黒の契約

 白く染った世界でただ一人。右手をかざし、黒蝶へ向ける。

 心はとても穏やかでただ一体のみを受け入れる。


 強さと精強さ、そして優しさに溢れたその目はただ一体に向けられる。


 この言葉は彼らに向けて贈られる。


 この体は指先から毛の一本まで彼らのもの。


 この手、この足、この声は。


 この身全てを用いて彼らを支えよう。


 耳には届かないそんな声。純粋で、裏のない本心は深く深く染み込んで、扉を開くのには十分だった。



 白く染った世界でただ一体。彼の者はこちらへ手をかざす。

 黒蝶は何かをじっと待つように静かにそこに在る。


 とても優しい、愛情に溢れたその目はただ一人に向けられる。


 その声はただ一人に聞かせるために響かせる。


 この体躯は爪の先から翼の端まで全てを捧げる。


 その爪は、その翅は、その牙は。


 この身に宿る全てを用いて主へと尽くそう。


 耳には届かないそんな声。純粋な、透き通った本心はその言葉を引き出すのに事足りた。




 そして天然の宮殿であり、観客はたった五人。史上最高のコンサートホールの中心で、その言葉は紡がれる。

 蠱惑的で、官能的で、同時に清廉で。誘惑といえばそれまで。とても甘く待ちわびたその言葉は。


「召喚術行使、契約」


 嗚呼、そうだ。それなのだ。


 心が、全身が。筋の一本、毛の一房に至るまでが歓喜する。


 断れるはずもない。


 奪いたいほどに欲しがって、嫌われたくないから留まって。でも願っていたその言葉。


『主よ、我が身全て御身の物に』




 パリイイィィィィン………


 硝子細工の砕けるようなきめ細やかな破砕音は見えない隔たりを砕いた音。彼女の楔を砕く音。


 今、彼女は自由なのだ。本当の意味で。




 かざす右手を中心として鼓動のように光り輝く漆黒の魔法陣が展開される。

 複雑な文様がいくつも重なってまるで唐草模様のようにも見える。

 最初は直径1m程だったがだんだんと広がって今は5mを超えている。ゆるりと回転するそれはその後ろにいるニーアも合わさって神秘的だ。

  

 魔法陣が大きくなると同時に体内から一気に魔力が流れ出す。ニーアの内部に入り込み、循環してニーアの魔力と混ざりあって帰ってくる。

 ぬるりと体内に入ってくるその奇妙な感覚に耐えかねて目を閉じる。


 魔力が混ざるというのはある意味で肉体の交合よりもより深く濃密で本来はまず行われないとの事。召喚士がこれを行うのは自我が無いと思われている魔物相手だからである。現にハイドブラックスネーク相手に俺は魔力を混ぜた。

 だがそれが意思ある相手ならば……


「こんな感覚、初めてだな……」


『くくっ、我もだ。身体の奥から芯を貫くような快感、そう味わえるものでもあるまい?』


「全くだ」


 双方意思があるためよりクリアに魔力の感覚が伝わってくるのだ。そのためなんというか……


「やべえ、すごいムズムズする」


 先のぬるりとした感覚から進化して羞恥心と緊張感の間の子というかなんというか。胃の中で何かグルグルしてて言葉には言い表せないとても難しい感覚だ。けれど全く不快では無いのだ。

 だがそれもだんだんと弱まってくる。契約が完了したからだ。


 目を開けると目の前の魔法陣は直径数十cm程度まで縮まり、回転を止めてとうとう霞のように消え去ったのだった。


「ふぅ……やっと、ここまで来たな」


『三年、か。我の予想よりもだいぶ早かったの。初めはもっと掛かると思っておった』


 契約を終え、一息つきながら一人と一体は軽い口調で話す。それはお互いに気心知れた中だからこそのものであった。


「そりゃあ修行の賜物ってやつだ。さてと、直近で一番の大物はこうして片付いたわけだし……」


『わけだが?』


 どこか含みを持たせた彼女の言葉にニヤリと答える。


「大迷宮から、外へ出るぞ!」


『おおお!』

『主、ようやくですね』

『外ってどんな感じなのかな!』

『楽しみ……』


 クネイもカノンも、アビーもネロも。誰も外には出たことがない。唯一クネイの子分とも言える個体が上層の出口近くまでは行ったらしいがそれでも外は見れていない。


 もちろん俺も。

 この世界に来て約三年。目に入る自然の光といえば魔光石の光くらいで大抵は〈夜目〉を使った。魔法で光を生み出したこともあったけどそれでも人工的な光。

 だがようやく本物の光、お天道様の光の元に出れるのだ。こんなにワクワクするのは久しぶりだ。


『じゃあ完成した物、出しちゃうね?』


 彼女はここで色々始めると思ったのか、左腕から離れてポヨヨンと震えながら製作物を外に出そうとする。


「あ、ちょっと待ってアビー。ここで出すと濡れちゃうからな?だから向こうに戻ってから色々と準備しよう。それにみんなは良いけど俺は人間だから食べ物とかも作らないとね」


『あ、そっか』


『我が言うのも何だが、こ奴が人間と名乗るのは何か違う気がするな』

『主は主ですので』

『よく分かんなーい』

『zzz……』


 ニーアも彼女たちに馴染んでいて何よりだけど……というかネロはいつから寝ていたんだ?


「そういやニーアはその状態から戻れるのか?前みたいな人型に」


『戻れるぞ。ただ契約こそ完了したが羽化したばかり、動けるようになるには今しばらく掛かりそうだ。先に戻って準備しておれ。声はこうして届くでな』


「了解だ。アビー、向こうで完成したのは見してくれな?」


『うん!』


 素直ないい返事をありがとう。

 さてと、まずは何をしようか。


 やっぱり、魔物の肉で乾燥肉作りからかな?







『じゃあ出すよー』


「おう」


 直径30cmくらいの球形になったアビーが目の前でポヨヨンと震えながら前に頼んでいたものの完成品を吐き出す。


 今は準備の合間の自由時間。乾燥肉を作ったり、水を集めている間の暇な時間。

 なので、さっきアビーがやろうとしていたお披露目を始めるわけだ。


『えっと、鎧とコートにブーツとか一式だね。どうかな?』


 吐き出されたものを順に見ていこう。まずは鎧から。


 胴、腕部、腰部、脚部のパーツに分かれ、どれも軽量。しかも柔らかい。

 革鎧で、心臓の上や関節部、首元や肩などの重要部位には甲殻が貼られて守られている。

 全体的に焦げ茶色で、ツヤがある。

 特に装飾も無いシンプルなデザインだが構造はしっかりしていてそうそう壊れなさそうだ。


 そしてどれも当然と言えば当然だが俺の体型にピッタリだ。

 題してデザイナー・アビーの完全オーダーメイド品ってとこだな。


「よいしょっと……軽くて着てる気がしないな」


 普段着のシャツの上に着ていた今までの革鎧を脱いでまずはベスト型の胴鎧を付ける。

 前側のボタンとベルトで留めるタイプでそうそう脱げない。どういう訳か暑苦しくなく気分もいい。

 心臓の上と首元に鱗のように甲殻が貼られていて急所を守るようになっている。

 背を伸ばしてみたり捻ってみたりしても嫌な感覚は無い。これなら十分だ。


 次に腕。シャツに被せるように装着する。

 前腕を覆うようにできていて、革紐で締めることで固定する。胴と同じように着けていて暑いなどの不快感はない。

 肘の部分には薄めの甲殻が貼られていてガードにもなっている。

 

 次に腰だ。要はベルトに当たるのだけど、ポーチと一体化していて傷薬や短剣、ブックホルダーも一緒に付けられるようになっている。


 最後に脚。ズボンの上から装着する。

 ふくらはぎから膝を超えて太ももの中程までを覆っている。膝裏から太ももの裏にかけては露出していて可動性が良い。


 革紐で締めることで固定されて、ふくらはぎに二つ、膝と太ももに一つずつ固定するためのポイントが設けられている。

 関節部にはやはり甲殻が貼られていて、膝に矢を受ける心配も無い。


 立ったり、しゃがんだりしてみても動きに支障はない。軽く走ってみてもズレたりすることも無い。


「アビー、完璧だ!」


『えへへ』


 一つずつパーツを装着する事に自身が興奮していくことは何となくわかっていたが全身着けてみるともうテンション爆上げだ。


 思わずアビーに抱きついてしまった。

 プルプルと腕から抜けられてしまったが、鎧を着けたことでなんだか自分が一歩上の段階に行った気分がする。


『コートとかも着てみて。全部着たらどんな感じになるのかなあ』


 おっと忘れていた。ブーツとコートだ。ブーツはバイクブーツに似ていて、革製。鎧と同じ革だが色は黒。

 底と踵は硬質の素材で出来ている。しっかり溝も彫られているから洞窟内でも滑ることは無いだろう。


 コートは以前クネイが言っていたように彼女の糸から出来ている。

 さらにアビーの分体が染み込んでいて万一の時には色々出来るそうだ。アビー本人から何が出来るのか聞けていないから仕方なし。


 デザインは黒のトレンチコートに近く、着てみると見た目の割に軽い。

 本来のトレンチコートのように色々と物を掛けるためのベルトは少ないが、代わりに表と裏にそれぞれ二つずつ大きめのポケットが作られていた。


 若干裾が広がっていて歩行の邪魔にはならない。

 丈は膝あたりまでで、革鎧とブーツが露出しているが案外色が上手くマッチしていてなかなか悪くない。

 鎧を着て杖を持って着ているとコートがローブのように見えてくるが、これはこれで良いな。


『どう?鎧の縫製にはクネイの糸を。ボタンにはカノンの甲殻。鎧の留め紐は革だけどブーツにはクネイの糸を編んだものを使ってるんだよ』


 おお、真面目なアビーさんだ。

 彼女、ものづくりに関してはいつもの雰囲気は消えてこんな真面目な感じになる。


『それにコートには襟があると思うんだけど、そこの中にフードも収納してあるんだ。えへへ、すごいでしょ』


「お、本当だ。随分上手く収納されてるな」


 照れながら彼女の言うように襟の中には綺麗に畳まれたフードが収納されていて、広げると思ったよりも大きく頭部を覆う。


『参考にした物の中に同じようなものがあったんだ。取り入れてみたんだよ』


「さすがだな」


 彼女の言うように、彼女の製作品は全て元となった品が存在する。

 例えば身につけている鎧ならこの迷宮の中で死んだ人の物の構造をコピーしているし、ブーツやコートも同様に縫製から全てコピーされている。


 かつて魔物の頭骨の中で暮らしていた頃のように召喚獣たちに集めてきてもらったものをアビーが収集、分解して構造を理解する。そしてそれを自らの技術として吸収しているのだ。

 彼女の種族特性と組み合わせることでその才能が活かされる一分野なのである。


『ねぇねぇ!今度は私たちのも見て欲しいな。アビーに作ってもらったんだよ、外できるための服!』


 クネイから脳内に響く声。同時に以前定例会をやった空間に意識が引き寄せられる感覚。

 並列思考でこちら側に意識を残し身を任せる。


 彼女たちの外着か。

 おお、それは確かに見ないとな。


 そして目の前には見慣れた空間が広がっているのだった。

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