第6話 嵐は去れども



『間抜けだな……』


 ――夢の中、遠くて近くにいる誰かが、呆れたようにつぶやく。


『本当に間抜けだな……』


 ――大事なことなので二度言ったんですね、わかります。

 ……って、ちょっと、こらぁ! 

 心底呆れられると、さすがの私も傷つくんですけど。


『ま、そのままでいい……』


 ――ちっともよくない。


『そのほうが、いい……』


 ――? ?

 ん? それってどういう意味ですか?


『間抜けなら間抜けで、観察しがいがあるしな……』


 そう言って、やがてコツコツと遠くなる靴の音。

 あなたは誰?

 知っているようで知らないあなた。

 言いたいことだけ言って、私の前から立ち去るあなた。

 卑怯よ。顔を見せなさい。

 私……私は――







「私は間抜けじゃなぁぁぁぁーーい!」

「きゃっ!?」


 ガバッとベッドから飛び起きた瞬間、近くで悲鳴が聞こえた。寝ぼけ眼をこすってみれば、ベッド脇でエヴァが涙目になっている。


「も、申し訳ありません! 時間ですので起こしに来たのですが、私、何か粗相をしてしまいましたでしょうか?」

「あー……」


 ひたすら頭を下げて謝るエヴァを見て、朦朧としていた意識がはっきりしてきた。

 窓からは眩しい朝陽が燦々と降り注ぎ、昨晩の嵐が嘘のよう。

 あ、そっか。私あのまま寝入っちゃったのね。不覚。昨日は記念すべき初夜だったというのに……。


「いや、記念すべきじゃない! ちっともめでたくない! ていうか、案の定公爵にスルーされた!?」

「きゃっ!」


 私は自分の着衣に乱れがないことを確認して、感情が高ぶるまま怒鳴ってしまった。またまた悲鳴を上げるエヴァを見て、こっちが申し訳なくなる。とりあえず「寝ぼけてただけよ、ごめんなさいね、ホホホホ」と誤魔化せば、エヴァもホッと表情を緩ませた。

 

(いやぁ、昨夜緊張してた自分がバカみたい。いや、バカそのものよね。さすがに自分で呼び寄せといて、初夜を無視してくるとは思わなかったわぁ……)


 行儀が悪いと思ったけれど、私はベッドの上で胡坐をかきつつ半笑いを浮かべた。

 早速第一の殺害計画、失敗だわ。ターゲットである公爵が私の部屋を訪れてくれないんじゃ、殺したくても殺しようがないもの。

 ――チッ、わざわざ壺の素振りまでしたのに。


「おはようございます、デボラ様。………あら?」


 少し遅れて、洗面器とタオルをワゴンに乗せたイルマとレベッカがやってきた。

 イルマはベッドの上で胡坐&腕組みしてる私の様子を見て、すぐに状況を察したらしい。


「まぁ、カイン様ったら一体どうなさったのでしょう。今まではどんなことがあっても初夜には必ず奥様の許へ……」


 言いかけて、失言と気づいたのかイルマは、ハッとすぐに口をつぐんだ。


 へぇ~、ほぉ~、ふ~~~ん。

 つまりは初夜を無視された花嫁は私が初めて? そういうことよね?

 よくよく考えたら昨日はフィオナっていう可愛い愛人ゲットしたばかり。男としては期待外れの花嫁より、そっちのほうに通いますよね? ホホホホホ……。


「大丈夫、私、気にしてないわ。公爵様はアストレーの領主で多忙な方。夫の都合や立場を慮るのも、妻としての務めです」

「まぁ、デボラ様って寛大な方なんですね! 大丈夫、きっとカイン様もすぐにデボラ様の魅力に気がつかれます!」


 エヴァは素直な性格らしく、私の言葉を鵜呑みにして瞳をキラキラさせていた。対してイルマは苦笑を浮かべ、レベッカは相変わらず無言無表情。何気に憐みの視線を投げかけられているような気がするけど、そこは新妻のプライドに賭けてスルー。

 仕方なく私はイルマ達に手伝ってもらい朝の身支度を整え、朝食が用意されているホールへと向かうことにした。











「カイン様よりの伝言でございます。しばらく執務が多忙で身動きが取れないため、デボラ様は邸内で自由にしていて良い、と。無論、瑞花宮だけは立ち入り禁止でございますが」

「……」


 夫婦が揃うはずの結婚二日目の朝食も、見事にシカトされた。伝言を預かったハロルドはかわいそうなくらい恐縮していて、主人の無作法をフォローするのにいっぱいいっぱいだ。

 まぁ、仕方ないわね。表面上は笑っていても、私の全身からはどす黒いオーラが流れ出ているもの。トップ・オブ悪女・デボラ=デボビッチに睨まれたら、大抵の男は怖気づくわ。


「伝言、確かに承りました。公爵様にはこちらのことは一切気にせず、執務に励むようにとお伝え下さいませ」

「お心遣い、感謝致します」

 

 ―――バキッ!


 次の瞬間、食卓に置かれていた太くて長いバゲットを手に取り真っ二つに折ってやった。ハロルドの顔からは血の気が引き、スープを注ぎ足しに来た給仕も「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。


(執務が忙しいじゃなくて、愛人と戯れるのに忙しい……の間違いじゃないかしら? ま、そっちがそう来るなら、こっちはこっちで新たな殺害計画を立てるまでよ。首を洗って待っていなさい!)


 ここまで完全に無視されると、怒りを通り越してなんだか笑えてくる。

 逆に闘志が湧いて、私はその日の朝食をペロリと平らげたのだった。





              ×   ×   ×





 とりあえず好きなことをしていいと言われたので、私はデボビッチ邸を見学することにした。いわゆる敵情視察ってやつね。自分がこれからどんな場所で犯行を行うのか、ちゃんと見ておかなくちゃ。


「デボラ様のお部屋があるのが、この屋敷で一番日当たりのいい白雪宮でございます。南の天花宮が玄関口となっておりまして、右手側にはサロンとギャラリー、階段室の突き当りには化粧室と広めのテラス、さらに来賓客用の応接間との寝室が20部屋ずつございます」

「(無駄に広い……)」


 邸内を案内してくれたのは、エヴァとレベッカだ。まずは天花宮に入り、主だった施設を案内してもらう。


「ちなみ暮雪宮の一階には厨房、配膳室、リネン室、私達使用人の居住区などが集まっております。デボラ様がこちらに参られることはほとんどないかと思います」


 邸内はやはりどこもかしこも豪華絢爛で、ヨーロッパの美術館に迷い込んだかのようだった。だけどよく見ると、廊下に金ピカの獅子の銅像や熊の毛皮が飾られてあったり、いかにも高そうな絵画がこれ見よがしに壁に掛けられていたり、ぶっちゃけ成金?………と思わせるようなインテリアも多かった。これが公爵の趣味なら、マジでセンスないわね。


「それから風花宮には来賓客の皆様がくつろげる大サロン、書斎や図書室、アトリエなど遊興のための場も設けられております」

「まぁ、それは素敵!」


 それまで適当に聞き流していた説明に、私は即食いついた。


 図書室! さすが公爵家。屋敷の中にそんなものまであるのね!

 サロンやアトリエには興味ないけど、図書室ならば何か役に立つ本が見つかるかも。

 そう、例えば『絶対に食べちゃいけない毒草大辞典』とかね。フフフフフ……。


「デボラ様は本がお好きなのですか? 何でしたらご案内しましょうか?」

「ぜひお願い」


 私は早速図書室へと足を運ぶことにした。するとそこには想像をはるかに超える空間が広がっていた。

 体育館くらいの広さはあるであろう大ホールに、温かみのある木の本棚が一階と二階に規則正しく並べられている。天井は名のある画家が描いたと思われる宗教画で装飾されていて、まるで教会にいるかのような厳かさ。もちろんテラスも併設されていて、そこから庭園へと出ることも可能だ。

 何よりこの蔵書量! 古今東西の書物がここに集められてるんじゃないかしら。

 インターネットがない異世界で、これだけの本を閲覧できるのはめちゃくちゃラッキーかもしれない。


「ありがとう、ここの本は好きに見て構わないのかしら?」

「もちろんです。どんな本をお探しですか? 何なら本に詳しい者を呼んで参りますが」

「いえ、結構よ。どんな本があるのか自分で探すのも、楽しみの一つですもの」


 遠慮なく図書室に入り、目的の本を探す。できれば毒草や薬など、殺しの役に立つ資料が読みたいんだけど……。


「……」

「……」

「……」


 ――てく、てく、てく。


 私が歩けば、当たり前のようにエヴァとレベッカも後をついてくる。

 やりづらい。やりづらいわぁ。

 奥方付きのメイドなんだから仕方ないけど、これじゃ目的の本を探すこともできゃしない。


「エヴァ、レベッカ、私、好きな本は一人で落ち着いて読みたいの」

「あ、申し訳ございません!」

「何かあったら呼ぶから、他の仕事に行ってもらって構わないわ」


 にっこり微笑みながらも、言外にどっか行けと伝えると。


「いえ、奥様を一人にするなと申しつかっておりますので……。では図書室の入り口に私、テラスのほうにレベッカが待機しますので、何かありましたらお声がけくださいませ」

「了解したわ。お手間を取らせてごめんなさいね」

「とんでもございません」

「(こくこく)」


 エヴァとレベッカは渋々ながらも私のそばから離れてくれた。さすがにエヴァ達の前で『絶対に食べちゃいけない毒草大辞典』を読み漁るわけにはいかないもんねぇ……。二人の気配が完全に離れたのを確認してから、踵を返す。


「さて、と」


 そして一人、広いフロアを歩き出した。さすがにこの図書室の中から、目的の本を探すのは骨が折れる。私は本棚を一つ一つずつ丁寧にチェックする。


「こっちはヴァルヴァンダ王国の歴史書、その奥が哲学書、こっちは地図のコーナー……」


 だけどやはりすぐには見つからなくて、私はあちこちの本棚を回ることになった。堅苦しい社会科学や芸術の専門書、他国の言語の本の他に、子供向けの童話や小説も書架に並んでいた。ようやく植物学の本に辿り着いたのは、図書室に入ってからゆうに一時間を超えたあたりだった。


「あ、これね、『世界の野草大図鑑』。うーん、探していたのとは微妙に違うけど、とりあえずはこれでいっか」


 私は似たような本を数冊手に取り、南側に設置された閲覧席へと向かった。日当たりのいい窓際には、本を読むための机と椅子が並べられている。

 その一角に近づいた………刹那。


(――え?)


 私は思わず目を瞠り、ピタリと動きを止めた。

 なぜならそこにはこんな時間、遭遇するはずもない人がいたから。

 無造作にソファの上に投げ出された長い脚。

 どこかで見た全身黒づくめの男。

 双眸はしっかりと閉じられ、のんきにも居眠りをしているようだ。

 ちょ、ちょ、ちょっとぉ……あんたねぇ……。


(なんであんたがここにいるのよ、アストレー公爵!! しかも護衛もつけずに一人でって、あまりにも無防備過ぎない!?)


 私はこめかみに青筋を立てつつ、心の中で叫んだ。

 それは初夜に花嫁である私をガン無視した男。

 しばらく執務が多忙で身動きが取れないと、ハロルドから伝言されたはずの男。

 カイン=キール=デボビッチ――に間違いない。


(ふん、なんでこんなところにいるのかは知らないけれど、これは千載一遇のチャンス! 覚悟しなさいよ、公爵……!)


 私の心拍数は一気に上昇し、心なしか足元も震えてきた。

 嵐は去れども、私の心の中の復讐の嵐は止まない。

 奇しくもセシル達の仇を討つ機会が、早速巡ってきたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る