「優しい思い出」
亜月 氷空
「優しい思い出」
「ねーねーいつ着くの?まーだー?」
「さっき乗ったばかりじゃないの。少しおとなしくしてなさい」
「着いたらまずどこ行こうか」
「佑くんが行きたいとこならどこでもいいよ?」
「なあこれも開けようぜ」
「おまえなー、開けすぎだろ。どんだけ食う気だよ」
「ね、トランプやろ!大富豪!」
家族連れの大声ではしゃぐ子供、公衆の面前で堂々といちゃつくカップルにお菓子の袋を大量に開けてパーティーを始める学生団体。
……私は時空列車に乗ったのであって、動物園に迷い込んだつもりはないのだが。
こんな中で一人、わずかに眉根を寄せて、外の見えない窓の奥を見つめながら列車に揺られる乗客。それが今の私。周りから浮いていることは自分でもよく分かっているが、それにしても騒がしい、と私は内心苛立っていた。
列車は公共交通機関なのだから、少しは自粛してほしい。……別に、羨ましくなんかないし、リア充爆ぜろなんて思っているわけでもない。決して。
時空旅行、という技術が確立して約五年。初めは訓練された、限られた人しか行くことのできなかったそれは、近年の目を見張るような技術の進歩で、ごく普通の一般人でも楽しめるものとなっていた。
列車のような乗り物に乗るだけで、だれでも簡単に過去や未来に行ける。こんな夢のような技術の仕組みは実を言うと私もよくわかっていないのだが、今では先述したように家族旅行や学生にもよく利用されている。外が見えないように閉じられたブラインドの向こう側がどうなっているのか、興味がわかないわけではないが、きっと見たところで到底理解の及ばない代物なのだろう。私のような生粋の文系人間には特に、だ。
そんな電車に揺られること約一時間。行き先は二十二年前、二〇一六年。目的地はまだ遠く、あと十時間近くこの列車に乗っていなければならない。それでも一時間で約二年分もさかのぼれるのだからすごいものだ。
二〇一六年を選んだ理由は単純。「私が存在しない世界」だから。時期的には、私が生まれる約一年前、両親が新婚でラブラブな頃だろう。
私が存在しない世界というのを、私は知らない。そんな世界を、純粋に見てみたいと思った。
私はここに存在するのに、その世界に私はいない。そこに惹きつけられるものを感じた。
もしかして、私がこの世界に存在する意義も少し見出せるかもしれないという、淡い期待も抱きながら。
そこで、大学も休みになるこの期間、時空列車を利用して一人旅に出たのだった。
着いてからのプランは特に考えていない。行き当たりばったりの旅、というのもなんだか学生らしくていいだろう。
そうして、ひとまず周りの騒がしさをどうやり過ごすかに頭を巡らせつつ、私の夏が幕を開けた。
※
「あっつ……」
列車から一歩外に出ると、そこは見慣れたものと同じようで、でも確かに違う景色。しきりに鳴いてメスを誘うセミの声が耳につき、体にまとわりつくような湿度の高い熱気が何とも気持ち悪い。
ひとまず今日の寝床を確保しようと、スマートフォンを取り出し駅前のホテルを検索する。この時代のモデルに合わせて購入しておいたそれは、今のものよりずっと性能の劣るものだが、特に操作に困るといったことはなかった。最近はいろんな時代の電子機器を取り扱う店も増えていて、こうして時代に溶け込めるからありがたい。
駅からさほど離れておらず、値段も安めのビジネスホテルを見つけ、そちらの方向に向かう。
滞在期間は一週間。その間は適当に観光をする予定だ。今住んでいる地域もこの辺なので、対比させると面白いかもしれない。
二〇一六年というと、夏季オリンピックのあった年だろうか。総理大臣は確か安倍さん、アーティストだとバックナンバー、あとはおそ松さんが流行っていたと母親が話していた気がする。ボカロなんかはだいぶメジャーになってきた頃だろう。
まあのんびりと過ごすのも悪くないだろう。ほんの一時でも、現実を忘れるために来たのだから。
とりあえずホテルのチェックインを済ませると、今日はどこに行こうかと観光名所で検索をかける。
そうだ、東京タワーなんか行ってみると面白いかもしれない。今はもう解体寸前だが、このくらいの時代ならまだいろいろあるだろう。
早速今日の目的地を決めると、軽く身支度を整えて出発することにした。
※
のんびりと滞在すること五日間、気づけばもうこんなに経っていた。
東京タワーに動物園、スカイツリーといった有名どころから、スイーツのおいしい店を探して食べに行ったりと、思いのほかいろんなところに行けている。
昨日は両親の今住んでいるマンションのあるところまで行ってみたのだが、そこにはすでに同じ建物が建っていた。もしかしたら中に若かりし両親がいるのかもしれないが、そんなの想像できないし、第一その時代の人々に必要以上に干渉するのは時空旅行をする上では重大なタブーなので、会いに行くことはしなかった。
もちろんこのルールは干渉によって歴史が変わるのを防ぐためである。
ついでに言うと、これを破ることは立派な犯罪行為にあたり、滞在先にいる間旅行客は全員、小型の片耳イヤホンのようなものをつけることが義務付けられている。干渉しすぎると、ここから警報が流れるのだ。
あまりに度が過ぎると、気を失って現代に強制送還される、という話まである。まあさすがに、これは都市伝説に過ぎないだろうと思っているが。
今日は今私が住んでいるアパートに行ってみようかと思っている。この時代から建ってるのだろうか。それとも、駐車場とかだったりするのだろうか。
まあ別に何であろうといいのだが、せっかくなのだから気になるというものだろう。
果たして、その場所に建物はなく、公園で遊ぶ子供たちがいるだけあった。
(ここ、公園だったんだ……)
なんてことはない。ただそれだけだ。それなのに、なんだか喪失感のようなものがあるのはなぜだろう。
(ああ、そうか)
私はきっと、誰かに私の存在を認めて欲しかったのだ。
大学では思うような結果が出ず、家族内では肩身が狭く、友達もあまりいないし、先日は彼氏にも振られてしまった。
そんなだから、私の存在しない世界に惹かれたし、私の存在意義が欲しかった。私はいなくてもいいのかもしれないし、いないほうがいいのかもしれない。それでも、どこかに私が存在する理由があるはずだと、私はそれを望んでいたのだ。
しかし、この世界は私抜きで回っている。当然だ。私はまだ生まれていないのだから。
頭ではわかっていながらも、住んでいる場所、帰る場所とも言える場所が存在しないという事実は、どうしても喪失感を覚えてしまう。
思ったよりも暗い気分になってしまい、これではだめだと次の目的地を考える。明るい気分になれる場所、そうだ、ちょっと遠いけどディズニーランドとか行こう。うん、時間もあるし、それがいい。一人だけど。
認められたいなら、そのために努力するだけだ。そう自分に言い聞かせ、一人ディズニーも案外楽しいかもしれない、と思考を無理やり明るいほうへもっていく。
そのとき、私のすぐ横を、小学校低学年くらいの女の子が走り抜けていった。その少し後ろを、同い年くらいの男の子が追いかけてくる。
それを何気なく目で追った私は、視線の先の光景に息が止まりそうになった。
道路を横切って渡る猫、それを追いかける女の子。その信号の色は、赤。そしてその横から、大型のトラックが止まり切れないほどのスピードで迫ってきている。
危ない。
そう思った瞬間、私の体は勝手に動いていた。女の子に向かって全力で走ると、そのままぶん投げるように後ろへと突き飛ばす。前を走っていた猫は、ちゃっかり向こう側に到着したようだ。
ちょっと乱暴だったかな。ごめんね、許してね。
トラックが横から迫ってくる。止まるような気配はない。後ろのほうで男の子が何かを叫んでいるのが聞こえるが、よく聞き取ることができなかった。
まさか、人生で人の命を救うことがあるなんて、思ってもみなかったなあ。
案外、自分も捨てたもんじゃないかもしれない。不思議なほどすがすがしい気分だった。
ぶつかると思った瞬間、私は意識を手放した。
※
「ん……ん、あ……?」
気が付くとそこには、やけに見慣れた天井。この感じ、私の家だ。起き上がろうとすると、頭に軽く痛みが走った。
私はなぜここにいるのだろう。確か五日前くらいから旅行に行って、それで……。
そうだ。道路に飛び出した女の子を助けて、自分が轢かれたんだ。
しかし、轢かれたのなら私はどうして生きているのだろうか。体には傷一つ見当たらない。
そういえば、と急いで壁のカレンダーの日付をチェックすると、二〇三八年。完全に、私が旅行に出た年だ。見事に元の時代に戻ってきている。
(どうして!?)
原因も技術も全く分からなかった。まさか、過去の人に干渉しすぎると強制送還、というのは都市伝説ではなく本当のことだったのだろうか。
やはりなんとなく事故のことが気になり、アパートを出て事故現場へ向かう。それは、ちょうどアパートの真ん前だった。
あの女の子は無事だっただろうか。一緒に轢かれてはいないはずなので大丈夫だと思うが。
すると向こうのほうから、小さな子供を抱いた夫婦が歩いてきた。
「ずっと、ずっと昔ね、ここでパパと遊んでたら、車に轢かれそうになったことがあるの。」
「あの時は本当に心臓が止まったよ……」
「ああもう、ごめんね? ねえ、そういえば、あの時の人は誰だったかわかったの?」
「君を助けてくれた人だろう? いや、結局わからないんだよ……。当時のどんなデータを見てもあの人のような人はいなかったし、加えて最近、時空旅行が流行ってるだろう? 未来から来た人、って可能性を考えると、広すぎて全然絞れない」
……もしかして、あの時の男の子と女の子だろうか。こんなに年月の経った今も探してくれていると思うと、少し胸が熱くなる。
こちらに向かって歩いてくるから、もしかすると気づかれてしまうかもしれない。何せこっちの外見は変わっていないのだから。
話しかけられたらどうしよう、などと考えて少し挙動不審に陥っていると、私の横を彼らはすっと通り過ぎた。
そのまま事故現場まで行くと、しゃがみこんで何かをした後、そのまま話しながら立ち去ってしまった。
気づかれなかった、のだろうか。いや、今のはまるで、
―――そこにはもとから誰もいないかのような。
現場では、ちょうど死角となっている電柱の陰で、ピンク色のスイートピーの花束が風に揺れていた。
「優しい思い出」 亜月 氷空 @azuki-sora
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