第17話
結局俺は辺境伯の申し出を受けることにした。
自由なハンター生活もいいけれど俺はまず生き残らなければならない。
俺の抱えるこの病気は一生治らないから死ぬまでずっと付き合っていかないといけない。
そのためには生きるためのエネルギーを確実に確保できる安定した仕事に就いたほうがいいだろう。
それに警備隊に入れば衣食住も支給されるし給料も入る。得意なことで食べていけるなら十分じゃないかな。どうせ自立しないといけないんだし、辺境伯家の仕事ならエレナ姉さんとフェルナ姉さんも安心してくれる。
姉さん達もいい縁談を見つけて自分の幸せをつかんでほしい。
一晩じっくり考えてそう決めた。翌朝父さんに警備隊に入ることを伝え、朝食の席でも父さんが辺境伯に話すと辺境伯はとても喜んでいた。
「そうか、辺境警備隊に入ってくれるか。ありがとう、ウォルダー君。魔法学院の入学に関してはすべて任せてくれ。私の名において、できる限りの援助をすることを約束するよ。」
「おめでとう、ウォル。本当によかったわ。」
「よかったわね、ウォル。」
辺境伯が機嫌よく頷き、父さんと何か話し出す。エレナ姉さんとフェルナ姉さんは口々に俺の就職を祝ってくれた。
バルド兄さんも何か俺に声をかけるわけじゃないけど嬉しそうだ。兄さんには一応の進路については話していたけど不安定なハンターの仕事は兄さんなりに心配していたみたいだからこれで兄さんも一安心だろう。
喜んでくれている姉さんたちに笑顔でお礼を言う合間にちらりと母さんのほうを見る。辺境伯に父さんが話しているときは「それはとてもありがたいことでございます。」と辺境伯に笑顔でお礼を言っていたけれど俺のことは一度たりとも見てくれなかった。
今もそうだ。食事をしながら父さんと辺境伯との歓談に混ざり、時折笑顔で何か話しているがその視線が俺に向くことはない。……母さんの態度なんてわかっていたことだけどそんな母さんの姿を見るたびに悲しくなる。
俺はまだ母さんからの愛を諦められていない。それを自覚するたびに心の中がチリチリと痛む。それでも痛みを無視して姉さん達と笑いあう。
……いつか母さんも俺を見て笑ってくれるのかな。
それから二週間。事情を書いた手紙を持った使者を送り出してからかなり掛かったがやっと辺境伯の迎えがやってきた。ベルダン辺境伯家の家紋をつけた立派な馬車が我が家の玄関に停まる。ちなみにグラント家には馬車は無い。馬は一応いるがほとんど父さんや兄さんの領地の見回りにしか使われない。
俺もある程度大きくなってから馬の乗り方は習ったけどその時きりでそれから馬に乗ることはなかった。
「グラント卿、大変世話になった。ウォルター君も本当にありがとう。君が居なければ私はあのまま死んでいただろう。」
「いえ、辺境伯様の助けとなれたのなら幸いです。」
「魔法学院のことやウォルター君の褒賞についてはまた連絡をするよ。それではまた。」
家族と使用人たち全員で辺境伯の見送りをした。別れ際に父さんと俺に話しかけた辺境伯は迎えの馬車に乗り込み、そのまま去っていった。
「……さて、ウォル。ちょっと話があるから今日の夕食後に俺の部屋に来てくれ。」
父さんや母さん、姉さんたちが各々の日常に戻っていく中、俺も今日の狩りに行こうと部屋に戻ろうとしたらバルド兄さんに呼び止められた。
「はい、兄さん。」
呼び止められる心当たりが思いつかなくて不思議に思いながらも兄さんに返事をする。兄さんの用事はそれだけだったようでそのまま兄さんも自分の仕事へ戻っていった。俺も森の中に作ったブルフロッグの牧場に行ってこよう。
冬明けのこの時期はどこもかしこも忙しい。春の種まきのために冬の間にカチコチに固まった畑の土を掘り起こして耕す仕事があるし、冬の間に消費してしまった薪も来年、再来年の分を切り出して乾燥させないといけない。
俺は他の家族たちと違って領内の仕事は任されていないから自分の食い扶持を稼ぐ仕事だけに集中すればいい。とはいっても姉さんたちが喜びそうなものは積極的に森の中で採集するようにしている。よさそうな獲物がいれば兄さんに毛皮や羽をあげる為に狩りにも挑戦している。
普段はそういった仕事をこなしているけど冬明けはもう一つ重要な仕事がある。それがブルフロッグの冬眠明けの世話だ。一般的なブルフロッグは基本的に冬に冬眠はしない。だけどこのあたり、恐らく大森林以北の地域に生息しているブルフロッグは生存のために冬眠をする。
初めて見た時は驚いた。森の中にある沼地は冬になると泥ごと凍りつくのだがその表面にぽつぽつと丸い塊が埋まっているのだ。半球状のものが沼地一面に埋まっている姿は正直言って少し気持ち悪かった。
まぁともかくここらのブルフロッグは地面、というか泥に埋まって冬を越す。そうして春になると起きてくるんだけどその姿は冬前とは全く違う。
冬眠前の栄養をみっちりと蓄えて皮がはちきれんばかりに膨らんだブルフロッグは冬が明けるとすっかり萎んでしまう。
しわしわというよりはたぷたぷの皮が何層にも重なってたるんでいる。野生のブルフロッグはそこからあたりの水分や植物を食べて少しずつ復活する。
この時期は普段決まった生息域にしかいないブルフロッグの移動範囲が広がり、人間と遭遇して事故が起きる。
冬明けで空腹も相まって普段は比較的温厚なブルフロッグも凶暴になるので注意が必要だ。
俺が森に作ったブルフロッグの牧場では20頭前後のブルフロッグがいる。それらにたっぷりの水分と大量の食料を与えないといけない。
柵で囲っているので冬明けのブルフロッグたちにとって牧場の飼育場は冬明けの移動をするには狭すぎるのだ。
空腹になりすぎると共食いを始めてしまうので冬明けの餌やりと水やりは重要な仕事だ。
もうすっかり慣れた森の道を歩いて魔物除けの茂みの近くに作ったブルフロッグの牧場へたどり着く。
「お、まだ起きてないな。」
ブルフロッグたちの様子を見るとまだ冬眠明けしたブルフロッグは居ないようだった。でもあと一週間もすればすべてのブルフロッグが冬眠明けするだろう。
まだ寝ているのなら餌やりをするのにはちょうどいい。少しずつぬかるみ出している泥場の何か所かに干し草と近くにある適当な雑草を刈って山積みにしていく。
両腕一杯の植物の塊を何度も運んで自分の背より高くなるように積んでいく。去年に作った干し草の山があっという間になくなってしまった。また今年の夏の間に牧場周辺や河原の近くの茂み、家からの道を整備がてら雑草刈りしないと。
干し草積みが終わったら今度は水やりだ。地面にいくつか作ってあるため池に川から引いてきた水を流す。あの時見つけた川から水が引けるように地面に穴を掘ったり、溝や段差を作る工事をしたのはもう随分前だ。
この水道を作れるようになるくらい魔法も、体力も付いたことが嬉しかったな。
全部で5つあるため池になみなみと水を溜めたら準備は万端だ。これでブルフロッグがいつ冬眠明けしても餌や水を求めて脱走することもないだろう。
作業を終えて空を見ると見えづらいが太陽が真上くらいに来ているようだ。
この森は手入れをされていないのでかなり暗い。一応できる範囲で木を切り倒したり、枝を払ったりしてよく使う場所は整備しているけどそれ以外は本当に手つかずのままだ。何も知らない人ではすぐに迷って一瞬で魔物に襲われておしまいだろうな。
お腹も減ってきたし、休憩所に行くことにした。
河原の傍に建てた簡易的な小屋は休憩所兼解体加工所だ。小屋の中には簡易的な竈や作業台、テーブルと椅子が一組あるだけの本当に質素なものだ。まぁ俺の部屋にある椅子のことを考えればこの小屋の椅子は十分立派なものだが。
そんなことを考えてながら歩いていればいつの間にか小屋にたどり着いていた。冬の間ほとんど小屋にやって来ていなかったので少し扉の立て付けが悪い。
冬の間に積もった雪のせいで屋根が歪んでしまったかな。中に積もったほこりや汚れをさっと掃除する。
本当は風魔法を使ったほうがきれいになるんだけどお腹が減っているときにあまり魔法を使いたくはないし、一応安全な場所だとはいえ森の中でエネルギー切れを起こすのは危険すぎる。
さて、お昼にしようかな。
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