Diavolo di Natale
亜月 氷空
Diavolo di Natale
少し暗めのひんやりとした空気、花壇とも言い切れない小さなスペースに生えた雑草の青臭い匂い。校舎を挟んで向こう側の太陽は、少しずつその色を赤くしていっている。そんな中、至近距離から聞こえる数人の男子生徒の声。
「なあおい、頼むよ、な?」
「ほら、ユウトくんが困ってんだろ?」
発している言葉とは裏腹に、声には威圧感がこもっている。
「……でも、」
「よし。じゃあこの心優しい裕斗様が特別に、五千円のところを三千円にしてやるよ」
「うわ、ユウトやっさしー!」
「……っ、今月はもう本当に……」
「は? んなもん、盗んででも持って来いよ」
こんな時、うまい具合に切り抜ける方法を、僕は知らない。大人しく従うこと以外に。
それでも、うちだって特別裕福な家庭というわけではない。もう今月に入って三回目だ。いくらなんでも頻度が多すぎる。
どうにかならないかと、そろりと目線を上げた瞬間、相手とばっちり目が合った。しまった、と急いで目を逸らしても、もう遅い。
「なんだよ。なんか文句あんのか? 俺ら、『友達』だろ?」
―――友達。その言葉は、僕の中でトラウマになりつつある。こう言われ続けて、もう何年が経っただろうか。
しばらく黙っていると、しびれを切らしたのか、頭の上から盛大な舌打ちが聞こえた。
「チッ、使えねえ奴だな!」
そのまま横から拳が飛んでくる。僕は完全にされるがままだ。気に入らないから殴るなんて、どっかのジャイアンみたいだな、だとすると僕はドラえもんのいないのび太、つまりただの弱虫か、などとどうでもいいことを考えながら。
倒れた地面に一滴、赤い色がつく。どうやら今の拍子に口の中を切ってしまったらしい。
あ、なんかダメかもしれない……。
もともと弱い僕の体は、そこでいとも簡単に意識を手放した。
「んん、あれ……?」
気付いた時にはもうすっかり辺りは暗くなり、そこには誰もいなかった。時計を見ると、もうすぐ十八時三十分。とりあえず家に帰らなければ、と重い体を起こす。
何が起きたのかはわからないが、どうやら最初に殴られたところ以外に傷はないようだった。帰宅後、念のため調べたが、大丈夫なようで安心した。左頬の傷も思ったよりひどくない。
そんなことより、次にいつ、彼らが何をしてくるか、それをどうしたらいいかの方が先決だ。というか、今日のことについてはどうすればいいのだろう。
世間一般は二週間後に控えたクリスマスに浮足立っているというのに、僕はこんな、意気地のないことを考えている。そんな聖夜にも、僕は今年もリンとふたりぼっちだろう。
リンは、僕が小さいころから飼っている猫だ。この世で僕が、唯一信じられる存在。
だから別にクリスマスに家でふたりぼっちでも寂しいわけではないのだが、どことなく味気無さを感じるのは気のせいだろうか。
そういえば、今日はまだ帰ってからリンの姿を見ていない。いつもそこらにいるのに、いったいどこに行ったのだろう。
すると、ベランダの方から何やらがたがたと物音が聞こえてきた。
もしかして、間違えて外に出て締め出されてしまったのだろうか。
仕方ないな、と少し笑いながらカーテンを開ける。
「リンー……!?」
その瞬間目に飛び込んできた光景に、僕は思わずカーテンを閉めてしまった。
いや、いた。確かに、リンはベランダにいた。けど、なんだあれは。
ベランダにいたのは、リンと……白い服を着た、銀髪の男の人。その人とリンが、格闘していた。そう、取っ組み合いの喧嘩だ。まずあの状況が理解できないし、不審者か、不法侵入か、正直見間違いだったと思いたい。
しかし外にいるリンをあのままにしておくこともできないので、もう一度そっとカーテンを開ける。
すると外にいたのは、うつぶせになって倒れたさっきの人と、そのそばに座るリン。こっちを見ながら「にゃーん」と鳴いたリンに、「こいつをなんとかしてくれ」と言われた気がして、僕は仕方なくその人を家に入れることを決めた。何より、こんなところで死なれても困る。
「えーっと、大丈夫、ですか?」
「……お腹空いた」
「はい?」
「いや、ご馳走様! 優しいねー、君」
「はあ、どうも」
先程食べた夕食の残りを適当に持ってきただけなのだが、よほど空腹だったのかあっという間に平らげてしまった。今はというと完全にくつろぎ状態だ。
何なんだこの人。
英国上流階級のような真っ白な服に、男の人にしては長めの銀髪。顔かたちは整っていて、外国人かハーフのように見えるが、日本語はかなり流暢だ。深い赤色をした瞳が特徴的で、へらへらして掴めない性格のようだ。
「それで、うちのベランダで何やってたんですか」
「君の家の猫と戦っていたよ? 君も見ただろう」
そんなこともわからないのかとばかりに、さも当然のように言ってのけたが、そんなに堂々と言う内容ではないと思う。
「ベランダに降りてみたらその子がいてね、かわいがってやろうとしたら飛び掛かってくるもんだから、ちょっと熱くなってしまったよ」
リンはたぶん、見ただけでこの人の頭のおかしさを見抜いたのだろう。さすがはリンだ、あとでほめてあげなければ。いや、聞きたいのはそんなことではなくて。
「じゃなくて、なんでうちのベランダにいたんですか。不法侵入ですか」
「まあまあ、そんなあからさまに睨まないでよ。っていうか、『不法侵入ですか』って、これまたストレートに聞くねえ。いやね、そんなに大した理由でもないんだけど、さっき向こうの学校で君がいじめられているのを見かけてね?」
「なっ……!?」
見られていたというのか、あれを。どうせ意気地のない奴だとでも思われているのだろう。あれを見て、僕に何をしに来たというのか。
「ええそうですよ、僕はどうせ……」
「いやーあれはすごかった! 私もう、びっくりしちゃって、思わずここまで君を飛んで尾けてきてしまったよ! まさか、あの状況をひっくり返すなんて!」
「は……?」
僕なんてどうせ、と吐き捨てようとしたところに、被せるようにテンションの高い声が響く。
……ひっくり返した? 僕が?
「あれ、君もしかして覚えてないの? あんなにすごかったのに?」
そんなことを言われても、わからないものはわからない。僕が彼らに「従う」以外の何かをするなんて、そんなことがあり得るだろうか。
「覚えてないなら、教えてあげようか。最初に殴られたのは覚えてる?」
僕はこくりと頷く。そこから先の記憶がないのだ。
「あのあと君はすぐに起き上がってね、うつむいたまま何を言ったと思う?『俺はお前らみたいなクズ共と友達になった覚えはない』だって! 一人称も態度も雰囲気も豹変しちゃって、そのあともなんだか色々並べ立ててたみたいだけど、あの時のいじめてた子たちの顔! ハトが豆鉄砲食らったような顔ってあんな感じかな、もう最高に面白かったよ!」
「僕が、彼らに、そんなことを……?」
そんなことをした記憶は全くない。というかそんなことをする度胸も気力も、僕にはない。
「本当に覚えてないんだね。あ、もしかして多重人格?」
相変わらずへらへらとした彼の眼は、赤く妖しく光っている。
「あなたは、一体……?」
「んー、私? 私の名前はルカニア。君の眷属にさせてもらいに来た、ただの吸血鬼だよ」
言うなり彼は一気に間合いを詰め、抵抗する間もなく首筋に嚙みつかれる。
「なっ、にを……!? う、あ……」
自分の内側から何かが吸い出される感覚。床にこぼれる赤い色。体に力が入らず、僕はまた、意識を手放した。
「おい、吸血鬼。いい加減に放せよ」
「おっと、ごめんね? 私たちの主食は血だからさ、ちょっと欲しくなっちゃって。おいしかったよご馳走様。まあ死なない程度にしてあるから大丈夫でしょ?」
謝りながら反省の色は見えないが、ルカニアは嚙んでいた口元を放した。
「何がしたいんだよ、お前」
「さっきも言ったでしょ? 君の眷属になりにきたんだよ。あーでもそうか、君が今この態度ってことは、やっぱり人格が切り替るトリガーは、自分の血を見ること、か」
「なにぶつぶつ言ってんだ。なんだよその『けんぞく』ってのは」
「まあ簡単に言うと、家来とか召し使い、って感じかな。下僕だと思ってくれても構わないよ」
「へえ……。そりゃいいな。何故お前はそれになりたい?」
「面白そうだから。細かいことはどうでもいいでしょ?」
瞳の光を強め、ルカニアが妖しく、楽しそうに笑う。
「はっ、マゾかよ。そうだな、面白ければ細かいことはどうでもいい。そこは同感だ」
「話が早くて助かるよ。で、どうかな。悪くない話だと思うけど?」
「……その件、俺に不利益は?」
「特に無いよ。強いて言えば、私が君の私生活にずっと付きまとうこと、かな」
「そうか、まあそこは俺はどうでもいいな」
「なんかさりげなく暴言吐かれた気がするんだけど」
「で、どうすればいい?」
「簡単だよ。君の血を、私に飲ませてくれればいい。私から飲むんじゃなくて、君から飲ませてもらうんだ」
「ふうん、そうか」
少し考えるようなそぶりを見せた後、どこからかおもむろに小型ナイフを取り出すと、少年は躊躇なく手のひらを切った。
「ほら、飲めよ」
そのままルカニアの方に手を突き出し、高圧的な態度で彼を見つめている。
切った痛みも、自分の血が床を汚すことも、何も気にしていないようだった。
「あは、やっぱり面白いよ君。最高だ」
突き出された手を取り、傷口をぺろりと舐める。すると、あっという間に傷は塞がってしまった。
「お前、こんな能力まであったのか」
「まあね。これで、契約は完了だよ。これから私は君の眷属、つまりは君の駒であり、従順な部下だ。好きなように使ってくれるといいよ」
やはり楽しそうに、笑いながら話すルカニア。
「言われなくても、そうさせてもらう。これから楽しみにしとけよ」
こちらも彼に負けず劣らず、不敵な笑みを浮かべている。
―――吉と出るか凶と出るかは、君次第だけどね
「ねえちょっと、いい加減起きてよ」
耳元から誰かの声がして、僕は瞼を開けた。
「なるほど、人格が切り替わった後は気絶しちゃうのか。それすごい大変だねー。気絶しすぎでしょ。」
目の前にあったのは、長めの銀髪に赤い目の整った顔。何の話をしているかわからないが、どうやら僕は気絶していたらしい。
覚えている最後の記憶をどうにか引っ張り出してくる。確か帰ってきたら変な男がいて、そいつはルカニアとか名乗って、吸血鬼で……。そうだ、そのあと嚙まれたんだ。
急いで首筋に手を当てる。特に傷跡は見当たらない。
「ああ、いきなり嚙んじゃってごめんね? 傷跡は治しておいたから、心配しなくていいよ」
治しておいた、って、そんな能力も持っているのか。
「ねえ、よく『吸血鬼による吸血行為は快楽を伴う』って言うじゃない? あれって実際どうなの? やっぱなんかよかったりするの?」
「はっ……!?」
あれに快楽なんて感じてたまるか。言葉が出ず口をぱくぱくさせていると、ルカニアが勢いよく噴き出した。
「冗談だって! そんな百面相みたいにしなくても……っくく」
なんだか失礼じゃないか。僕かむすっとしていると、ひとしきり笑い終えたのか誠意の全く見えない謝罪が聞こえる。
「ごめんごめん、面白くってつい。ねえ、嚙まれた後の記憶はある?」
嚙まれた後? 記憶は全くないが、また何かやってしまったのだろうか。とりあえず正直に首を振る。
「そっかあ、やっぱりそうか……」
……これはまた、何かやらかしたな。嫌な予感しかしない。
「えーっとまあ、簡潔に言うとね? 私は君の眷属になりたくて来た、って言ったじゃない?」
確かにそんなことを言っていたような気もする。
「眷属っていうのは家来とか下僕とかって意味なんだけど、なんと! 見事、私は君の眷属になりました!」
「……へ?……はあああ!?」
いえーいパチパチ、みたいなノリで話されたが、そんなこと冗談じゃない。
「君さっきから『は?』とか『なっ!?』とかばっか喋ってるけど大丈夫?」
そんなこと知るか! 何をやっているんだ、もう一人の僕は! とりあえず撤回を……
「ああちなみに、一度結んだ眷属の契約は、どちらかが死ぬか、百年以上経ってから双方の同意がないと解消されませーん」
……ふざけてる。つまりは一生消えない契約、ということだ。この契約を結ばせるために僕の人格を変え、期間のことは伏せて、こいつ絶対確信犯だろう。
「人間にとってはちょっと長いよねー百年。私たちにとってはそうでもないんだけど。まあそんなわけで、これからよろしくね? 何かあったら呼んでくれれば一秒以内に駆け付けるよ」
そんなこと……そんなこと、あってたまるかあああ!!
声にならない僕の悲痛な叫びは、夜の帳に溶けていった。
それからは毎日の行動のほぼすべてにルカニアがいる、という生活が始まった。吸血鬼だからか朝は弱いらしいが、どうやってか学校に転入までして、常に隣か後ろか、半径二メートル以内にはいるように感じられた。しかも腹が立つことに、「ハーフでイケメンの転校生」として、完全に人気者だ。
家ではだいたい、リンと格闘している。リンはどうしてもルカニアが気に入らないようで、しょっちゅう喧嘩になっていた。
最初の方こそうるさいとか、鬱陶しいとか思っていたこの生活も、最近はもう慣れてきてしまっていた。慣れというのは怖いものだ。幸い人格の切り替わりもそこまでは起こらず、後から考えるとずいぶん平和な時を過ごしていた。
そんな良くも悪くも騒がしい生活を送っていたからか、僕はいつしか彼と出会うきっかけとなった、あのいじめのことを忘れていた。
それは、僕が彼と出会ってから約二週間ほど経ったある日の放課後に起こった。
その日もいたっていつも通りに学校が終わり、そろそろ帰ろうかと教室を出た。その時に一つだけ、いつもと違ったのは、近くにルカニアがいなかったことだ。
どうやら先生あたりに呼び出されたらしいが、まあ彼がまじめに勉強してるとこ見たことないもんなあ、これで少し大人しくなったりしないかな、などと考えていた。
「おい」
そんな時、突如聞こえてきたのは、あの僕をいじめていた彼の声。
「今日はあいつと一緒じゃないんだな。ちょっとこっち来い」
なんで、最近はなかったのに。いじめられていたあの頃の記憶がフラッシュバックする。
いやだ、怖い、行きたくない。ルカニアの存在が、こんなところで役に立っていたなんて知らなかった。
しかしその意に反して、僕の足は彼らの後をついていく。体が、無意識に「反抗すること」を拒絶しているように感じた。
ついていった先は、あの時と同じ校舎裏。
「あんときはわけわかんなくなって引き下がったけどよ、よく考えりゃ俺たちがお前にビビるなんて、そんなことあるわけねえんだよな。ほんとはもうちょい早く呼び出したかったんだが、あの野郎いっつもお前のそばにいやがる。一人になるのを待ってたぜ」
もういやだ。こんなところ、抜け出したい。
「今日は金持ってなくても許してやるよ、目的は金じゃねえからな!」
言うと同時に、思いきり顔を殴られる。そのまま地面に倒れこむと、連れていた仲間二人も加わって袋叩きだ。
なんで、どうして僕がこんな目に。いやだ、怖い、痛い、助けて。
―――「何かあったら一秒以内に駆け付けるよ」
ふとルカニアが言っていたセリフが蘇る。この言葉が、眷属になったのが本当なら。
「ルカニア、ルカニア、ルカ……っぐ」
「うるせえよ黙れ。あいつは呼ばせねえ」
三回目を呼ぶ前に、口を塞がれてしまった。ほんの小さな声だったが、ルカニアに届いただろうか。もし届いていたなら、一秒以内に……
「別に何回も呼ばなくても、一回でちゃんと聞こえるよ?」
いつの間にか彼らの背後には、涼しい顔をしたルカニアが立っていた。
「なんでお前が、そこにいる!?」
「なんでってそりゃあ、主人に呼ばれたからだよ。ね、ちゃんと一秒以内に来たでしょ?」
「くそっ、こうなりゃ二人まとめて……」
「ねえ、君は私に、どうして欲しい?」
彼らの言葉は無視して、ルカニアが僕に話しかける。
僕は、どうしたい? 僕は、何を望む?
僕は、
「もう、こいつらにいじめられたくない。顔も見たくない。こいつらなんていなければいい」
そうだ、こいつらがいなければ。
「ルカニア! 何をしてもいい! 僕を、助けろ!」
「仰せのままに、ご主人」
僕はそこで、力尽きた。
気が付くと、隣にルカニアが立っていた。
「全部終わったよ、どうかな?」
赤い瞳が光を強める。彼の白い服もところどころ赤く染まっていた。
ちょうど降り出した雪が、地面や染まった服に赤く溶けていく。今日はホワイトクリスマスだ。
「もう、彼らはいないよ。これからは、安心して過ごせるね」
そう言って笑った彼は、ただひたすらに、綺麗だと思った。
もう僕は、彼から逃れられない。
Diavolo di Natale 亜月 氷空 @azuki-sora
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