テーマ付短編

亜月 氷空

雨、星、非常食


 開けた窓から生暖かい風が吹いてきて、いったん掃除の手を止めた。雨の匂いがする。つん、と鼻につく独特の匂い。あれはアスファルトに舞う埃が雨と科学反応を起こしてどうのこうのという人もいるが、そんなことは知ったことではないし、この匂いも案外嫌いじゃない。「雨の匂い」なんて、なんだか風情があるではないか。

 そういえば、あいつはちゃんと傘を持って出かけただろうか。外にも出ず天気予報もろくに見ない自分と違って、その辺りはしっかりしているような気もするが、些か心配ではある。一応連絡だけ入れておくかとスマホのメッセージアプリを開いた。

「えーと、『傘持ってる?』と」

 すぐには既読がつかなかったので、そのまま閉じて部屋の掃除を再開する。なんで掃除なんかしてるんだっけ。ああ、そろそろ足の踏み場がなくなってきたからだ。あと、仕事の締切が微妙に近いからだ。なんでこう、締切ってものが近くなると別のことをしたくなるんだろうか。しかも、今始めなくても明日からやれば何とか終わりそうな仕事だから余計質が悪い。普段部屋の掃除なんてしないくせに、急に片付けたくなってきたから不思議なものである。

 床が比較的見えるようになってきた。我ながら結構頑張ったんじゃないかと思う。そろそろ疲れたし終わりにしていいかな、いやでもまだ机の上がひどいぞ、なんてちょっとした葛藤を繰り広げていると、ふと机の隅の方に隠れた小瓶が目に入った。何だっけこれ、と資料の山を派手に崩してそれを掘り出す。片手で握れるほどの小さなガラス瓶の中に、米粒よりも小さなトゲトゲした薄茶色の欠片がたくさん入っている。何て言うんだっけこれ、ええとたしか……星の砂だ。海とか行くとお土産コーナーに売ってるやつ。小学生くらいの頃に流行ってた気がするが、今でも売っているのだろうか。ちょっと瓶を傾けると、かすかにカラカラと音がして、懐かしい気持ちになった。蛍光灯の光に照らすとキラキラしているように見えて、これを「星の砂」と名付けた人は天才だな、なんて思う。今日は生憎の雨だが、きっと太陽に照らせばもっと綺麗に見えるのだろう。

 がちゃり、と玄関が開いた音がした。あいつが帰ってきたらしい。自室から出て、出迎えに行ってやる。

「おかえりー……ってびしょびしょじゃん! しかもなにその大荷物」

 どう見ても傘を差さずに帰ってきたのであろうほど頭と肩が濡れていて、両手には大きなマイバッグを二つずつ抱えていた。たしかスーパーに買い物に行ってくると言っていたはずだが。

「ただいま。いやあ傘は持ってたんだけど、ちょっと荷物多くて傘させなくて」

 困ったようにはにかむ姿は可愛らしいが、それにしてもひどい有様で呆れてしまう。

「馬鹿じゃないの? とりあえずタオル持ってくるから、軽く拭いたらシャワー浴びてきなよ」

「うん、ありがと」

 全く世話の焼ける人である。洗面所からバスタオルを一枚とって、放り投げてやった。

「で、こんなにたくさん何を買ってきたの?」

「明日から台風来るっていうから、たくさん買い込んでおこうと思って」

 袋もびしょびしょだったので拭くついでに中身を覗くと、肉とか魚とか野菜とかの普段料理で使っているような食材に加えて、カップラーメンや缶詰などの食品も入っている。

「え、カップ麺とかいつも健康に悪いからだめって言うじゃん」

「これは非常食だから別枠」

「なんかそれずるくない? あと台風とか聞いてないんだけど」

「テレビでもネットでも言ってるよ? 巨大なのが来るから外出を控えてくださいって」

 テレビもネットも見なさ過ぎて全く知らなかった。やっぱ見た方がいいんだろうなとは思うが、たぶん三日もしないうちに飽きるから向いていない。

「ていうか、傘させなかったなら呼んでくれればよかったのに」

 びしょ濡れになる前に、メッセージのひとつくらい送ってきてもいいだろう。せっかく一緒に住んでるって言うのに。

「え!? 言ったら迎えに来てくれたの!? 嘘でしょ!?」

「失礼な奴だな。迎えにくらい行くけど」

「ほんとだ、メッセージ来てるし……。まじか、せっかくのお迎えイベントフラグが……」

 迎えに行くと言ってここまで驚かれるのは心外だし、あからさまに落胆するのもやめてほしい。本当に失礼な奴だな。

「あれ? それ、何持ってるの?」

「え?」

 そういえば、さっき掃除をしていた時に見つけた星の砂を持ったままだった。

「ああこれ、今部屋の掃除してたら出てきたんだけど」

 掌を開いて小瓶を見せる。

「懐かしいなあと思って……あ、ちょっと!」

 何を思ったのか、急にその小瓶をひったくられてしまった。取り返そうにも、胸のあたりでぎゅっと握られてしまって手が出せない。

「なんでまだこんなの持ってんの!? もー恥ずかしいから捨てて!」

 何かを思い出したのか、わずかに頬を染めている。

「いやあ、それはできないかな。なんてったって、お前が初めてくれたプレゼントなんだから」

「ほんっとはずい……。だってあれ、小学生の頃じゃん……。なんか、あの頃はすきすきーってしてた気がしてほんと恥ずかしいから……」

「結果オーライじゃん。なんか問題ある?」

「ないけど! ないけどさあ!」

 こんなに恥ずかしがる様子を見るのは久しぶりで、なんだか楽しくなってきてしまう。

「ほら、はやくシャワー入ってきな。風邪ひくよ。あとそれも返して」

「はあい」

 浴室に入っっていくのを確認して、自室の掃除に戻る。返してもらった星の砂は、これ見よがしに机に飾ることにした。いつ気付くかな、気付いたら何て言うかな、なんて考えて、自然と鼻歌が零れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る