無色のノエルは自重がデキナイ 2
改装という名の建て直しを終えた後。ノエルは、院長先生やフィーナと共に孤児院の中へと足を踏み入れた。そこには機能美にあふれたエントランスホールが広がっている。
「これは……ずいぶんと立派な玄関ですね」
「資材は取り壊した廃屋の分があったし、土地は余っていたからね。でも、調度品の類いは用意できなかったから、そっちはおいおい揃えていこう」
ノエルは続けて、エントランスホールから上に続く階段を指差した。
「二階はすべて子供部屋だよ。一人部屋と二人部屋の両方を用意しておいた。部屋は十分に余っているから、好きなように割り振ればいいんじゃないかな」
「それはとても助かります。二人部屋の方が良い子もいますから」
孤児院の子供は身寄りのない者達ばかりである。中には凄惨な体験をした者もいて、一人になることを恐れるような子供もいる。
そのことを、孤児院出身であるリディアは知っていた。
「二階に続く階段はここと、裏手にある非常階段の二ヵ所。裏手の階段は、地下まで降りることが出来るよ。その地下は倉庫を兼ねたシェルターになっている」
「二階だけでなく、地下室まで……」
院長先生はどこか遠い目をしている。
「ねぇねぇノエルお姉ちゃん、一階部分はどうなってるの?」
「一階は院長室にシスターや客人が暮らす部屋。それに子供達が遊ぶ部屋に、キッチンとリビング。後は洗面所にトイレ。後は……お風呂の予定」
ノエルは部屋割りを思い出しながら答える。
お風呂と口にした瞬間、フィーナが目を瞬いた。この時代の水源は井戸水なので、お風呂に入る余裕があるのは、貴族を始めとした一部の裕福層だけである。
「予定って、どういうこと?」
「金属を始めとした足りない材料が多かったんだ。あ、でも、キッチンとか洗面所には、手押しポンプで水が出るようになっているからね」
といった話をしていたのだが、院長先生が途中で目眩を起こしてしまった。せっかく過労が治ったのに、今度は心労で倒れてしまいそうである。
そんな院長先生を気遣ったノエルは、彼女を院長室に案内することにした。
「という訳で、ここが院長室だよ」
「あぁ、よかった。部屋が新築同然で広くなっただけで、特別なことはなにもないのね」
院長先生は安堵の溜め息を吐く。
なお、改築で部屋が広くなったり、新築同然になるのもわりと特別なことである。
「材料が足りず、建物自体を優先した結果だ。だから、ランプなんかの類いも、数が足りてないと思う。悪いけど、しばらくは不便を強いるよ」
「いいえ、隙間風に悩まされた以前と比べればここは天国です。ノエルさん。このように素晴らしい改装を施してくださって、感謝の言葉もありません」
院長先生は深々と頭を下げた。
「どういたしまして」
ノエルは笑って、院長先生にはそのまま休息することを勧める。
もちろん、義理堅い彼女は自分だけ休むことを嫌ったが、フィーナが自分が院長先生の代わりに頑張ると院長先生を説得した。ノエルはその光景を眩しそうに見守った。
その後、フィーナに話を聞きながら内装を微調整。ベッドシーツや掛け布団なんかを作り直していると、外から子供達の声が聞こえてきた。
「うわぁ、なにこれ、どうなってるの! お家がおっきくなってるよ!」
「ま、待ちなさい、あなた達。孤児院がおっきくなったりするはずがありません。もしかしたら、帰る場所を間違えたのかもしれません」
「なに言ってるの、リゼッタ先生。だってここ、どう見たって家の敷地だよ~」
子供の方が柔軟性が高いらしい。
そんなことを思っていると、フィーナがみんなを出迎えに外に出て行った。
ほどなく――
「「「ノエルお姉ちゃん、孤児院を綺麗にしてくれてありがとうございますっ!」」」
孤児院に入ってきた子供達が一斉に感謝の言葉と共に頭を下げた。その中にはフィーナも混じっている。どうやら、彼女の仕込みのようだ。
でもって――
「私達の部屋は二階だよ。部屋割りは話し合って決めれば良いって」
フィーナが燃料を注げば、子供達は大はしゃぎで二階に上がっていった。
「あ、ちょっと、あなた達、待ちなさいっ!」
シスターのリゼッタが呼び止めようとするが子供達は止まらない。
彼女は困った顔でノエルに視線を向けた。
「あはは、みんな元気いっぱいだね。こっちは大丈夫だから行ってあげて」
「すみません。感謝は後ほど。それと、お使いで買ってきた物はそこにありますので」
慌てた様子でリゼッタは階段を駆け上がっていった。すぐに上から「あなた達、喧嘩しないのよ!」なんて声が聞こえてくる。
それを見届けたノエルは、自分の隣に残っているフィーナへと視線を向けた。
「部屋を取りに行かなくていいの?」
「うん。私はノエルお姉ちゃんのお手伝いをする」
「……こっちは大丈夫だよ?」
「ありがとう。でも私は、ノエルお姉ちゃんのお手伝いをするって決めてるから」
フィーナが胸の横で両手をぎゅっと握り締め、ノエルをじっと見上げてくる。
「もしかして……院長先生からなにか聞いてる?」
「うぅん、でも、なんとなく分かるの。ノエルお姉ちゃんが借金のことで色々してくれたんだって。だから私、ノエルお姉ちゃんに恩返しをしたいなって。ダメ、かなぁ……?」
フィーナはちょっぴり不安そうに小首をかしげた。
「ダメじゃないけど、フィーナがそんな風に恩を感じる必要はないんだよ?」
ノエルの言葉に、けれどフィーナはふるふると首を横に振った。
「前にね、私を買い取りたいって、借金取りのおじさんが院長先生に言ってるのを聞いちゃったの。そうしたら、借金をチャラにしてやるって」
「そう、だったんだ……」
薬師が子供を買おうとしていたことはアレクシアの報告にあった。
だが、その子供がフィーナだったというのは初耳である。
(あの借金取り、もう一回くらい殺しておけばよかった。むしろ、薬師の方を何回か殺すべき? でも、今頃強制労働させられてるんだよね……)
「院長先生は拒んでくれたけど、でもでも、それでみんな大変になって……だから、ノエルお姉ちゃんは私の恩人なんだよ。ありがとう、ノエルお姉ちゃん」
純粋な感謝の気持ちをぶつけられ、ノエルの心がじぃんと暖かくなった。
「私も、フィーナを助けられてよかったよ」
ノエルが優しく頭を撫でれば、フィーナはくすぐったそうに目を細める。
「えへへ……それでノエルお姉ちゃん、次はなにをすればいいの?」
「そうだねぇ……じゃあ工場の方に荷物を運ぼうか」
という訳で、綿と炎の魔石を手に持って、孤児院の隣にある建物へと足を運んだ。
「うわぁ、見事になにもないね」
孤児院のような内装を期待したのだろう。敷地面積が孤児院の倍くらいある建物の中はがらんどうで、隅っこにぽつんと道具が三つだけ並んでいる光景にフィーナは瞬いた。
「こっちも建物優先で、設備を追加できるようにしてあるんだよ」
もちろん、ノエルであれば毎回、建物を改築するなんてお手の物だ。だが、日に日に建物が大きくなっていくのはいくらなんでも目立ちすぎるという配慮である。
「それで、あの隅っこにあるのはなぁに? あれはもしかして織機?」
「よく知ってるね。もしかして廃屋に入ったことがある?」
廃屋は紡織と機織の工場だったのだ。
「そ、外から覗いただけだよ」
「そういうことにしておいてあげる。ダメだよ、危ないことをしちゃ」
「えへへ、ごめんなさい」
無邪気に笑うフィーナは可愛らしい。
(少し生活に余裕が出てきたおかげかな?)
ちゃんと子供っぽいところもあるのだと、ノエルは少しだけ安堵した。
「それで……織機があるってことは、買ってきた綿で糸を紡いで生地にするの?」
「正解」
ノエルは頬を緩めた。
「ノエルお姉ちゃんがお仕事をくれるって言ってたのはこのことだったんだね。私にも、糸を紡いだり出来るかなぁ?」
「あー違うよ。みんなに頼むのは糸を紡いだり、生地を織ることじゃないよ」
「……え?」
すっかり糸を紡ぐ自分を思い浮かべていたフィーナは首を傾げた。
「こっちの機械に炎の魔石をセットするでしょ。でもって、しばらく待つんだけど――」
ノエルはそう言って、待機時間のあいだに錬成魔術で綿からゴミを除去。不純物のなくなった綿を紡織の機械にセットした。
しばらく待っていると、炎の魔石をセットした魔導具が小さく高い音を立て始める。
「な、なにこの音?」
「これは蒸気でタービンが回ってる音だよ」
「……タービン?」
「蒸気タービンって言って、蒸気で羽根を回転させて、それを動力にするんだよ」
「羽根を回転させて、動力にする???」
フィーナが訳が分からないといった面持ちになる。
リディアが持つ知識だが、ノエルはこの蒸気タービンについて知らなかった。もしかして、この時代には蒸気タービンが存在しないのだろうかと考える。
「えっと……水車とか風車を動力にするって、聞いたことない?」
「あっ! 水車なら聞いたことがあるよ! 小麦粉を引いたりするんだよね?」
「そうそう、それと同じだよ」
たしかに分類的には同じかもしれないが、技術レベルがまるで違う――と突っ込む者はいない。フィーナは「そっか、水車みたいな物なんだね~」と納得した。
「でも、ノエルお姉ちゃん、その蒸気タービンでなにをするの?」
「この紡織と織機は、半自動で糸や生地を作ってくれるんだよ」
ノエルは紡織の機械に動力を伝える。動力を受けた機械が駆動音を上げ、綿の繊維をほぐして方向を揃え、一本の紐状へと変化させていく。
「ここから出てくる紐状の繊維がスライバーって言うんだけど、これが完成したらこっちの機械に移して、引き延ばして出来たのが粗糸。それを更にあっちの機械で撚り糸にするの」
「え、え?」
フィーナは次々に説明されて目を白黒させている。
「あはは、手順はまた後で教えるから、いまはなんとなく知ってくれればいいよ」
「う、うん。がんばる……っ!」
(素直で良い子だなぁ)
ノエルは微笑んで、あらためて作業の説明に入った。
「みんなには、綿からゴミを取る作業や、完成したスライバーや粗糸を機械にセットする作業をしてもらいたいんだ。織機の方も同じ感じだよ」
文明が衰退して数百年、久しくいなくなっていた単純労働者の再誕である。
(それにしても、この時代にはどうしてこの手の技術がないんだ?)
不思議だねと首を捻るが、そのおかげで孤児院の経営状態の立て直しに大きなアドバンテージを得られるのだから、まぁ良いかなとノエルは笑う。
とにもかくにも、テスト稼働による紡織は成功した。
「よし、テストはこれで十分だね」
「凄い凄い、ホントに糸になってるよ! しかもすっごく綺麗!」
機械仕掛けであるがゆえの均一な糸にフィーナが目を輝かせる。
「でしょ? これで綺麗な生地が量産できるようになるよ」
「じゃあじゃあ、明日からお仕事を頑張ればいいの?」
「うぅん、その前にやることがあるから、もう少し経ってからかな」
「そうなんだ……」
残念そうなフィーナ。
「言っておくけど、勝手に入っちゃダメだよ、危ないから」
「そ、そんなことはしないよ?」
フィーナは否定するが、慌てている辺りが怪しい。
「あのね、フィーナ。蒸気タービンは勝手に触ったりしたらすっごく危険なの。だから約束して。私が許可するまで、絶対にここに来ないって」
目線を合わせれば、フィーナもノエルの本気に気付いたようだ。
「分かった。約束する!」
「うん、フィーナは良い子だね」
と、そんな感じで試運転は終了。
後は院長先生に後のことを任せ、また来ると言ってノエルは孤児院を後にする。アレクシアから更なる援助を引き出すべく、試作した糸を持って屋敷に帰宅したのだが――
「ノエル、正座」
「ただいま……って、え?」
「いいから正座」
屋敷に戻ると、エントランスホールで腰に手を当てたアレクシアが待ち構えていた。
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