第27話 忍び寄る影1
「いえ、違いますよ。アイーシャはカイン様の元愛人なんかじゃありません」
「――」
私が妄想した『アイーシャ元愛人説』は、あっさりイルマに否定された。
アイーシャが訪れた当日の夜、モヤモヤでお腹いっぱいになるくらいなら、いっそ楽になってしまいたい!……と、思い切って二人きりの時にイルマに尋ねてみたのだ。
そうしたら間髪入れず否定の言葉が返ってきて、むしろ拍子抜けしてしまった。
イルマ曰く、アイーシャは一時デボビッチ家でお針子として働いていたそうだ。公爵がいつも身に着けているあの黒のローブも、アイーシャのお手製なんだとか。
イルマは私のベッドメイキングしながら、色々話してくれた。
「アイーシャのことをお疑いになるのは無理ありませんね。あの子がカイン様を慕っていたのは、事実ですから」
「や、やっぱり……」
私の予想が当たっていたところもある。アイーシャは過去、公爵に恋していた時期があるようだ。だからあんな風に、懐かし気に公爵のことを語るのだろう。
「ですがカイン様はあの通りの朴念仁ですからね。アイーシャの気持ちに最後まで気づくことはありませんでした。自分の恋に見込みがないことを悟ったアイーシャは失恋をきっかけに一念発起。自分の店を持つことを思い立ち、デボビッチ家から巣立っていったんです」
ほー。すごい、転んでもただでは起きない女・アイーシャ。見た目はあんなに小さくて可愛らしいのに、根は逞しくて強い。そーゆー所、私も見習わなくてはいけないわね。
感心しながらも、私はある一点が腑に落ちなくて「ん?」と首を傾げた。
「朴念仁?」
「はい?」
「あのスケベ公爵が?」
「……」
「イルマ変なこと言うわね。カイン様はどちらかと言うと、朴念仁の対極にいる方だと思うんだけど」
「………」
私の質問に、イルマは、はぁ、と深いため息をつくだけだった。
え? 私もしかして何かいけないこと聞いたかしら?
イルマの反応の意味が分からなくて、内心オタオタと狼狽える。
「まぁ、デボラ様がそう思うのでしたら、今はそういうことにしておきましょう」
「え?」
「人間は何をきっかけに印象が変わるかわかりませんからね。私とヴェイン殿のように」
「あ、そーだ、それも気になってたのよ!」
私は枕を抱えた格好で、もう一つの謎についてスバリ尋ねてみた。
イルマとヴェイン。まさに美女と野獣カップル。
一体何がどう転がったら、この二人が結婚することになるのかしら? めちゃくちゃ気になる。気になりすぎて、このままじゃ夜も眠れそうにない~。
「私とヴェイン殿の馴れ初め……ですか。うーん、実は色々複雑なんですよね。それにちょっと色々しがらみがあって、今お話することはできません」
「えーーー……」
そのしがらみって何?……としつこく食い下がってはみたものの、さすがイルマは肝心な時に口が堅い。「今はお話ししかねます」「黙秘します」の一点張りで、とうとうヴェインと結婚した経緯は聞けず仕舞いだった。
「ちぇー、惚気話なんていくら話しても減るもんじゃないのにぃ~。ブゥ、ブゥ~」
「デボラ様、最近私の前で遠慮が全くなくなりましたよね」
ベッドに寝転がって子供みたいに足をジタバタさせる私を見て、イルマはおかしそうに笑った。
そういうイルマこそ、ビジネスライクじゃなく自然に笑うようになってくれたじゃない。それが嬉しくて、私の口元も無意識にほころぶ。
「そうですね……でもいつかちゃんとデボラ様には聞いて頂きたいです。私とヴェイン殿のこと。それからカイン様のこと。ここまで来るまでの日々のこと……全部」
「……」
そう語るイルマは、アイーシャと同じようにどこか遠くをみるような目をしてた。
その口ぶりが何だか切なく響いて、私の胸は少しざわつく。
なんだか知りたいような……知りたくないような……。
まるでその秘密はパンドラの箱のように開けたら世界の全てがひっくり返る。
そんな予感をも孕んでいる。
そしてその秘密を知る日は――私が想像していたよりもずっと早く、ある事件をきっかけにしてやってきてしまうのだった。
× × ×
あーあ、今日もまた却下大魔王に却下って言われるんだろうなぁ……。
すっかり公爵の執務室に通うことに慣れてしまった私は、23稿目の事業計画書を小脇に抱えつつドアをノックした。
執務室の正面では憎たらしい公爵が、のんびりとお茶など飲んでいる。
くっそう、相変わらずイケメンだな。悔しい。
――などという感情は一切見せず、私は猫の皮を100枚ぐらいかぶった。
「どうぞ目をお通しください」
「………」
もう何度言ったかわからないセリフを、今日も壊れたスピーカーのように繰り返す。
私から計画書を受け取った公爵は、ぱらぱらと流し読みして、ふぅと一息ついた。
くっそう、もっとちゃんと読めよ。どうせ却下するんだろうけどさ。
すっかりやさぐれた気分でいる私を横目に公爵は羽ペンを手に取ると、計画書の最後のページにさらさらとサインした。
「ハロルド、これを」
「はっ」
そしてすぐその計画書を、脇に控えていたハロルドに手渡す。
ん? いつもならここで「却下」と計画書を突き返されて、すぐ部屋を出ていくところなんだけど?
訳が分からず公爵とハロルドを交互に見やれば、ハロルドが笑顔で頷いた。
「おめでとうございます、デボラ様。デボラ様が作成した事情計画書は、本日無事受理されました。これよりこの計画書を基に、本格的なアストレー学園の立ち上げに入ります。よくここまで頑張りましたね」
「……え」
一瞬何を言われてるのかわからず、頭が軽く混乱した。
嘘……通った? 私の立てた計画書が?
それにしてはなんか想像してたのは違うんだけど。
私的には公爵が「ここまで見事な計画書を作り上げてくるとは……悔しい! してやられた!!」と猛烈に悔しがるのを想定していた。
でも思っていたよりあっさり……と言うか、むしろ公爵は無反応に近いんですけど?
これで計画が通ったって本当に大丈夫?
……などと脳内で考えていたことが、ついついそのまま全部口に出た。
「えと、それはカイン様をぎゃふんと言わせることに成功したって意味かしら?」
「ぎゃふん?」
「ええ、ぎゃふん」
「……」
あら、こっちの世界に「ぎゃふん」っていう表現方法はなかったっけ?
まったく勝利した気分になれない私は、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
すると何を思ったのか、私の言葉を受けて公爵は口角を上げつつ、それを口にする。
「……ぎゃふん」
「……っ!」
まるでこれで満足か、とでも言いたげな、公爵の余裕綽々の笑み。
う、
嬉しくないっ!
全然っ嬉しくないっ!!
むしろ公爵の口から「ぎゃふん」を引き出せたのに、こっちが負けた気分になるのはなぜかしらーーーー!?
こうしてまんまと公爵の掌の上で踊らされながら、私はアストレー学園を正式に立ち上げることになった。
もちろん私一人だけの力じゃない。
勤務外の時間も根気よく私に付き合ってくれたイルマ、エヴァ、レベッカ。書類の書き方を一から教えてくれたハロルド。
給食や制服、教員の確保など、たくさんの人の伝手と協力で、事前に手配することができた。
大変なのはこれからだけど、とりあえず目的の第一関門は突破できた。
その達成感はやはり爽快で、私は急いでサバナスタ孤児院へと足を運ぶことにしたのだった。
「リリ、聞いて! とうとう学校を建てられることが決まったのよ!」
「ホント? デボラお姉ちゃん!」
私が部屋に駆け込むと、リリをはじめとする年少組の子供達がわらわらと寄ってきた。
公爵に計画書を受理された時は感動も薄かったけど、こうして子供達に直に報告している今は、テンションが上がってる。
そうよ、来年早々には学校に通えるようになるよ。勉強もたくさんできるようになるよ。
そう報告すると、子供達は瞳を輝かせて喜んでくれた。
「やったー! じゃケタケタのお話も自分で読めるようになるね!」
「デボラ様、今日はこっちの『暗闇に赤く光る眼』ってお話を読んで聞かせてよ!」
「あ、ずるい。今日は『呪いのヤツハッカービレッジ』のほうがいい!」
ちなみになぜかサバナスタ孤児院では、ホラー児童文学がプチブームになっている。
もちろんその理由は私だ。以前披露した〇子並の迫真の演技が、子供達に超受けてしまったらしい。
最初はホラーを怖がっていた子供達もすぐに耐性がついたのか、今はこの通りホラー一辺倒。そういえば子供って「学校の〇談」とか「トイレの〇子さん」的なお話、大好きよね。
「そういえば今日はアヴィーの姿が見えないわね。私が来たから隠れちゃったのかしら?」
「えーとね、最近アヴィーはずっと市場をウロウロしてて、夜も遅くにならないと帰ってこないの。シスター達に怒られてるけど、ちっとも態度が治らないの」
「うーん……」
リリの話によれば、アヴィー達のグループは相変わらず「学校なんてものができても絶対行かない!」と拒否ってるとのこと。
ある一人のシスターは反抗期真っただ中のアヴィーを心配して、私に相談を持ち掛けてきた。
「デボラ様はご存じかもしれませんが、アストレーは大きな港町なので、当然危険な輩も多く出入りしています。昔は子供を攫って奴隷として売り飛ばす悪徳商人も
いたくらいで……。あ、いえ、カイン様が領主になってからは、そのような不埒な犯罪者はきつく取り締まられるようになったのですが……。万が一のことが起きたらと思うと不安で不安で……」
「確かに市場は子供にとっては危険も多い場所ですね」
私は腕組みし、こりゃ放っておけないな……と思案する。
今は反抗していたとしても、やっぱりゆくゆくはアヴィー達にも学校に通ってほしい。そのためにたくさんの人が力を貸してくれるんだもの。何とか説得できないかしら?
「デボラ様、リリからもお願い。アヴィーはレベッカお姉ちゃんをデボラ様に取られて、少し拗ねちゃってるだけだよ。本当はリリ達のことをいつも守ってくれる優しい男の子なんだ」
「うん、わかってる」
私は必死にアヴィーの良さを訴えるリリの頭を、よしよしと優しく撫でてあげた。
性格は生意気だけど、アヴィー自身は仲間思いな少年だって私も理解している。
だけど相手から猛烈に嫌われている現状、どうすれば事態が好転するのかがわからなかった。
そしてサバナスタ孤児院の慰問を終えた私は、デボビッチ家に向かって馬車を走らせていた。
ふと市場を通りかかった時に、窓からアヴィーの姿を見かける。表通りからまっすぐ市場のほうへと向かっていくアヴィー。私は慌てて御者に声をかけた。
「ごめんなさい、少し馬車を止めて」
「どうしました? デボラ様」
「何かあったんスか?」
いつも護衛についてくれてるコーリキとジョシュアが、すぐに馬車のドアを開けて駆け寄ってきてくれた。私はコーリキの手を借りて馬車から降りる。
「向こうの通りのほうへアヴィーが走っていった気がするの」
「あのイタズラ坊主ですか」
「ごめんなさい、少し探しに行ってもいい?」
「そうですね、あまり遠くへ行かないのなら。くれぐれも私達からはぐれないように注意してください」
「ありがとう」
コーリキの許可が出たので、私は馬車を下りて市場へと足を向けた。
それにしてもいつ来ても人通りが多い。ほんの少し気を逸らしただけで、コーリキやジョシュアを見失ってしまいそうだ。それほどまでに行きかう人々はごった返していて、私の視界を狭めさせる。
「アヴィー?」
尋ね人の名を連呼しながら、前へ前へと進む。
――と、突然、グイッと人ごみの中で強く手を引かれ、私は大きくバランスを崩した。
「きゃあっ!」
「デボラ様!」
「誰だ!? 今デボラ様の手を引いた奴は!」
悲鳴を上げると同時に、すぐさまコーリキとジョシュアが私の盾となる。
あっという間にコーリキに後ろ手を取られた人物は、情けない悲鳴を上げて許しを乞うた。
「も、申し訳ありませんっ。驚かすつもりじゃなかったんです! ただフィオナがどうしてるか知りたくて……」
「あら、あなたは」
人込みから引きずり出された人物――それは見たことのある顔。
「あの、妹は……フィオナはその後元気でいるでしょうか? あれから全く音信不通で、兄としては心配で心配でたまらないんです……」
それは私がアストレーにやってきた初日、公爵によって妹を攫われた被害者・マルクその人だった。
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