ありえないコードで弾いています

@Chord_Y

スターダスト新幹線

新幹線の車内販売のアルバイトをしたことがある。


お弁当やコーヒーを乗せたワゴンをゆっくり押して車両を回る、アレだ。


今はおしゃれな制服を着て、髪もきちんとひっつめて清潔感を出しているけれど、私がバイトしていた当時というのはダッサい水色のエプロンをつけて、その下は「白っぽいシャツ」と「黒っぽいスカート」なら何でもよくて、みんなエプロンのポケットをお釣り用の小銭入れにして、じゃらじゃら言わせながらワゴンを押していた。


チームはだいたい、1回の乗車につきチーフと呼ばれる責任者が1名、社員が1名、バイトが1〜2名という構成だった。

初バイトの日、私と一緒になったのは高校を卒業して正社員として働いていたミナコだった。


ぽっちゃりした体つき、茶色く染めた髪、休み時間は日焼けした顔にタバコをくわえてひたすら携帯ゲームをしているような女の子だったが、動作は決して鈍くなく、むしろ機敏だった。


ミナコは私に、


「あんた最初にモトカワさんなんてついてへんな」


と言った。


モトカワというのは、ミナコといつもペアを組むチーフの女性社員の名前である。

小柄で痩せていて、年齢は40代後半くらいだろうか。

目は小さく黒目がちで、細かく生えた茶色の髪を短く刈り込んでいて、サルの子供に似ていると思った。サルとしては可愛いが、人間としては可愛くない。


「なんでついてないの」


「チーフさんの中でも最悪や。社員みんなから嫌われてんねん。めちゃめちゃ働かされるで」


ミナコはエプロンのポケットに手を突っ込んで、しきりにぼやいた。



モトカワさんがやってきた。


化粧っけのない顔は何歳にも見える。

私がお辞儀をすると、無表情で頷いた。


私たちは新幹線に乗り込んだ。


確かに休憩もほとんどなく働かされた。

一度販売に出て基地であるビュフェ車に戻ると、すぐに次の商品を乗せて売りに行かされる。


お弁当を売り切っても褒めてもくれず、女子トークで場を和ませることもしない。

終点に着くまでただひたすら、ワゴンを押しながら全車両を往復し続けた。


何往復目かに、途中のデッキでズル休みをしているミナコを見つけた。

ミナコは悪びれる風もなく、


「あんた最初から飛ばしすぎたらあかんで。こういうのは適当に流しとかんと」


と逆に年上の私に説教した。



私はそれからもしばしばモトカワさんのチームに入った。

妙にミナコと気が合ったからでもあるし、モトカワさんも嫌いではなかった。

ミナコは不思議がった。


「あんた変わっとるな。うちのチーフさんとなんか誰も乗りたがらへんねんで」


「そうかな。私けっこう好きだけど」


「何がええねんあんな人。仕事のムシやんか。あの年で独身なんてワビしいわ。ああはなりとうないな、絶対」


「モトカワさん独身なんだ」


「決まっとるやんか、ダンナがおったらこんなとこおるかいな。もう働いて金貯めるくらいしか楽しみないねんで。ツボか何かに小銭貯めて夜中に数えとるんちゃうか」


ミナコはモトカワさんのことになるとひどく悪口を言う。嫌いだともしょっちゅう言うのだが、それでもモトカワさんをよくサポートしていた。重い荷物を運ぼうとしているのに気付いて助けに行ったりするのはボンヤリしている私などよりずっと早かった。



ある時、私は更衣室で財布を盗まれた。

仕事と環境に慣れて、油断し始めた頃だった。


その時乗り合わせたチームの女の子たちが心配して一緒に探してくれたが見つからなかった。

私はすっかりうろたえてしまった。


そこへモトカワさんがやってきた。


その日私はモトカワさんのチームではなかったのだが、私の様子が変なのに気付いてモトカワさんのほうから話しかけてきたので、事の顛末を話した。


モトカワさんはタバコに灯を点けながらふんふんと聞いて、


「うちの社員の子らが盗むとも思われへんけどなぁ。更衣室ということは、内部のもんでしかないわな。ま、災難やったな」


と淡々と言った。


私は阿呆のように口をぽかんと開けた。


モトカワさんが社員の子を信頼しているんだと初めて知ったし、財布が盗まれたことを変に大げさに騒がないのもちょっとカッコいいと思った。


「ところで、帰りの電車代くらいはあるん」


モトカワさんに聞かれ、


「いや、あの、実は全然・・・」


と私が答えると、


「そう。ほんならこれとりあえず」


モトカワさんは財布から五千円を取り出して私にくれた。


私はうろたえた。もらっていいのだろうか?

私とモトカワさんはただの仕事の知り合いでしかない。個人的に会話を交わしたこともない。


しかしモトカワさんは当然のような顔でお金を突き出している。


「あ・・・の、ありがとうございます」


私がおどおどと受け取ると、


「うん」


モトカワさんはいつ返せとも言わず、更衣室の奥へ消えて行った。


私は次のアルバイトが入った時に、モトカワさんのチームを選んで乗り、五千円を返した。

その時もモトカワさんは「ああ、うん」と言っただけだった。



ある日、ミナコが仕事を辞めると言い出した。

新幹線の車掌の一人と付き合い始めたらしいのだ(いつの間に・・・)。

若いミナコは夢中になってしまって、仕事なんかどうでもいい、結婚するんだと言ってきかなかった。


モトカワさんはその日は敢えてミナコを働かせず、ビュフェで二人で窓の景色を見ながら長い間話し合っていた。


私は、普段休憩所になっているキッチン脇の狭い倉庫の扉を薄く開けてそれを見た。食べていたサンドイッチを終わらせると、話し込む二人をそのままにして、ワゴンを押して客車へ行った。


最終車両から折り返してビュフェに戻る途中、手提げカゴにおみやげを入れて売り歩くミナコに会った。


「やめるの」


私が聞くと、


「ううん。もう少しやってみることにしたわ。まあ、しゃあないな」


ミナコは照れ隠しに笑った。



終点に着いたら夜だった。

今日泊まり勤務になる他のチームと合流し、宿舎に向かうことになった。

在来線に乗り換えて宿舎のある駅に着いた時、ミナコが聞いた。


「チーフさんて、あの路線合計何往復くらいしたはるんですか」


「星の数ほどでしょう」


私は思わず言った。とたんに激しく後悔した。



仕事の虫でカネを貯めるしか楽しみがない、と言っていたミナコの言葉に呆れながら、私はどこかでそれをすっかり肯定していたのだ。

しかし一度口から出た言葉は取り返せない。



前を歩いていたモトカワさんはあっさりと


「それ以上ちゃうかなあ」


と答えた。



それは予想外の言葉だったので、私はますます恐縮した。



モトカワさんはもう一人のチーフとのんびり世間話をしながら宿舎への道を歩き、ミナコは他の社員にお気に入りの弁当が今日売れ残ったことを嬉しそうに話し、私は内心懺悔にまみれながら皆の後をついて行った。


ビルの屋上に据え付けられた広告塔が明るく輝き、深夜とは思えぬ賑わいを地上に作り出していた。



(終)

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