた。


「わかって頂けたでしょうか」

「たぶんな」


 写真甲子園で麻吹流の幻影が出たのは予想外だったが、これを最大限に活かしたのが今回の作戦だ。写真甲子園の時の衝撃も大きかったが、あいつらはまた守りに入ってしまったのだ。まあ、わからんでもない。


 あいつらに大改革を促すにはもう一度衝撃が必要だった。それも徹底的・破滅的なものをだ。エミさんはともかく、野川や尾崎がモノになるかの懸念があったが、よく期待に応えてくれた。その点は感謝している。


「オフィス加納に迎え入れられますか?」

「望むならな」


 だが強制をする気はない。エミさんの意向を聞いたことがあるが、やはり北六甲乗馬クラブを継ぎたいの意志が強そうだ。あそこは小林社長の血と汗と涙の結晶みたいなものだから、それを見ていた一人娘のエミさんなら、そう考えるのも不思議ないだろう。


「なにか惜しい気がいたしますが」

「弟子じゃないからな。あいつらに写真の才能はあるが、写真の道を進まなければならないわけではない」


 マドカの気持ちもわかるが、弟子入りした連中はプロになるのが目的だが、あいつらは違う。目指してくれるなら歓迎するが、他の道に進みたい、試してみたいのなら、それを行うべきだ。プロは甘い気持ちでなれるものじゃない。


「これで写真界は変わってくれるでしょうか」

「わたしの出来るのはここまでだ。気づいた奴が次の写真上達メソドの覇権を握るさ」


 ロイドたちもバカではない、あれだけ目に見る結果を見せられれば気づくはずだ。さらにそれが他の流儀を凌ぐ事になり、商売に連動する事もな。具体的にどこをどう変えればは難しいだろうが、それを考えるのがあいつらの商売であり競争だ。いつまでも同じ手法で通用するわけがない、


「写真界が変わりますね」

「そうでなければならない」


 写真は伝統芸能でもなく、古典芸能でもない。日々進歩し、変わっていくアートだ。加納アングルにしろ、麻吹アングルにしろ、いつかは普遍的なテクニックに変わる日が来ないといけない。そうやって切磋琢磨できる環境が出現してこそ、わたしのレベルも上がり、写真の行き着く先に近づける。


「ツバサ先生は既に」

「マドカもそうじゃないか。アカネはもちろんだがな」


 先に、先に、それこそが生きがいだ。

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