胡蝶の夢と林檎飴

亜月 氷空

胡蝶の夢と林檎飴

「あーくん! ねえあーくん! あゆむってば!」

唐突に耳元で名前を呼ばれて、意識が覚醒した。子供らしく少し高めの、その声の主の方を見やる。

「え、あ、ごめん柚月。なに?」

「もう、私の話全然聞いてなかったでしょ!」

 頬を膨らませて可愛らしく怒っているのは、僕のクラスメイトであり幼馴染の柚月。

「せっかく二人なんだから、あんまりぼーっとしないでよね!」

 今日は年に一度の地域の夏祭りの日。僕と柚月は、お小遣いを大事にしまいながら、二人でそこに来ていた。


 柚月からこの祭りに誘われたのは、つい一週間ほど前のこと。

「今週の日曜日なんだけど、鴨川神社のお祭り、今年も一緒に行くでしょ?」

 鴨川神社は、うちの近所にある古い神社。普段はあまり人もいないが、この日は屋台や花火なども上がって、それなりの賑わいを見せる。そのお祭りに、僕と柚月は毎年参加していた。

「ああ、うん、もちろん。弟たちも一緒でいいかな」

「あ、えっとそれなんだけど…… 今年はさ、二人で、行かない?」

 少し言いよどんでから、うつむきがちに言う。今まではずっと家族で参加していたのに、どうしたのだろう。もしかして、デートのお誘いだろうか、なんて期待も抱いてしまう。

「えっと、いいよ……?」

「ほんと!? やった、絶対だからね! 約束!」

 照れ気味に言うと、被せるように弾んだ声が返ってきた。約束だよ、と指切りをする。

「じゃあね! 約束! 楽しみにしてるからー!」

 分かれ道に来たところでそう叫ぶと、柚月はそのまま走って帰ってしまった。


 そんなことで、迎えた今日。柚月は本当に楽しそうに屋台を見て回っている。柚月も、ちなみに僕も、服装は浴衣だ。僕はなぜか張り切ってしまった母さんに半ば無理やり着せられたのだが、柚月の方は白とピンクの花柄でよく似合っている。本人には恥ずかしくて言えたものではないが。

「あーくん、次はどこ行く? あたし、りんご飴が食べたいなあ」

 もう六年生だというのに、柚月はまだ僕を「あーくん」と呼ぶ。

「柚月、りんご飴好きだっけ?」

「ううん、そういえば食べたことないなあと思って。食べてみたいの!」

 屋台を回って林檎飴の店を探す。しかしそれを見つける前に、射的の店で柚月の好きそうな、可愛らしい猫のストラップを見つけた。

「柚月、ちょっとそこで待ってて」

 サプライズプレゼントのようにしたくて、柚月を近くの木のあたりで待たせる。

「え、あーくんどこ行くの?」

「えーっと、秘密!」

 そう言い残して、僕は射的の店に走った。

「いらっしゃい! ああ、お前さん、彼女はどうした? なんてな」

 久しぶりではあるが、ここの射的には何度か来たことがあるので、屋台のおじさんに覚えられていたらしい。恥ずかしくて思わず顔を伏せてしまう。

「はは、ごめんよ。狙いはどれだい?」

「あの、猫のストラップ」

 奥にあるそれを指さして答える。

「じゃあ、玉は三発だからね、頑張れよ」

 そういって手渡されたおもちゃの銃は、前に持った時よりもずいぶんと小さく感じた。

 狙いを定めて引き金を引く。なかなか難しかったが、なんとか落とすことができた。

「おめでとう! はい、じゃあこれね。彼女、喜んでくれるといいな?」

 またからかわれた。自分でも顔が赤くなってしまっているのがわかる。ぺこりと会釈をして、そのまま走って柚月のところへ向かう。遅くなってしまったから、急いで戻らないと。

「おまたせ、ごめん柚月!」

「もう、遅いよ! ……寂しかったんだから」

 僕の服の裾を控えめに引きながら、目線を逸らして柚月が言う。どうしたんだ、今日の柚月は。やけに素直で、さっきからずっと心臓がうるさい。

「ご、ごめん。じゃあ、行こうか」

 ぎこちなく歩き出すと、柚月も裾を握ったままついてくる。その距離がもどかしくて、もっと柚月に触れていたくて、そのまま柚月の手を取った。

「ひ、人も増えてきたし、はぐれたら困るからな! ……絶対、離すなよ」

「……うん」

 しばらく二人は無言のまま、露店の人ごみの中を進んでいった。


 そうして歩くこと数分。手をつないだはいいものの、内心ぐるぐる状態で進んでいたせいか、気付くと屋台の端の方まで来てしまった。

「はじっこまで、来ちゃったね」

「え、あ、うん、ごめん、夢中で歩いてたから……」

「……ふふ」

「……なんだよ。ごめんって」

 笑われてしまったので少しふてくされて返すと、違う違う、とまた柚月が笑う。

「あーくんも、おんなじだったんだなあと思って。あたしも夢中で歩いてたから、全然屋台とか見れてなくて」

 屈託のない笑顔に、思わずつられて僕まで笑顔になる。と同時に、今までずっと手をつないでいたことに気が付いた。……なんだか今更汗をかいてきた。

「あ、ごめん、手! ずっと、握ってて……」

「……いいよ別に。ちょっとうれしかった、し」

 ああもう、本当に今日の柚月は。

「あ! ねえ見て見て、りんご飴あった!」

 急に顔を明るくしたかと思うと、僕の手を握ったままそちらの方へ駆け出していく。僕は引かれるままにそれについていった。普段は来ないような端の方だからだろうか、こんなところに林檎飴の店があるなんて知らなかった。

「りんご飴、ひとつください」

「はいよ。そっちの彼氏さんは?」

「あ、ええと、僕はいらないです」

「そうかい。じゃあ一つで三百円ね。まいどー」

 お金を払って、人の少ないところに移動する。見ると柚月は、顔を真っ赤にしてうつむいていた。「柚月? どうした?」

「っなんでもない!」

 しかしその声は、突然聞こえてきた大きな音にほとんどかき消されてしまった。二人同時に、その音のしたほうを見やる。

「あ、花火」

 気づくともうこんな時間らしい。いろいろと夢中で、時間なんて気にしていなかった。僕と同じくぼーっと花火を眺めていた柚月だが、しばらくすると、はっと何かを思い出したかのように我に返って、僕の手を引いた。

「あーくんちょっと来て!」

 そのまま神社のほうに向かい、そのさらに奥の丘を登っていく。木々の間を通りぬけ、しばらく歩くと開けた場所に出た。

「はあっ、間に合った、かな」

 そこはまさに花火を見るための穴場という感じで、次々上がる色とりどりの光がとても綺麗に見える。

「えへへ、すごいでしょ、ここ。ほんとは花火が始まる前から来たかったんだけど」

 そう言って柚月はその場の芝生に腰を下ろすと、花火を見ながら林檎飴を食べ始めた。僕はしばらく固まっていたものの、柚月に倣って隣に腰を下ろす。

「花火、きれいだね」

 柚月がぽつりとつぶやく。その様子が儚げで、今にも消えてしまいそうな気がして、地面に置いた柚月の手にそっと自分の手を重ねる。そして前を向いたまま、さっきの射的で取った猫のストラップを差し出した。

「これ、さっきとったから、あげる。お前、こんなの好きだったろ」

 多少ぶっきらぼうになってしまったかもしれない。でも、僕に甘いセリフを吐くなど、小っ恥ずかしくてできたものではないのだ。

「わああ、かわいい……! ありがとう!」

 ちらりと柚月の方を見ると、顔をキラキラさせて喜んでいる。こんな反応をしてくれるなら、取ったかいもあるというものだ。

「ねえあーくん!」

 少し大きめの声で名前を呼ばれる。思わずそちらを向くと、柚月はそれに反して僕の耳元に顔を寄せてささやいた。

「……だいすき」

 体を離した柚月は、恥ずかしそうに、でも満足そうに微笑んだ。次々変わる色に照らされても、二人の顔から赤色はなくならない。花火の音と同じくらい、心臓の音がうるさかった。




「んん……」

 唐突に意識が現実に引き戻される。疲れているのだろうか、休憩だけのつもりが、昼寝をしてしまっていたらしい。

「夢、か」

随分と懐かしい夢をみていた。あれからもう何年になるのだろう。なんだかいつもより窓の外が騒がしい気がして、外を覗き見る。すると、様々な色のテントを張った屋台が並んでいるのが見えた。そうか、今日は鴨川神社のお祭りの日だ。

「支度、しなきゃ」

 今日は月に一度の柚月に会いに行く日。そうだ、林檎飴の一つでも買って行こうか。

 ―――「また、一緒に来ようね」

 あの祭りの帰り際に交わした約束。もう二度と、叶わない約束。

 もしあの頃に戻れたなら、俺は柚月に何をしてやれるだろうか。……案外、そんなに大それたことはできないかもしれない。でも、ひとつだけ、これだけは伝えたいんだ。


 柚月、僕も、だいすきだよ、って。


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