悪役未亡人は自分の役目を全うしたい
相模六花
1章 アストレー編
第1話 悪役未亡人、復讐を誓う
「被告・デボラ=デボビッチ、第一王子の殺人未遂、および殺人教唆の罪で死刑に処す」
「お待ち下さい、裁判官、全て濡れ衣ですわ! わたくしは罠に嵌められたのです! あの女、ロントルモン伯爵令嬢に!」
「言い訳は見苦しい。被告の怒った犯行については証拠・証人が揃い、すべて確定済み。こうして公正な裁判が受けられるだけでもありがたく思われよ」
「いや……いやあぁぁぁっ! なぜ社交界の華であるわたくしが死ななければならないの!? わたくしはただ……他の貴族がそうであるように、享楽的に生きたかっただけなのに!」
「静粛に! これにて閉廷する! 被告は己が罪を猛省し、死刑までのわずかな間だけでも神に懺悔されよ」
「いや……いやよぉぉ……っ! あ、あぁぁぁぁ………っ」
× × ×
これが私の知るデボラ=デボビッチの最後の姿。
スマホ恋愛ゲーム『きらめき☆パーフェクトプリンセス』に登場する悪役令嬢……もとい悪役未亡人の悲惨な末路だ。
『きらめき☆パーフェクトプリンセス』はよくある乙女ゲーのテンプレ的作品で、天使のように可愛いルーナ=ロントルモンが主人公。平民育ちの彼女はある日突然ロントルモン伯爵家の隠し子だということが発覚し、貴族御用達の学園に通うことになる。そこで第二王子や、宰相の息子、騎士志望の同級生、芸術家の後輩……などのイケメンと出会い、彼らとの恋愛を楽しみながら、同時に一流の貴族令嬢を目指す……といのが主なストーリーだ。
このゲームの特徴と言えば、学園パートと社交パートに分かれている所。学園パートでは貴族令嬢としてのパラメータを上げて、社交パートでは王宮で開かれる舞踏会やお茶会に参加し、貴族としての人脈を広げる。社交パートでは現役の騎士や他国の王族やセレブなど、学園にはいないイケメンとも知り合える。
この社交パートで主人公をいじめるのが、悪役令嬢ならぬ悪役未亡人のデボラ=デボビッチだ。「デブ」に語感が似てる「デボ」が二つあったり、名前に「ビッチ」が含まれていたり、もう命名からして制作者の意図が見え見えでヤバい。
白い肌に漆黒の髪・魔性の赤い瞳を持つこのキャラは、夫を亡くした後に社交界に進出し、あっという間に多くの男性の心を奪っていった。学園での勉強をサボってパラメーターが低いと、大体デボラが攻略対象を誘惑し、奪っていってしまう。
まさに全乙女ゲームプレイヤーの敵。悪役中の悪役なのだ。
……とはいってもそこは内容が緩い乙女ゲー。最後はお約束通りデボラの悪事は全てバレ、エンディング後は表舞台から消える。
いろんなパターンはあるけれど、ほぼどのルートでもデボラは死刑。主人公との友情ルートも皆無で、まったく救いようのないキャラ。
それがデボラ=デボビッチ公爵夫人。
稀代の悪女で、破滅の未来しかない女。
かなり前置きが長くなったが、つまりそれが今の私ということだ。
「あああああ、なんでこんなタイミングで前世なんか思い出すのよ、私ぃぃ! まさかあのデボラ=デボビッチに転生するなんて最悪!」
ベッドの中で、私・デボラは一人頭を抱えていた。
周りには誰もいない。部屋には微かに消毒液の香りが漂っているが、看護師が私の様子を見に来る気配もない。
当然だ。
だってデボラは、大事な家族を亡くし、天涯孤独になってしまったばかりだから。
もう誰もデボラのことを心配してくれる人など、いなくなってしまったのだから。
今の時間軸はおそらくゲームが始まるよりも半年ほど前。私はまだデボラ=デボビッチではなく、デボラ=マーティソン子爵令嬢。つまり未婚の17歳の乙女だった。
「なんでこんなことになったの。どうせなら前世のことなんて、忘れたままでいたかった……」
もう涙なんて出ないと思ったのに、気づけばまた私の瞳からはボロボロと透明な雫が滴り落ちていた。
本当のことを言うと、私は前世の自分に関する記憶はほとんどない。なんという名前だったのか、どういう人生を送って、なぜ死んだのか……。
乙女ゲーの内容だけ詳しく覚えているあたり、おそらくはオタク系女子だったのだとは思うけど、前世のことなど思い出さなくてもいいほどに、私はデボラとしての人生を17年間生きてきた。
それで構わなかった。この世界には大事な家族がいたから。
イクセル叔父様にリーザ叔母様。そして天使のように可愛い従兄弟のセシル。
幼くして両親を亡くした私を引き取り、我が子同然に愛してくれた叔父様夫婦。セシルは実の弟のように、私を慕ってくれた。
……幸せだった。
つい三日ほど前までは。
だけど私の幸せは、たった一晩で燃え尽きてしまったのだ。
「お嬢様、大変です! 旦那様達がいらっしゃる本宅が火事です!」
「ええっ!?」
たまたまその日、別棟で休んでいた私は使用人達の悲鳴で目覚めた。慌てて外に飛び出せば、決して狭くはないはずの邸宅が真っ赤な炎に包まれていた。
「叔父様……叔母様……セシル――!」
三人を助けようと、私は寝巻のまま炎の中に飛び込もうとした。けれど使用人達に、あまりに危険だと止められた。
「残念ですが、もう手遅れです。これほど激しい炎の中で、きっと生きている者は……」
「そんな……。……そんなぁ……いやぁ……っ!」
それでも諦められなかった私は、使用人の手を振り切って燃え盛る炎に駆け寄った。だけど炎の壁は私を拒絶し、長い黒髪を焼き焦がした。
「こんなことって……セシル……、どうして――!」
結局すぐに使用人に追いつかれ、私は力ずくで現場から隔離された。
あれだけ立派だった邸宅は30分ほどで焼け落ち、跡形もなく消え去っていく。
全てを失ったあの瞬間、私の心にも炎が宿った。
――憎しみという、どす黒い炎が。
そして昏倒した私は、前世のことを思い出した。
全てを失ったと同時に過去の記憶を取り戻すなんて、なんて皮肉な結末だろう。
「デボラ=マーティソン子爵令嬢。デボビッチ家から使いの者がやってきております」
「っ!」
三日前の記憶を振り返っていると、いつの間にか看護士が部屋に入ってきて、客人の来訪を告げた。
デボビッチ家――
『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の舞台であるヴァルバンダ王国の四大公家の一つ。ゲーム内では、デボラの嫁ぎ先でもあった。デボラは夫亡き後、公爵家の権威を利用して社交界に華々しくデビューするのだ。
悪役令嬢ではなく、悪役未亡人が登場する――そこが普通の乙女ゲーとは、少し違うところだ。
「この度はイクセル=マーティソン子爵夫妻、並びご子息の突然のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。我が主も突然の訃報に心を痛めております」
「……」
私の前に現れたのは、品のいい壮年男性。デボビッチ家の家令だろう。
だがどれほど丁重な態度を取られたとしても、私にとって彼が地獄への使者であるという事実は変わらない。
「つきましては今後、当屋敷にて子爵令嬢の御身をお預かりしたいと、我が主・カイン=キール=デボビッチが申しております。どうか例の件について、再度ご検討くださいますよう……」
「………っ!」
あと少しのところで、私は怒りに任せて手元にあった枕を投げそうになった。
……けど、ギリギリのところで我慢した。
相手は数段格上の公爵家の使い。下位貴族でしかない私が表立って逆らえる相手ではない。
「わかりました。その件については前向きに検討したいと、公爵様にお伝え下さいませ……」
「痛み入ります」
その後デボビッチ家の家令は、多額の見舞金を置いて私の病室を後にした。
多分、腸が煮えくり返るっていうのは、こういうことを言うのかな?
何が『我が主も突然の訃報に心を痛めております』……よ。
今回の悲劇を仕組んだのは、他の誰でもなく、あなたではないの? カイン=キール=デボビッチ公爵。
許さない。絶対許さないんだから……!
再び漏れそうになる嗚咽を飲み込み、私は公爵への復讐を誓った。
× × ×
「落ち着いてよく聞きなさい、デボラ。実はアストレー公爵から、おまえ宛に正式に婚姻の申し込みが来ている」
「えっ!?」
あれは一週間前のこと。家族でお茶を楽しんでいた時、眉間に皺を寄せた叔父様から、突然求婚を聞かされた。
ちなみにアストレーとはデボビッチ家の領地の名前。だから公式の呼び方はアストレー公爵となる。
それにしても寝耳に水とは、まさにこのこと。
なぜ?
どうして私が?
それは私だけでなく、叔父様も叔母様もセシルも、みんな同時に思ったことだ。
「デボラ、お前、アストレー公爵に一体どこで見染められたんだい?」
「わ、わかりませんわ。私、アストレー公爵とはお話どころか、お会いしたこともございません」
「だよなぁ……」
私の返事を聞いて、叔父様は訳がわからないという風に首をひねった。
だけど四大公家からの求婚を断れる貴族などいるはずがない。結婚の申し込みという体裁は取っているものの、これは実質私を嫁に差し出せという一方的な通告だ。
「ダメだよ、姉様、あんな家にお嫁に行っちゃダメ! だってアストレー公爵と言えば、あの悪評高い残酷公爵様でしょう? 滅多に社交界に顔を出さないくせに、ここ数年の間に身分の低い令嬢や商家の娘と次々と結婚して……でも妻になった女性はみな半年以内に亡くなってるって。もしかして公爵様が妻に飽きて、その度に裏で殺してるんじゃないかって、もっぱらの噂だよ!」
「セシル、滅多なことを口にするんじゃない!」
セシルは金の髪を振り乱し、涙目で私に抱きついてきた。そんなセシルを叔父様が慌てて諫める。
そうなのだ。アストレー公爵と言えば、社交界でも評判は最悪。領地に引きこもっているくせに大の女好きで、美女ばかりを集めた秘密の館まであるらしい。
他にも領民に法外な重税を課しているとか、王都の下町で女漁りの途中に暴力沙汰を起こした、とか、とにかく悪評しか聞かない人物なのだ。
「いやだよ、姉様がこの家からいなくなっちゃうなんて絶対嫌! お嫁になんか行かないで……!」
「セシル……」
私のことを思って泣いてくれるセシルの姿を見て、目頭が熱くなった。
可愛い可愛い、天使のようなセシル。黒髪の私とは違い、光きらめく美しいハニーブロンド。一瞬女の子と間違えてしまいそうになるほど整った容姿。そのセシルが私を心配して泣いている。胸が痛まないはずがない。
もちろん末端とはいえ貴族の令嬢である以上、いつかは誰かに嫁がなければならないとは思っていた。だけどまさかこんな最悪の縁談が舞い込むなんて、思ってもみなかった。
「セシルの心配も当然ですわ、あなた。今回の求婚、わたくしも安易にお受けするのはいかがと思います。まるでデボラを生贄に差し出すようなものではないですか」
「リーザ、君まで反対するか……」
セシルに続き私を援護してくれたのは、リーザ叔母様だ。セシルの母親である叔母様も当然美しく、私の自慢の家族だ。
「……そう、だな。確かにデボラが不幸になるとわかっているのに嫁がせるのは残酷だ。わかった、方々手を尽くして、何とか今回のお話はお断りしよう」
「でも叔父様、そんなことをしたら……!」
私は慌ててかぶりを振った。四大公家の一角であるデボビッチ家からの求婚を断るなんて、本来ならば許されないこと。そんなことをしたら、この子爵家は……。
「心配するな、デボラ。おまえのことは私達が必ず守る。家のことも心配するな。私は卑劣な脅しになぞ屈しない」
「叔父様……」
「そうだよ、姉様。安心して。ずっとこの屋敷で僕と一緒に暮らそう!」
叔父様の力強い言葉を聞いて、セシルは破顔した。
家族の優しさに甘えてしまって本当にいいのか、迷惑をかけるだけではないか、自分さえ我慢してアストレー公爵の許に嫁げば……と迷ったけれど、結局私は叔父様達の言葉を信じることにした。
私だって本音は悪魔のような男だと噂される公爵に嫁ぎたくなんかない。
こうして少しでも長く大切な家族と暮らしたい……。
あの時は一縷の望みを、叔父様に賭けたのだ。
けれど――
正式にデボビッチ家からの求婚をお断りした翌日、あの火災は起きた。
その後の調査で、火災の原因は不審火であることが判明。――つまりは放火。
叔父様や叔母様、セシルは殺されたのだ。
おそらくは求婚を断り公爵家の誇りを傷つけた、その報復として。
「許さない。絶対あなたを許さないわ、カイン=キール=デボビッチ!」
私は暗い病室で枕を思い切り叩きながら、アストレー公爵を呪った。
私から家族を奪った犯人は、疑う余地もなくアストレー公爵だ。
間違いない。彼以外、他に誰がいる?
でもおそらく彼は地位の高さから、正しく裁かれることはないだろう。
ならば私自らが、セシル達の敵を討つ。
カイン=キール=デボビッチの命を奪い、復讐を成し遂げる。
『きらめき☆パーフェクトプリンセス』では、稀代の悪女として登場したデボラ=デボビッチ。
上等よ。私にはもう失うものは何もない。その悪女の役目、全うしてやろうじゃない!
――何より、カイン=キール=デボビッチはゲームの中には一切登場しない。
彼は死ぬ運命にあるのだ。
少なくともゲームが始まるまでの、この半年以内に。
つまり私・デボラは夫を殺し、ゲームの設定どおりに未亡人となる。
そして夫殺しの罪を背負いつつ、やがて破滅ルートを辿ることになるのだろう。
それでいい。
私が選んだ道の先にあるのは、どこまでも深い絶望と憎しみだけ。
未来なんて――もういらない。
「ごめんなさい、セシル。叔父様、叔母様。あと半年だけ私に時間をちょうだい。
その間に必ず復讐を完遂するから。そうしたら私もあなた達の許へきっと旅立つから――」
窓から見える太陽は真っ赤な輪郭をぼかしながら、遠い地平に沈もうとしている。
復讐を誓う私の言葉も、薄闇に溶けていった。
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