朱炎時の友人

亜月 氷空

朱炎時の友人

 私がその子を知ったのは、フィクションではよくありがちな、しかし現実世界では珍しい、学校生活の中でのある出来事がきっかけだった。その子はとても美しく、人形のような容姿をした子だった。


 初夏の風が吹き始め、そろそろ半袖の季節がやってきそうなある日の朝。いつも通り学校に登校し、一人で自席につく。まだ少し時間が早いため人影はまばらであるが、いつもよりも勉強をしている人が多く、友達同士で世界史の問題を出し合っている者たちもいる。それはそうであろう、三日後には高校二年生最初の中間テストが控えているのだ。私も勉強しなければ、と生物の問題集を広げた。今のうちから受験を意識せよ、というのが我が家と学校の教えなので、最初のテストから躓くわけにはいかない。

 しばらくすると、登校時刻のチャイムが鳴った。珍しく早めに先生が教室に入ってきて、ショートホームルームが始まる。まだざわつく生徒たちを放って簡単な連絡がなされ、いつもはここで終わるところが、今日はどうやら続きがあるようだった。

「えー突然だが今日は、転校生が来ているので紹介する」

 先ほどまでのざわつきとは違う、困惑と期待とが入り混じったざわめきが起こる。この学校は私立なので転校生自体はありえなくはないが、まさか一生のうちに自分のクラスに転校生がやってくるなんてことを経験するとは思わなかったし、この時期とはなおさら珍しい。

 先生に連れられて、一人の女の子が入ってきた。少し外国の血が混ざっているのだろうか、色素の薄めなふんわりとした茶髪に、真珠のような白い肌と琥珀色の瞳。小柄で細く、腕なんかは今にも折れてしまいそうだ。

「八草未菜さんだ。ほら、何か一言」

「八草未菜と申します、よろしくお願いします」

 そう言って丁寧に頭を下げた彼女は、まるで人形のように綺麗だった。

「席はあそこな、柳瀬の隣。ああついでに柳瀬、学校の事教えてやってくれ」

 あんなに綺麗な子だから、きっと私が友達になることはないのだろう。そう思って開きっぱなしだった生物の問題集に目を落としたところで、私の動きはフリーズした。この学年で「柳瀬」は一人、そして私の隣には前から一つ空いていた机。顔を上げると、もう目の前には彼女がいた。

「よろしくね、柳瀬さん」

 何だこの少女漫画のような展開は。転校生は美人だったが、あいにく私は女だ。しかも根暗でオタクで友達もいないような、完全なるモブ。彼女の表情はほとんど変化がなくて、私がへらりと笑うとそのまま隣の席に座った。


 とりあえず、その日は放課後まで彼女には関わらないことにした。放課後は学校案内でもしなければいけないようだが、それまでは話さなくても問題はないだろう。学校のヒエラルキーの上位にいそうな人間は、どうにも苦手なのだ。実際、休み時間には早速何人かに話しかけられていたし、見たところによると勉強も運動もできそうだ。

 放課後になって、ある程度の人間がはけてから、私はやっと彼女に話しかけた。

「あの、学校案内、するから。準備良ければ来て」

 すると彼女はやはり無表情のまま、こくりとうなずいた。


 案内をしていてわかったのだが、彼女は学校のことをほとんど何も知らなかった。曰く、父親の転勤が多く、生まれは日本だがしばらく海外にいたらしい。

「だから、日本語も少し不自由かもしれない。ごめん」

「え、いや、全然、その、大丈夫だと、思うよ……?」

「そうかな。ありがと」

 淡々とした説明はできるが、それ以外の会話ではどうしても挙動不審になってしまう。別に彼女に限ったことではないが。

「柳瀬さんは、下の名前はなんていうの?」

 ふいにそう聞かれた。まっすぐにこちらを見つめてくる瞳に耐えられなくて、思わず視線を逸らす。

「えっと、香乃、だけど」

「わかった、香乃ちゃんね。香乃ちゃんは、どうしてそんなに前髪が長いの?」

「へ?」

 予期せぬ質問に、逸らしていた視線を戻す。確かに私は目が隠れるくらい前髪が長い。しかし、どうしてそんなことを聞くのだろう。

「香乃ちゃん、さっきからほとんど目を合わせてくれないでしょう」

「あ……」

 どうやらばれていたらしい。しかし、どうしても苦手なのだ、仕方がないだろう。

「ちょっと、人の視線が苦手で……」

「そっか」

 それだけ言うと、またすたすたと歩きだしてしまった。……いったい何がしたかったのだろう。

 しばらく歩くと、不意に何かを思い出したように立ち止まり、くるりと振り返るとこちらを見て言った。

「今日はありがとう。また明日からもよろしくね」

 気づくとそろそろ最終下校時刻が近づいている。久しぶりにこれだけ人と話したのもあるが、彼女はどうにもつかめなくて、なんだか少し疲れてしまった。本屋に寄ってコミックスの新刊でも物色して帰ろう。最近溜め気味だったアニメも見ようかな。なんてことを考えながら、その日は帰路についた。


 翌日、なにかと彼女は私のところへ来ていた。他にも話しかけてくる人はたくさんいるのに、何故好き好んでこんな私のところへ来るのだろう。私と仲良くしたって、他に友達もいないしとりえもないし、特に良いことなんてないだろうに。

「ねえ、お昼。一緒に食べよ」

 しかしこの日のこれには困った。私の優雅な「一人ご飯」を邪魔しようというのか。いや別に彼女が嫌いなわけではないが、私はあの特等席で音楽を聴きながら一人でご飯を食べるというのが好きなのだ。

「あ、ねえ八草さん」

 他のクラスメートが彼女に話しかけた隙に、私はその場を離れ屋上に向かった。こういう時、影が薄いというのは便利である。

 ガチャリと屋上の扉を開ける。そこには鮮やかな夏空が広がっていて、今日は絶好のピクニック日和とも言うべき日である。私は涼しそうな建物の陰に腰を下ろすと、お弁当箱、それにスマホとイヤホンを取り出した。イヤホンをつけ、今日は何の曲にしようかな、とプレイリストを見る。するとその時、屋上の扉の開く音がした。

「あ、いた」

 案の定と言うべきか、そこから顔を覗かせたのは彼女だった。……どうやら逃げきれていなかったらしい。

「ねえ、隣、いい?」

「はあ、まあ」

 よくはないが。しかしここで断るような勇気もない。曖昧に返事をすると、彼女は私の隣に腰を下ろした。

「あのさ、何で私のとこ、来るの……?」

 非難などではなく純粋な疑問なのだが、私は思わずこんな質問をしていた。

「嫌だった、かな?」

「い、いやいや別に、嫌とかじゃなくて! その、私といても良いことないのになあ、と」

 彼女がすごく悲しそうに言うので大げさに取り繕ってしまったが、後半の方は本音である。私はそれを自分で理解した上で一人でいるし、キラキラした人間も、人の視線も、人と馴れ合うことも苦手だ。それに、案外一人というのも、何にも縛られずに学校生活を送れる、という点では悪いものでもない。だから、彼女がわからないのだ。

「だって、転校してから初めて話した人だから。それに、初めてできた友達だから」

 ……友達? 私と彼女は、友達なのか? いつから?

 しかし彼女はそんなセリフを吐きながらも、相変わらずの無表情である。もうわからなくなってきた。

「じゃあなんで、そんなに無表情なの」

「香乃ちゃんだって笑わないじゃない」

 もうどうにでもなれとストレートに聞くと、思いがけない返答が来た。確かに他の人よりは笑わないかもしれないが、全くという訳でもないと思うのだが。それに、

「友達と話してるわけでもないのに笑ってたら、ただの危ない人でしょ」

「じゃあ今は笑ってくれてもいいじゃない」

 ……その言葉、そっくりそのままお返ししたい。

「そういうあなたが笑ってよ」

「うーん……こうかな」

 少しふてくされ気味に言うと、彼女はにへらと笑った。いかにも「笑顔は苦手です」と言わんばかりの表情だ。そのきれいな容姿を一発で台無しにできる。

「……笑うの苦手なんだね、なんかごめん」

「香乃ちゃんの笑い方を真似してみたつもりだったんだけど。おかしかったかな」

なんてことだ。私はこんな笑い方なのか。これは友達がいないわけだし、今後を考えると愛想笑いくらいは練習する必要がありそうだ。

「ねえそれより、何聞いてたの?」

 彼女は突然そう言うと、ひょいと私のスマホに繋がれたイヤホンの片方を取って耳につけた。

「あれ、これ……」

「やめて!」

 耳に嵌ったイヤホンを半ば強引に奪い取る。彼女が来てから、再生停止を押すのをすっかり忘れていた。せっかくの特等席は独り占めできないし、聞いていた音楽も聞かれるし、今日はもうさんざんだ。

「ボカロ、好きなの?」

「いいでしょ別に……悪かったねオタクで」

 うちの学校はリア充が多いのか、ボカロが好きと言うとオタクだと言われ、バカにされた。表情こそ変わらないが、あなたもきっとそうなんでしょう、と彼女の方を見る。好きなものは好きなのだから、いいじゃないか。

「もっかい聞かせて」

 それだけ言うと、彼女はまたイヤホンを取って聞き始めた。

「これ、しーちゃんの新曲でしょ」

「え……知ってるの!?」

「うん、この人の曲って独特なメロディーだよね」

 そうなのだ。このメロディーと世界観が好きで、今一番はまっている人の一人である。まさかこんなところに話の通じる人がいるとは思わず、ついテンションが上がってしまう。

「そうなんだよ! これもいいけど、一つ前に投稿されたほうも最高で! あの世界観が好きというか、なんとも言えないメロディーの中毒性が……」

 つい語り始めてしまうと、彼女がくすりと笑った。

「初めて、ちゃんと笑ってくれたね」

 あなたもじゃない、と思ったが、その笑顔が眩しくて、うまく言葉が出てこなかった。



 そこから彼女と仲良くなるまでは、それほど時間はかからなかった。人と近いことが苦手な私にとって、大体一緒に行動しているものの、必要以上に個人的な領域にまでは踏み込んでこない、彼女との距離感がちょうどよかった。

 彼女と私がいつから友達かと言われると、初めて会った日なのか、屋上でお昼を初めて一緒に食べた日なのか、あるいはそれよりも後なのか、そのあたりはよくわからない。しかし、友達とはそういうものな気がした。今では、私と彼女は親友と呼んでも差し支えないだろう。

「ねえ、夏休み、一緒にどっかいかない?」

「うん、もちろん! どこ行く?」

 今年は一人で暇な日々を過ごすのではなく、「友達と遊ぶ」という予定ができたことが、純粋にうれしかった。私と彼女は一生の親友になれるだろう、と根拠もなく思っていた。

 夏休み後半はしばらく会えない日が続いたが、夏休みが明けた、九月一日。私は今までずっと長かった前髪を切って、登校した。びっくりするかなあ、なんて少しわくわくしながら教室に入る。しかしそこには、彼女の姿はなかった。いつもならもう来ている時間なのに、体調でも崩したのだろうか。そんな思いは、ホームルームに担任から発された言葉であっという間に崩された。

「えー突然だが八草未菜さんは、お父さんの転勤の都合で転校した」

 ……なんで、そんな、突然。そんなこと、一言も言ってなかったのに。

そのとき、私は机の中に何か入っていることに気が付いた。それは、彼女から私への手紙だった。恐る恐る開くと、丁寧な字で、かわいらしい便箋に五枚分もの長文で、転校を黙っていたことへの謝罪、今までの思い出、そして私を応援するようなメッセージが綴られていた。

 読んでいるうちに涙が溢れそうになったが、ここで泣くのはらしくない。これからは明るく生きていくんだと、前髪を切るときに決意したばかりではないか。

 そういえば、夏休み中、九月に公開される映画に行こうと誘った時。

「うーん、ごめん。九月はちょっといろいろあって、行けないかもしれない。ごめん。ほんとに、ごめんね……」

 こう、言われたのを思い出した。映画一つ行けないくらいでずいぶん悲しそうに謝られたが、今思うとこの時すでに彼女の転校は決まっていたのではないか。

 行先は書かれておらず、手紙には「もう会えない」と、それだけが書かれていた。私のことが嫌いなわけではなく、家の事情で会うことも、連絡を取ることすらできないそうだ。それならなおさら言ってほしかったし、まだたくさん、行きたいところも言いたいこともあったのに。

 最後まで、私を振り回して。本当に、つかめない人だ。

 今まで私は根暗で友達も一人もおらず、一人でいるべきだと思っていたし、私自身もそれが苦ではなかった。これからもそうやって生きていくんだと思っていた。しかし彼女と出会って友達というものを知って、私は変われたと思う。あなたのおかげで私も明るくなれたよと、学校行事だって楽しくなったし、あなたと出会えてよかったと、この思いは彼女に届いているだろうか。ああでも、せっかく切った前髪は見せたかったなあ。

「ねえ、今日お昼一緒に食べてもいい?」

 あなたの言う通り、これからは地面じゃなくて、前を向いて生きていくよ。

 あの日以来、よく笑うようになった彼女の顔は、しっかりと脳裏に焼き付いている。

 ―――香乃ちゃん、大好き。


 うん、私も、大好きだよ、未菜。



「実験は成功だ。よくやった、八九三三七。……いや、八草未菜、だったか」

「はい、マスター」

「サンプルを増やすためにも、お前にはまた別の学校へ行ってもらう。向こうでメンテナンスを受けてこい。ああそれと、今回も被験者との記憶はデータとしてのもの以外は消させてもらう」

「……はい、マスター」

 それだけ言うと私はメンテナンス室へと向かう。今までの「友達」との記憶は「○○高校で○○さんと友達になった」という情報のみで、その人がどんな顔だったかも、どんな性格だったかも思い出すことができない。そしてその処理は、香乃ちゃんも同じだ。

「いやあ、現代科学の進歩もここまで来ましたなあ」

「今までの被験者の誰一人として、彼女が人工知能で動くロボットだとは気づかなかった」

「人類がロボットを本当の友達とみなせるというのは、これはいよいよ、人間とロボットが完全に共生する時代ですな。すばらしいですぞ、柳田博士」

「いえいえ、八九三三七はよくやってくれていますよ。ただそろそろ、新しい代も作ろうと思っております。あの子もいつまでもつか、わかりませんから」

 私を作った科学者たちの話す声を聞きながら、私はメンテナンス室に入る。

「はい、じゃあそこに横になって」

 もしかして、次が最後かもしれない。私も「出来損ない」と評された兄弟たちのように、処分されてしまうかもしれない。できるなら、その前にもう一度、香乃ちゃんに会いたいなあ。もう、何の記憶もないだろうけど。こっそりと置いていった手紙は、無事に読んでもらえただろうか。

「はい、それじゃあ、メンテナンスと記憶消去を始めますよ」

「……はい。お願いします」


 大好きだったよ、香乃ちゃん。

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