第一話 絶望より這い出る獣 後編
グラデウス山脈 中腹
グラム王国 東部方面軍 第三旅団 野営地
「山の西側に陣取っていた部隊と連絡がつかん」
言葉を発したのは、山に設えられたテントの最も奥に座する偉丈夫。
年の頃は四十を少し超えたくらいか。
口髭を生やした厳つい顔の男が、
「大騎士クアトロ、西と連絡がつかないってのはどういう事です。神隠しに遭うような人数でもないでしょうに」
リバックは思った疑問をそのまま口に出す。
日の沈む頃、リバックはオーリンを連れ立って、野営地にいた。
二人が相手にするのはグラム王国の第三旅団を纏める、大騎士クアトロであった。
化物のことを知らせるために、オーリン達は直属である騎士長に話をしたところ、さらに上の第三旅団の長である大騎士クアトロにまで伝わり、実際に対応したオーリンとリバックが話をすることとなった。
それもクアトロが現場上がりであり、生きた情報を重要視したためでもあるが。
「あれの残骸を見たが、お前達の言う通り大災害の前触れやもしれん。西に向けて正騎士を向かわせはしたが、想像通りであれば迂闊な動きはできん」
オーリンとリバックが倒した化物は、クアトロの指示で野営地に運ばれている。
その異様に直で接触した者から漏れ出た話が、旅団内に広がるのに時間はかからなかった。
恐怖は伝播していき、騎士達が浮足立つ要因となる。
「あの化物は、やはり魔獣なのですか?」
畏まったように言うリバックに、首を振り溜め息をつくクアトロ。
「断言はできんが、あんなものは今まで見たことがない。となればそういう事であろうよ」
クアトロ自身も過去に行った演習の記憶を探ったが、今回の出来事と類似したものの報告は受けた事がない。
実際に化物の死体を己の眼で確認したクアトロは、死してなお得体の知れぬ化物が、内に秘めている脅威を肌で感じていた。
あれがもしこの山に生息していて、今も野放しになっているのだとしたら演習どころではない。
「いざとなれば、導師に頼まねばならんかもしれん」
短く整えられた髭をさすりながら、クアトロは苦渋の表情でそう言葉を漏らす。
「導師ってのは、あの……」
実際に関わったことはないが、王国ではある意味有名な名称が出てきて、オーリンはリバックを見る。
「……五百年前の聖女の残した予言。来るべき大災害に対抗する為に存在するという、奇怪な業を使う連中」
ポツリと漏らすリバック。
二人の反応にクアトロはどう返していいものか逡巡する。
「導師はすでに旅団内の各場所に存在している。あれが魔獣であり、真に大災害に関係するものであれば、彼らの力を借りねばならん」
ふいに閉め切られたテントの中に、ひゅるりと風が舞い込んでくる。
「奇怪な業、というのは聞かなかったことにしよう、見習いの諸君。グアラドラのヤン導師推参である」
天幕の内に光が差し込むと共に、背筋を真っ直ぐにした妙に姿勢の良い男が入ってくる。
頭髪は隠すように白い布に覆われ、装飾のなされた額金の下には、朗らかに笑う表情が覗く。
歳の頃は壮年に少し差し掛かったくらいか。
服装は特殊な紋様の織り込まれた上等なものであり、見た目以上に軽やかな足取りから、動くのに不都合のなさそうな機能美も兼ね備えていた。
自らをヤン導師と名乗った男は、深緑に輝く瞳を細めながら言葉を紡ぐ。
「あれらは真に偽りなく予言に記されし魔獣である。地より這い出たる
「魔獣グアヌブ……ですか」
「予言の通りならば、猶予もあまりない。
クアトロはヤンの言葉に息をのむ。
「我らが王……」
「そうだ、
* * *
グラム王国の偉大なる魔導王。
それは今より五百年ほど昔、王国を興して民を導いた偉大なる王の話。
彼は魔導と呼ばれる力を持ち、天地万物を操り、国に豊穣をもたらしていたとされている。
だが、ある日突然、王は民の前から姿を消す。
それはとても長い間であった。
しかし、民は偉大なる王の姿を忘れることはなかった。
何百年経とうとも。
魔導王の傍らには常に聖女がいた。
癒しの聖女とも、予言の聖女とも呼ばれた彼女。
彼女は王と共に多くの人々を救った。
とある日、彼女は予言する。
来るべき日、大災害が人々を襲うと。
民は語り継ぐ。
王は今もなお、大災害の日の為に、王宮の奥深くで眠りについているのだと。
* * *
足が棒の様だ。
だけど歩みを止めるわけにはいかない、
あれを対処するには野営地に戻って応援を呼ばなければならない。
息が切れる、心臓が早鐘を打つようにゴンゴンと痛くなる。
汗で張り付いた前髪を払う余裕すらなく、見習い騎士のアーモは走る。
同行していた騎士が対応してくれてはいるが、人間にどうにか出来るとは思えない。
あれは化物だ。
眼を見た瞬間に、魂を握りつぶされるほどの恐怖を感じた。
助けてくれと、ただ
許してくれと、哀願するしかないように。
しかしあれに言葉は通じないだろう。
アーモは、化物のあの
喰われる、と。
──バサリ
アーモは足を止める。
見たくない、見たくない、見たくない。
心がその存在を拒絶する。
だが視界に入る。
黒く巨大な化物の四肢が。
漆黒と同化した場所から
死を連想させる何十もの視線が、アーモを捉えて離さない。
「い……やだ……」
現実は、無常である。
「死にたくない!」
アーモの叫びがこだまする。
ただただ喉の奥底に叫喚が溢れ、アーモは駆け出す。
すぐ背後にいるかのような化物の吐息を感じながら、必死に逃げる。
その時、アーモの目に虹色に光る何かが見えた。
それはとても幻想的で、アーモ・フレデリックの視界を優雅に舞う。
「……蝶?」
「おぉ、これは
演技染みた、しかし自信に満ちた張りのある声がアーモを正気に返す。
化物のいる場所とは反対側、木々の間より、
時を忘れる程緩やかに、黒色の世界に彩りが舞い降りる。
「グアラドラのヤン導師、推参である。見習いの、少し離れていなさい。世の平穏を
どこか芝居じみた話し方であり、今の状況を
アーモと化物の間に立ったヤンは、威風堂々と化物達を見渡す。
「我等が王の力の一端、とくと見よ!」
導師と名乗った男の左手がゆっくりと前に上がる。
周囲の空気がそこに集まっていくように大気が微かな振動を起こす。
見る間に掌の中に、紫の彩を放つ鮮烈な雷光が生まれた。
世にも不可思議なその光景に、アーモは目を離せなくなる。
「魔導に至りて見出したるは我が導術、天より集まり、走り、弾けよ。
口上が終わると、ヤン導師は自らの手に集めたそれを放るようにひょいと前に出した。
それはゆらゆらと揺れながら無数に分裂していき、化物達の前に進む。
緋眼はただ不思議な様子で光を見やる。
半ば茫然としたように。
化物と接触する直前、光の球体は内側に激しい雷を発生させ、自らを内に内に留めていた外膜を破り去る。
眩い紫電が球体から解き放たれ、全ての緋眼を焼き斬っていく。
阿鼻叫喚とも言えぬ光景。
悲鳴をあげる暇すらなく、その場にいた緋眼の全ては、肢体を何百分割にも斬り裂かれ、逃れなき終焉を迎える。
雷光が
轟音と共に喧騒が静寂から支配権を取り戻す。
その場に在った絶望は、ヤンの魔導により刹那にして消え去った。
「刮目せよ!
化物達の骸の累々たる大地にて、溢れ出る自信を胸に、ヤンは満足げな表情を浮かべる。
万象を自在にする力を奮い、ヤンは両の手を大きく広げながら大地の喝采を受けるかの如く振る舞う。
──ガアアアアアァァァッッ
細切れにした血肉に隠れて、生き残った化物の一体がヤンを狙って走る。
黒い血を流し、牙を露にし、怒り狂う姿を晒して。
尋常でない速度で飛び出した化物。
ヤン導師の首筋に巨大な腕が迫る。
瞬刻、その大きな腕は、ヤンの肩上を通り抜け飛翔した大きな矢に貫かれる。
何が起こったのか理解できないままに、化物は緋色の眼を見開く。
矢の衝撃でヤンから離れた化物に、重ねるように放たれたもう一本の矢が、化物の頭蓋を狙い違わず抉り飛ばした。
「ヤン導師、今はそのような悠長な時ではありませんぞ」
自らの背程もある剛弓を持ったクアトロが、オーリン達を伴って姿を現す。
「お見事!」
ただ純粋にクアトロの弓の腕前に賛辞を贈る。
拍手でもしそうな勢いだが、流石に我に返ったのかヤン導師はアーモに近づく。
「しかし凄まじいな、あの化物がこうも容易く片付くとは」
呆れたようにリバックが嘆息する。
「あぁ……、あれが魔導というものなのか」
オーリンも何か考えるように、化物の死骸を見る。
かつて己と死闘を繰り広げたそれと、同種の骸を。
「助かった……」
目の前の変化に未だついていけていない所のあるアーモの眼前にヤンが手を差し出す。
「生き残った部隊はすでに撤退中だ、我らとお主以外はな。他の導師達も手を貸しておる故に、心配御無用」
ヤンは変わらぬ調子でアーモ引き起こしながら語り掛けていたが、ふと視線を森へとやる。
「ふむ。蝶……か。それは夢か現か。興味深いが、まあ今はよかろう」
アーモが見た虹色の蝶は、ヤンが目を向けたその瞬間に姿を消した。
クアトロが化物に突き刺さった矢を一息で抜き去り、腰の矢筒へと仕舞った。
「あれが何体居るか予想も出来んが、今の所対処できない程でもない。だが、どこから湧き出ているのか。しかし国に戻るのが最優先か。今日の内にイーノの村まで下がれるといいのだが。おい、お前はどこの部隊の生き残りだ?」
王国の大騎士を表すクアトロの外套を見て、アーモは即座に姿勢を正す。
「はっ、食用調達班のアーモ・フレデリックと申します! これより奥地にて先ほどの化物に襲われましたが、騎士様に救われてこの場まで逃げてまいりました」
その言葉を受け、クアトロの顔が歪む。
「ヤン導師」
「何、乗りかかった船だ、参ろうではないか。疾く案内せよ見習いの」
さも当然という声色で、ヤンはそのまま歩を進める。
そのやり取りを聞いてオーリンとリバックは互いに顔を見合わせ、頷く。
アーモは慌てたように指示の通り行動をする。
彼の中からは、一刻前までの恐怖など、とうに消え去っていた。
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