禁秘と月影

亜月 氷空

禁秘と月影

 都会の喧騒から少し外れた、路地裏の一角。一見すると廃ビルのような、蔦の貼った建物の二階にひっそりと置かれた小さな探偵事務所。ちょうど昼時だというのに、薄暗く近寄りがたい雰囲気のあるその場所には、けだるそうな男が一人。

「―――てわけで、旦那さんはこの女と浮気してた、ってことだな」

『はあ!? どういうことよ! 信じらんない、だいたいあの人は……』

「あーはいはい、そのへんは本人とやってくれ。もう切るぞ。代金は依頼料と同じ口座な、忘れんなよ」

『あ、ちょっ……』プツッ、ツー、ツー……

 電話越しに騒ぎ出した気の毒なご婦人を軽くあしらうと、その男は固定電話の受話器を置いて、座っていた椅子の背もたれに沈み込んだ。「はあ……」と軽くため息をついて、胸ポケットから半ばつぶれた煙草の箱を取り出す。火をつけて燻らせると、部屋全体に甘ったるい匂いが広がった。

 コンコンコン、と事務所の扉が叩かれる音がする。男が座るデスクの正面にあるその扉の外側には、すっかり錆びて申し訳程度に事務所の存在を主張する、ネームプレートがかかっている。こんな立地だというのに、依頼者は後を絶たない。今せっかく一件片付いたところなのに、よくもまあこんなところまで依頼しに来てくださりやがって、と一人ぼやいてしぶしぶ立ち上がると、扉を開けて中へ招き入れる。

「はいはい、どんなご依頼ですかっと。なるべく手短にしてくれよ、眠いから」

 およそこの場所に似つかわしくない、きっちりとしたスーツに厳格そうな表情をした男が、そこには立っていた。少々白髪の混じる頭髪は、これまたきっちりと七三に分けられている。

 あーくそあの女、耳元でキンキン叫びやがって、頭いてえ、とつぶやきながら二人一緒に中に入る。ソファーに座るよう促すも、男はそれを無視して口を開いた。

「貴方が天羽和綺か」

「まあ、そうだけど?」

 何か意を決したような表情に、あることを察した探偵の顔が一変して真剣なものになる。

「……あんた、表の方の依頼者じゃねえな?」



 まあ座って、と再度男を促し、そのまま沈黙すること約五分。普段は一秒でも他人を待ちたくない性格の探偵も「裏の依頼」となると真剣だが、いい加減しびれを切らして口を開きかけたところで、やっと男が声を発した。

「貴方の言う通り、私はいわゆる『裏の依頼』をしに、ここに来た。この依頼、受けてもらえるか?」

「さあ、それは話を聞いてみないと判断しかねるな」

「いや、受けてもらわんと困るのだ。もはやあの男がこの世に存在しているだけで吐き気がして、気がどうにかなってしまいそうだ。……あの男を、藤岡健治を殺してくれ」

 そう、この事務所では探偵業だけでなく、「裏の仕事」として暗殺業も請け負っている。もちろん公表はしていないが、そこは裏のネットワークというもので、どこかから情報を仕入れた者がこのように暗殺依頼にくる。この様子だと、いつもの私怨のパターンだろうか。

「まあそんなに急くなよ。とりあえず、あんたの名前と職業は?」

「ああすまない、申し遅れた。私は菱川啓介という者だ。菱川コーポレーションの代表取締役をやっている」

 菱川コーポレーションといえば、外資系コンサルティングファームとして最近急激に力を伸ばし始めた大手企業だ。

「で、その社長さんが殺してほしい人ってのは?」

「先に言った彼、藤岡健治はわが社の副社長で、私が会社を立ち上げる時に支えてくれた、親友だった人物だ。……ところで、詳しく語る前に、その煙草をやめてくれないか。部屋中がやけに甘ったるいし、私は煙草は匂いからだめなんだ。それから、そこらじゅうに物が散乱しているのも気になるのだが」

「あ? だめだ、煙草が無いと集中力出ねえんだよ。部屋だってちゃんと足の踏み場はあるだろうが」

 珍しく仕事モードだったのに、鼻っ柱を折られた気分だ。

「じゃあせめて、窓を開けてくれ」

「ちっ、しゃあねえな」

 せっかくの「裏の依頼者」を逃がすのも嫌なので、窓だけ開けて部屋を換気する。

「事の詳細は、こうだ」

 そう言って話し始めたのは、彼が例の副社長と出会った、まだ将来の己の野心に燃える高校生だった頃に遡った。


 私が彼、藤岡と出会ったのは高校生の頃だ。性格はほぼ真逆な我々だったが、二人とも学力や興味、目指す方向が同じだったので、すぐに意気投合して親友になった。考え方も違うので当然衝突も多かったが、かえってそれがお互いを高め合う良い結果となった。

 そんな我々であるから、大学時代も交流は続き、卒業してから一緒に会社を立ち上げることになったのもある意味当然の流れであろう。彼は私よりも少し社交性に欠け、露出を嫌ったので、対外的な面を考慮して私が社長、彼が副社長の座に収まった。

 初めは当然規模が小さかったので、なんとか軌道に乗せようと、二人でがむしゃらに経営をした。大きな仕事がうまくいけば一晩中飲んで喜びを分かち合い、失敗すれば一晩中反省点を話し合った。私はこの会社に生涯をかけていたし、それは彼も同じだと思っていた。

 ところが、最近になって会社の業績が上がり、仕事も忙しくなってくると、彼の様子が前と変わってきたのが分かった。以前のように飲みに行くことも減ったし、業務中もどこかよそよそしい。それと同時に、会社内で不審な支出も相次いで出るようになった。貴方も新聞など読んでいれば見たことがあるかもしれないな、小さくだが報道されたこともある。当然色々な方面から捜索させたが、明確な犯人というものは出てこなかった。

 ところで、私には秘書がいるのだが、これが実に有能である。大学の同級生の妹で、会社を設立して間もない頃に初めて会ったのだが、うちのような会社に興味があるというので雇ったのだ。知り合ってからまもなく私たちは付き合い始め、もう三年になる。四年目の記念日にはプロポーズをしようと思っていたくらいだ。その彼女でさえも、最近どうも様子がおかしかった。

 その謎が解けたのは、つい一週間ほど前のことだ。その日の夜は彼女とのデートの予定だったのだが、急な予定が入ったと断られたため一人で晩酌をしていた。そろそろ帰るかと店を出たのが十時ごろ、その時偶然にも彼女と共に歩き、仲睦まじくホテル街の方へ向かうあの男を見たのだ。幸いというべきか、向こうはこちらに気づかなかったようだが、あれは絶対に見間違いなどではない。言葉に言い表せないほどの悲しみと怒り、自分の不甲斐なさにしばらく身動きが取れなかった。やっと正気を取り戻してすぐにあとを追いかけたが、二人はすでに繁華街の人混みの中に消えていた。

 このことがあってから、あの男への不信感はさらに強まった。いたいけな彼女をたぶらかすなんて許せない。最近の不審な支出も、最初の捜索では親友だからと疑いもしなかったが、もしやあの男の仕業ではないだろうかと思い、個人的に探偵を雇って調べさせもした。

 事態がさらに急変したのは、三日前のこと。あの男が急に蒸発した。会社から荷物も消え、自宅もいつのまにか空だ。私が怪しんでいることを悟ったのか、とも思ったが、それだけで蒸発までするだろうか。しかし社長室に入った時、その殆どが理解できた。不用心にも扉が全開にされた金庫。その中身は、案の定空になっていた。その中に入っていたものは、我が社を経営するための全て、言うなれば私の全てだった。そして今朝、彼女も姿を消していた。


「あれは私の全てだ、そしてその全てが一夜にして失くなった。会社も、彼女も、親友も、私は一気に失くしてしまったのだ。これをどうして許すことができようか。お願いだ、あの男、藤岡健治を殺してくれ」

 この長い説明をほぼ一息で言い終えると、菱川は未だに怒りを抑えられないと言った風に震えている。

「あーっとつまりは、会社の利権と女を元親友に奪われたから殺してほしい、と」

「そこまで簡潔に言われるとなんだか……いや、それで間違いない」

「で、そいつの居場所はわからない、と」

「そうだ」

 人探しまで依頼内容のうちとは、これは随分と骨が折れそうだ。

「その金庫泥棒、副社長がやったって確証はあるのか?」

「いや、ない。しかし、状況的にあの男以外ありえないだろう」

 怒りの矛先は完全にその男の方に向いており、他の人物の可能性など全く考えていないようだった。まあ、こちらとしては依頼を遂行するのみなので、犯人だろうと犯人でなかろうと全く問題はないのだが。

「話は分かった。その依頼、お受けしよう」

 一度話を聞いた依頼は、最後までやり通すのが探偵としてのポリシーだ。

 しかしこの時は、この依頼があれだけ大きな事件となるなんて、予想もしなかったのである。



 依頼金や成功報酬、連絡先などの取り決めを終わらせると、菱川は「頼んだ」とだけ言って帰っていった。

「なあ、いつまでもこそこそしてねえで、出てこいよ。いるんだろ? そこに」

 窓から菱川が帰っていったのを確認した後、探偵は再び煙草に火をつけ、空に向かって話しかけた。すると、デスクの正面の扉がゆっくりと開いて、大きなサングラスと帽子をかぶった女性が入ってくる。

「いつから気づいてたの?」

「そりゃまあ、あんたが来たであろう、社長の過去話が始まった時くらいから。その後、今の男が帰るタイミングで三階の方の階段に隠れたのも知ってる」

「やだ、本当に? なによそれ、かっこ悪いじゃない」

 その女性がケラケラと笑う。

「で? あんたは一体誰だ」

「ああ、自己紹介が遅れたわね。私は相川麗、菱川コーポレーションの社長秘書よ」

「へえ……? あんたが」

 そう言って目の前に立っている女は、先ほどの菱川の話から想像していた、従順で有能な部下、といったイメージとはだいぶかけ離れていた。計算高く、男どもを蹴落とし生きる女社長の方が似合うだろう。

「で、その社長秘書さんが何の用だ?」

「さっきまでここにいたあの男と同じよ。あなたに殺してもらいたい人がいる」

 女の顔が真剣なものになる。一日で二件も暗殺依頼、しかも関連人物とは初めてだ。

「私が殺してほしい人は、他でもないあの社長、菱川啓介よ」

 おまけにターゲットは依頼者ときた。

「……こりゃあ、面倒なことになってきたなあ?」


 あの男、菱川は、悪魔のような男よ。あんなのは人間じゃないわ。出会った頃はとっても優しくて、色々な才能があって。しばらくして告白された時も、本当に嬉しかった。この人ならきっと会社を成功させるし、付いていこうと思ったの。

 でも、なかなか業績が振るわなくて、一年ちょっと前くらいだったかしら、一度倒産しかけたことがあるの。その時から、あの人は私に暴力を振るうようになったわ。もともと夜なんかは加虐嗜好のある人だったのだけど、それは同意の上であって、むやみに私を傷つけるようなことはしなかったのに。そしてそれはどんどんエスカレートして、昼も夜もあの人に傷つけられ、業績が上がってきても止むことはなかった。もちろん何度も逃げようとしたけれど、いつのまにか撮られていた、あの人の加虐嗜好による私の夜の写真や映像をネットにばらまく、なんて脅すからどうにもできなくて……。

 特にここ三日間くらいは本当にひどかったわ。完全に狂っていて、殺されるんじゃないかと思ったくらい。痕も今まではファンデーションでごまかしてたんだけど、今日ばかりはどうしようもなくてサングラスも外せないの、ごめんなさいね。でも私、このままだと本当に死んでしまうと思うの。


「もうこんな生活は耐えられない。会社なんてどうでもいいわ。あの人を、菱川啓介を殺してちょうだい」

 一つ一つを噛みしめるように説明を終えると、彼女はふう、と一息ついて、バッグから煙草の箱を取り出した。

「私も一本いいかしら?」

「ん? ああ、あんたも吸うのか。いいのか、あの社長嫌煙家だろ? それに、いたいけな彼女がーとかなんとか言ってたぞ」

「知ってるわよそれくらい。だから社長の前では吸わないし、匂いもなるべく残してないわ。別にいいじゃない、煙草にくらい逃げないとやっていけないのよ」

 そう言って煙草をふかす彼女はひどく疲れて見えて、先の言葉を裏付けている。吸い方からも、普段からかなり吸うのだろう。

「ところであなた、ソフトのガラムって、相当なヘビースモーカーの上に変わり者ね。変態でしょ」

「あ? なんだよいいじゃねえか」

「別に、悪いとは言ってないわよ。知らない? 吸っている煙草の銘柄でその人の性格が分かる、ってやつ」

 ふふ、と彼女がさも面白そうに笑う。そういう彼女は、ボックスのキャスターだ。

「ああ、聞いたことはあるな。おまえだって、キャスターなんだから変わり者の部類だろ。ただでさえ疲れて見えるのに、さらに老けて見えるぞ」

「どうせキャスターはおばさん、とでも言うんでしょ。知ってるわ、でも私はこれが好きなんだもの。言っておくけど、私はまだ二十代よ」

 自分から話を振っておいて、少し拗ねたように言い放つ。

「というかあんた確か、社長の話によると蒸発中じゃなかったのか」

「ええ、まあ。でも、私はちゃんと、『一週間後に戻ります』って書き置きしてきたわよ。今は知り合いの所にいるわ」

「なんだそりゃ」

「だから、一週間以内に片づけてよね。連絡先はこれだから。じゃあね」

 連絡先を書いた紙を机に置くと、彼女は荷物をまとめ、扉から出て行った。その様子は、やはりおとなしくあの社長に従うような女には見えなかった。



 女が出て行くと、探偵はポケットからスマホを取り出し、おもむろにどこかへ電話をした。

「あーもしもし? うん、俺だけど。ちょっと今からそっち行くから、それまでに菱川コーポレーションの不祥事と社長を取り巻く環境、調べといてくれねえ? じゃあ、頼んだわ」

 電話の奥で文句を言う声が聞こえるが、すべて無視して電話を切る。煙草を消して、一つ伸びをした。

「さーて、めんどくせえけど行くか」

 そう言って身支度を整え、扉に向かうと、溢れかえった郵便受けが目に留まる。いつもならスルーするところなのだが、今日は少し気が変わった。たまにはあいつにも十分な調査時間をあげようか、なんて思いながら、郵便をまとめて机の上に広げる。広告のチラシと光熱費や水道代の請求ばかりだが、解決した依頼に対するお礼状なんてのもあって、どうせろくに見られないのに律儀な人もいるもんだなと思う。

 少し整理すると、差出人に聞き覚えのある名前の書いてある、一通の手紙を見つけた。中を開けると、それは暗殺の依頼だった。


 突然のお手紙で失礼致します。貴方様の探偵と暗殺の腕前の良さを見込んで、ある人物の暗殺を依頼させていただきたく、筆を執らせていただいた次第です。

 早速ではありますが、私が暗殺を依頼したい人物は、外資系コンサルティングファーム菱川コーポレーションの社長秘書である、相川麗という人物です。

 彼女は秘書としては非常に優秀で、優秀すぎて会社を喰ってしまいそうなほどだと、前々から思っておりました。今回、まさに私の予感が的中いたしまして、ついに彼女は我が社を乗っ取ろうと動き始めました。会社の権利書などを盗む計画を立てているのを偶然耳にしたため、現在書類一式は私が保管しているのですが、すると今度は私を狙ってきています。

 このままでは、いつ彼女に殺されるかも分かりません。そうなる前に、貴方様に彼女を殺して欲しいのです。彼女の刺客に怯え、手紙で依頼する無礼をお許し下さい。

私は、私と親友である社長、菱川で力を合わせて作り上げた我が社を守りたい。この思い、貴方様に届くことを願っています。


 天羽和綺様

                    菱川コーポレーション副社長 藤岡健治


「……こんなんアリかよ……。あーくそ、めんどくせえ!」

 頭をガシガシと掻いて読み終えた手紙を放り出すと、乱暴に扉を開け、探偵は事務所を後にした。



「おい情報屋! 調べは終わったか!」

 事務所からそれほど遠くない、さらに少し奥の路地裏の一角。そこにある寂れたアパートの一室の、鍵の空いていた扉をろくにノックもせずに開けると、薄暗い廊下に続く部屋からブルーライトが漏れ出ているのが見える。

 探偵は無遠慮に上がり込むと、その部屋に入っていく。そこには、大量のパソコンやモニターの並ぶデスクの前に座る、大きな黒縁眼鏡にパーカーのフードを被ってアメを咥えた小柄な青年がいた。長めの前髪と伏し目がちな大きな瞳で、中性的な見た目をしている。毎度のことながら、目の下に濃くできた隈と過度な猫背が実に残念だ。

「そんなに叫ばないでくださいよ……。なにキレ気味なんですか。普段こっちからの連絡には一切返事しないくせにこういうときだけこき使って、キレたいのはこっちですっての。それにボクには森谷雫っていう名前があるんですが」

 電話した時にも聞いた不平をぶつぶつと言いながら、彼の手とパソコンとモニターの画面は忙しなく動いている。

「悪かったって。まあお前なら、もう終わってんだろ?」

「まあそうですけどね?」

 くるりと椅子を回転させて、椅子の上で体育座りをした彼がこちらのほうを向く。その顔はまだ何か不満を言いたげだ。

「というか、今日はいつもより遅かったじゃないですか。まあその分情報の裏がちゃんと取れたので、こちらとしてはいつもこれくらいに来てほしいんですけど」

 この情報屋はどうもさっきから皮肉というか、一言多い。

「まあまあ、お前の情報が間違ってたことなんてねえし。それがな、さらにめんどくせえことになったんだよ……」

 思い出しただけでげんなりした探偵が、三人の依頼者と先ほど見つけた手紙のことを説明する。

「それは……。ええとつまり、社長は副社長、副社長は社長秘書、社長秘書は社長を殺したい、と。きれいな三角関係ですね。いっそ清々しいくらいです……」

「で? 早速で悪いが、分かったことを教えてくれ」

「急かしますね……。大体、注文内容がアバウトすぎるんですけど……。ええとまず、菱川コーポレーションは約三年半前の二〇一四年三月十六日に開業の届け出がされていますね。社長と副社長は高校で同級生、社長秘書の兄と社長は同じ大学のサークルに属していたようです。外資系コンサルティングファームとのことですが、確かに当初は業績が振るわなかったようで、収支決算などを見ると二年前までは赤字が続いてひどく低迷しています。その後大手家電メーカー月立製作所との仕事に成功し、そこから急激に業績を伸ばし始め、今では業界での一位争いに手が伸びるか、というほどにまで成長しました。不祥事については、今年の三月の収支決算で不審な支出が五十万ほどあったようで、しかし注意喚起を受けるだけに留まったと小さく報道されています。話にあった書類が盗まれた件ですが、社内の防犯カメラには何も残っていませんね。改ざんの可能性もありますが、ここのカメラ思ったよりザルで死角が多いので、映らないように移動もできそうです。金庫の前まで死角とか、何を考えてるんでしょうこの会社は。社長のDVについてはなんとも言えません」

 おそらく色々なところをハッキングして得たのであろう情報を、淡々と読み上げる。

「おーなるほど、ありがとな。しかしさすがだな、いつも助かるよ」

「そう思うんだったらクレープの一つでも奢ってくださいよ」

 体育座りのまま、前に立っている探偵をジト目で見上げる。

「わかったわかった。一つでも二つでも奢ってやるよ。事件の収入入ったらな。しっかしお前、いっつもアメ食ってんのにクレープかよ。随分甘党だよな。」

「そう言う和綺さんこそ、あの甘ったるい煙草吸ってるじゃないですか。あれ匂いきついんですよ、探偵のくせに全く隠密鼓動できなそうな匂いです」

「あれはいいんだよ、あれは。じゃあ、三日後にはカタつくと思うから、三日後の二一時にいつもの空きガレージ来てくれ。じゃあな」

「あ、クレープ、絶対ですからね!」

 さっさと帰ってしまう探偵の背中に向けて、情報屋が声を投げかけた。



 あの探偵に依頼をしてから三日後。「二十時ごろ、この地図の場所に来てほしい」との連絡を受け、私はその場所へ急いでいた。時刻は二十時十分前。思ったよりも場所が分かり辛く、このままだと遅刻しそうだ。

 何とかその場所にたどり着くと、そこは古びたガレージ。すっかり暗いその中では、探偵がいるのがかろうじて分かる程度だ。

「ああ、来たか。相川麗さん。見な」

 そう言って探偵が指さした先には、うつぶせになって倒れる男。顔こそよく見えないが、この感じは間違いなくうちの社長だ。自分の依頼とはいえ、思わず息をのむ。

「ちゃんと殺してくれたのね……。ありがとう」

「まあ、これが仕事だからな。もっとちゃんと確認しなくていいのか?」

 探偵が煽るように言う。確認、と言ったって、こんな風に死体と対面なんて初めてだ。正直に言って、そんな勇気はない。

「いいわ、殺してくれたなら十分よ」

「ああ、そうか。じゃあこれで、依頼は達成だな?」

「ええ、成功報酬は後で振り込んで……っ!?」

 探偵のほうを見ると、血のついていないナイフを手に、妖艶な笑みを浮かべていた。上のほうに小さくある窓から入る月の光を反射して、探偵の目とナイフが妖しく光る。

 直後、そのまま一気に間合いを詰められた。

「悪いな、お前にも暗殺依頼が来てる。これが一番手っ取り早いんだわ」

 視界が歪み、支えをなくして私は地面に倒れこむ。

「あ、やっべ、成功報酬前払いにしときゃよかったか……。まあいっか」

 こんな、探偵の間抜けな声が聞こえた気がした。



「よし、次は……っと、来てんじゃねえか。あんただろ? 副社長さんは」

 ガレージの入り口で、震えながら隠れるように立っていた小柄な男。手紙で暗殺依頼をしてきた、菱川コーポレーションの副社長だ。情報屋によって顔は割れている。

「ひっ……。な、なんで菱川まで倒れてるんだ……!」

「そりゃまあ、それがこの女の依頼だったからだよ。で? どうだ、今の見てただろ? ちゃんと殺したぜ?」

「あ、ああ……。依頼を遂行してくれて、感謝する……」

 言いながら、副社長は入り口で震えたままだ。

「おいおい、こっちまで来いよ……。ああ、もしかして動けねえのか? しょうがねえな」

 副社長はぷるぷると首を横に振っているが、本当に動けないのかそこから逃げることはなかった。その代わり、探偵の手元を指さして何かを言っている。男のくせに、実に情けない様子だ。

「そ、ナイ、や……あ……」

「あ?」

「その、ナイフを、捨ててくれ……」

「ナイフ? ああ、これが怖えの?」

 ナイフにはまだ先ほどの残滓が残っていて、試しにそれを舐めとるような動作をすると、副社長はさらに怯えた顔をした。しかしこのままでは仕事が遂行できないので、からかうのはこの辺にして、持っていたナイフを後ろに放り投げる。

「冗談だよ。まあ来いって」

 すると副社長は少し安心した顔つきになって、おずおずとガレージに足を踏み入れた。

「……なんてな」

 探偵はそう呟いて一瞬ニヤリと笑うと、副社長の腕を引き自分よりガレージの中側にして、胸ポケットから銃を取り出した。そのまま頭に突きつけると、さっきまで以上に硬直しているのが分かる。

「生憎だが、依頼はお前にも来てんだよ。人の殺し方なんて何通りもあるんだぜ?」

 副社長が何かを喚くのが聞こえるが、そんなものは全て無視だ。銃にしてはずいぶんと静かな音が、その喚き声をかき消した。

「おー、結構性能いいな、最新式サイレンサー。やっぱ銃は音がでかいと、その辺で撃つには抵抗あるもんなあ」

 なんて独り言を言っていると、すぐ近くからかすかにうめき声が聞こえた。

「起きたかよ。社長さん」



 だんだんと意識が覚醒していくのが分かる。まだぼやける視界に映ったのは、銃を弄びながらこちらを見ている探偵。

「起きたかよ、社長さん」

 ここは一体……。少しずつ思い出してきた。探偵にここに呼び出されて、着いたと思ったらいきなり背後から首を絞められて……。

「お、予想時間ぴったり。この絶妙な首絞め加減、さすが俺」

「おい、どういうことだ」

 ゆっくりと体を起こして、探偵に尋ねる。

「まあまあ、周りを見てみろよ」

 言われるままに見渡すと、そこには二人の人間が倒れていた。……いや、二つの死体が転がっていた。そしてそれは、自分が暗殺を依頼した副社長、そして愛しの彼女のものだった。

「おい、どうして彼女まで殺されている!?」

「そりゃ、副社長の依頼だったからだな」

 まだ銃を弄りながら、こちらも見ずに平然と答える。

「そんな……」

「まあ、お前もそこの彼女から暗殺依頼が出てるよ」

 目を光らせて、探偵が弄っていた銃をこちらに突きつける。絶望に打ちのめされる私とは対象に、探偵は恍惚の表情を浮かべた。

「ああその顔、たまんねえな。今日は三人分も見られて、ラッキーだったぜ」

「ま、まて! その依頼をした彼女は、もう死んでいるんじゃないのか!? 依頼者が死んだなら、依頼を遂行する必要もないだろう!」

 すると、探偵の表情に嘲笑の色が混ざった。ハッ、と鼻で笑った音が聞こえる。

「何言ってんだ。一度受けた仕事は、きっちりやんないとだろ?」

 銃の放たれた静かな音だけが、夜の街に響き渡った。



「あーあー、今回もまあ派手にやってくれましたね。趣味悪いですよ?」

「情報屋か。これまた時間ぴったりだな。趣味悪いのは余計なお世話だ」

 探偵に言われたとおりに来た情報屋が、呆れたようにガレージの中を見渡す。

「もうちょっとスマートにやったほうがいいと思うんですけど。あとボクは森谷雫です」

「ご忠告ありがとな。次から気を付けるよ、たぶん」

「たぶんってなんですか!」

 ぷりぷりと怒り出す情報屋を尻目に、探偵はどこかへメールを打つと死体を入り口に運び始めた。

「というか、今回の事件は結局、どういうことだったんですか?」

 情報屋の質問に、探偵が手を止めずに解説を始める。

「ああ、つまりな、今回依頼者たちが語ってたことは、全部本当のことだったよ。社長が秘書と付き合ってて、暴力と脅迫があったのも本当。副社長が権利書を持ち逃げしたのも本当だし、秘書が副社長からそれを奪おうとしていたのも本当だ。副社長と秘書がくっついてたかは定かじゃないが、社長から逃げて、って理由で副社長に取り入ったんだろう。そこで見事に落ちてしまった副社長は秘書の思惑通りに権利書を盗むが、欲が出たのか秘書が殺しにかかったのか、権利書を渡さず秘書を殺そうと思った。一方社長が副社長を殺そうとしていることを知った秘書は、暴力や脅迫を理由に社長を殺せば会社が自分のものになる、とでも考えたんだろう。不審な支出、ってのは、副社長が秘書にでも貢いだんじゃないのか」

「へえー、なるほど」

 ちょうど死体を運び終わった探偵はパッパッと服を払うと、「さーて帰るか!」とガレージから出ていく。

「あ、今回も情報関係の後処理頼む。体のほうはさっきメールしたから、じきに来るだろ」

「ええー……。知ってます? あれ地味に大変なんですよ?」

 いかにも嫌そうな顔で情報屋が不満を言う。

「信頼してるからな」

「こんなとこでそういうこと言われても……。あ、来週末でいいんで、クレープ奢ってくださいよ」

「あー今回はだめだ、悪い。次回で勘弁してくれ」

 帰り道を歩きながらばつが悪そうに言うと、情報屋がすごい勢いでついてきた。

「はあー!? だめって何ですか約束したのに! 何でですか!」

「いや、それが……。今回の依頼者、全員死んだだろ?」

「それで報酬がないからクレープもなしだって言うんですか!? 依頼料もあるでしょうが! 分かりました、それなら菱川コーポレーションのシステムをハッキングして和綺さんの口座に三百万くらい振り込んでおきますから、クレープ一か月分奢ってください」

「マジかよ、頼んだ。好きなだけクレープ食えよ」

「よしっ」

 隣で森谷がガッツポーズをする。普段ならこんな単純な金儲けのハッキングはしないのだが、ここまでするとはクレープへの熱意がすごい。

 すると、プルルルルと探偵のスマホが鳴った。自分が留守の時の依頼者のために事務所を出るときに番号を残している、仕事用の携帯の方だ。応答ボタンを押して電話に出る。

「はい、もしもし……。そうだ。依頼内容は……ああ、やってるよ。―――で、あんたの殺してほしい人は?」


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