カラダクレ

高見南純平

プロローグ 

 目覚めるとそこは、草木がざわめく真夜中の森だった。空を追うように、樹木が生い茂り、辺り一面草木で覆いつくされていた。


 齢6歳の正二しょうじは、何故この場所にいるのか理解できなかった。まるで夢の中にいるかのような感覚だった。目は少しだけ開いており、今にも寝そうな形相を浮かべていた。


 故に、自分が置かれている立場を、正確には理解しておらず、何ら不思議に思わなかった。


 鋭利な音ともに、秋の風が正二の体を通り過ぎていった。肌寒く、背筋が凍るようだった。


 悪寒の影響により、正二の瞼が全開に近いほど開いてきた。その瞳で辺り一面を見渡すと、自分の何倍もある樹木たちがこちらを見下ろしていた。


 幼き正二には、大木の木目が化け物の顔のように見え、嘲笑っているように思えた。

 急に恐怖を覚えた正二は、小さく後ずさりをした。雑草のきしめく声が聞こえた。


 すると、空高く聳え立つ樹木の葉の隙間から、か細い月明かりが正二を含め、森全体を照らした。

 小さな明かりではあるが、先ほどよりも森の全体像が分かりやすくなった。

 住宅のある地帯というよりは、山奥に存在する森といった印象だった。


 家の近所であれば、一度は訪れたことがあるはずだ。しかし正二は、ここに訪れた記憶が一切なかった。


 次第に脳がさえてくると、いっそうこの場所が異様に感じてきた。

 自宅に帰る道があるかはわからない。しかし、すぐに帰ろうと決心をした。

 その時だった。


 この場を去ろうとする正二を止めるかのように、そいつは姿を現した。

 突然出現したそれに、正二は驚き、思わず帰ろうとしていた体が硬直した。さらなる恐怖が、正二に襲い掛かった。


 そいつとの距離は、数メートルぐらいだろうか。近いようで遠い、不思議な距離感だった。


 一本の月明かりに照らされたそれは、サッカーボールのような形をしているように見えた。


 だが、正確にそこにいるそれの形を判断するのは至難の業だった。何故なら、月明かりがあるとはいえ、辺りは暗く、形を判別するのは難しかった。さらに、そいつもまた真っ黒な色をしていたからだ。


 しかし、真夜中の森の中に見えない線で枠組みしたかのように、何故かはっきりと丸い形と判断することができた。

 正二が不思議そうにそいつを見つめていると、なんと黒い円型の中に、さらに二つの円が見えてきた。


 その二つの円は、下から上へと開いていき、中から目と思われるものが現れた。白目と黒目に分かれた、まごうことなき目だった。


 正二は、そいつを何らかの生物と判断した。しかし、家にある動物図鑑で見たどれにも当てはまらなかった。


 見たこともないその生物に、恐怖を通り越して、興味がわいてきた。瞳が存在するそいつは、この森の中で一番親近感を覚えるものだった。


 黒い生物を見ていると、正二は徐々に落ち着いていき、先ほどの恐怖が治まってきた。

 後ずさりをするのではなく、正二がそいつに近づこうとしたとき、前から声が聞こえてきた。


 その声は、弱弱しく何を言っているのかは理解できなかった。しかし、数回声が発されると、とぎれとぎれ言葉が正二の耳に届いた。そして、その声の主が目の間にいる黒い何かということに気が付いた。


「カラダ……」


 それでも、全ての言葉を聞き取ることができなかった。


「カラダ……カラダ」


「カラダがどうしたの?」


 自分でも気が付かぬうちに、正二は聞き返していた。弱っている様子のそいつに、興味をひかれていた。


「カラダ……クレ」


 小学一年生の正二にも、その言葉の意味は分かった。


「カラダがほしいの?」


 問いかけると、そいつから返事が返ってくることはなかった。代わりに、首を縦に振ったように正二には見えた。ボールのような形をしたそいつに、首という部位が存在するかどうかはさだかではないが。


 正二は上空を見上げ、少し考えた。いつの間にか正二はリラックスした状態になっており、夜風が心地いいと感じていた。


「いいよ」


 正二の声色は暖かった。数メートル先のそいつを、屈託のない真っすぐな瞳で見つめた。


 6歳の正二は「カラダクレ」という言葉の意味は理解しても、その言葉の重みは理解できていなかった。

 そいつの頼みに答えたのは、そいつが弱っていたから、という単純明快なものだった。


「ホント……二?」


 形からはわからないが、声で戸惑っていることがわかると、途端に小動物のように見えて、可愛く思えてきた。


 正二はそいつを、形は違えど、犬や猫のような愛玩動物のようにとらえていた。


「うん」


 不安そうな黒い何かをみると、元気を出してあげようと、一歩、二歩と近づいた。


「アリ……ガトウ」


 お礼を言ったそいつを見て、悪い奴ではないと思った。何故なら、この前消しゴムを貸してあげたのに、お礼一つ言わなかった健太より、礼儀正しかったからだ。


「どういたしまして」


 正二とそれの距離が目と鼻の先まで近づくと、より愛くるしく感じた。それと同時に、思いのほか弱っていることに気が付いた。


「カエ……ス」


 真ん丸の瞳で正二を見つめるそれは、やっぱり礼儀正しいと思った。健太は結局消しゴムを返してはくれなかったからだ。


「やくそく、だよ」


 小さなそいつに目線を合わせるため、正二はその場でしゃがみ、利き手である右手を差し出した。そして、手を握り小指だけをそいつに向けた。


「ゆびきりげんまん」


 再び、正二は屈託のない満面の笑みを浮かべた。

 空から、月明かりが正二たちを照らした。


 すると、黒いそいつの目の下から口と思われるものが、新たに現れた。

 そしてそいつは、正二に向かって大きく口を開いた。

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