輪廻の檻〜山育ちの最強少女は運命すら捻じ曲げる〜

壱來らい

第1話 生傷は目に見えるものだけじゃない。(1)

「お初にお目にかかります。名をゆずりは、姓はありません。母の名は五十鈴いすず、十数年前にこの朱鷺とき家にて奉公しており、かずら様に見初められ私を身篭ったと申しておりました。他に頼れるところもなく、終ぞこの朱鷺家に辿り着いた所存です。ご迷惑は百も承知ですが、私を朱鷺家の娘と認め、この家で暮らすことを許していたただきたく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます」



 深々と頭を下げつつも、大胆不敵で分不相応なことを言い放つ。



 目の前に鎮座する四十手前ほどの男はまるで亡霊を見ているように顔を強張らせ、その隣に控える女性は苦虫を嚙み潰したような表情で畳を見つめている。



 突然押し掛けて、貴方は私の父親だからここに置いてくれ、なんて信じられるわけがないだろう。



 そして明らかに無礼に当たることだとも理解している。分かっていながら言っているのだ。言うだけの価値と理由、そして勝算がある。この交渉は、始まったと同時に終わっているのだ。



しかし、今この瞬間に激昂される可能性だって絶対に無いとは言い切れない。もしかしたら断られ摘み出されてしまうかもしれない。でも、杠には諦めるなんて選択肢は万に一つもなかった。



 ここまで来たからには、杠がここで暮らすことは決定事項。でなければ、一体何のために16年生きてきた山を、家を捨てて吹雪の中ここまで来たのか。




――失敗は許されない。これは私のためであり、亡き母の復讐でもあるのだから。





◇◆◇





雪が吹き荒れる山道を一人で歩く。杠は、つい先日16の誕生日を迎えたばかりの山育ちの娘。いろいろとやんごとない事情があって心機一転、生まれ育った山を離れることにした。



 雪の中で映える背中まで届く黒髪は風に舞わないよう一つに纏められ、雪と同じくらい白い肌は寒さに赤く染まっている。ぱっちりとした目は風に細められ、揺れるまつ毛には雪と涙が凍りついている。



 季節は冬真っ只中、そしてここは周りの山から頭一つ飛び抜けた山の中。過酷な環境下を歩いていると思うだろうが、杠の生まれ育った山も似たようなものだった。特に今までと変わることもない、とひるむことなく進んでいく。



 母の話によると杠の父はこの先に構える四貴ノ崎という都の貴族だということで、この機会に会ってみよう、あわよくば住み着こうと思ってここまで歩いて来たという訳だ。



 丸2日近く歩き続け、時には休み、時には寄り道をして。軽く山二つは越えたかというところで、山と山の間に大きな橋が架かっているのを見つけた。



――ここから先は、かの四貴ノ崎。気を引き締めなければ…。



橋の幅は662mといったところか。橋の下には深い谷があるらしく、下からびゅうびゅうと音を立てて吹き上げてくる風は、目を開けていられないほどに強い。



 羽織が飛ばされてしまわないよう、しっかりと握りながら幅の広いしっかりした橋を歩く。強風に橋がぐらぐらと大きく揺れることはないが、木造であるためか、ところどころ劣化が目立っている。踏みどころが悪かったらそのまま踏み抜いて落ちてしまいそうだ。きっと大勢が一度に渡ろうとすればたちまち壊れてしまうだろう。



 四貴ノ崎は、都の安全のために出入口はこの先にある大門だけにしている。



…と聞いてはいたけど、確かにこんなところで戦なんて起こしたら自殺行為以外の何物でもない。これを考えた先人は偉大だ。



 雪駄越しの感覚が堅い板から砂利に変わり、橋の終わりを超えたのがわかった。



 その場に立ち、目を凝らして先を見る。ここからそう遠くない位置に見えたのは重厚そうな大きな門。その下で、なんともいかつい顔と体格の門番が二人、鈍色に光る立派な薙刀を持って立っている。その奥には門番よりも小柄だが賢そうな男が何かを抱えている。



――あれは捕まると面倒そうね…。運良くまだ見つかっていないようだし、一旦隠れていよう。



少し離れて枯れた木々の隙間に身を潜めて様子を伺う。そのまま数分経ったくらいに、商人の恰好をした男と一つの荷車を一緒に引く馬二頭が現れた。



 見るからに商人であろう男は、大門まで行くと懐から板のようなものを取り出し、門番に渡した。受け取った門番は後ろの小柄な男が見えるように板を持つ。小柄な男は帳簿のようなものを広げ、札と見比べながら何かを探している。きっとあの板の表か裏には文字が書いてあるんだろう。ここからでは何と書いてあるかまでは見えないが、おそらく商人の名前か別の何かか。しばらく帳簿をぺらぺらとめくり、どうやらお目当ての名を見つけたらしい小柄な男は帳簿に何かを書き、門番は薙刀で板に傷をつけて商人に板を返す。



――ふうん、あれがここに入るための儀式ってこと。出入口はここだけ、入るのも出るのも面倒くさいとはこういうことだったのね。なるほど閉鎖京と呼ばれているわけね。



『四貴ノ崎は別名”閉鎖京”って呼ばれていて、入るのは割と簡単だが滅多なことでは出られない。あの中で暮らしている人間のほとんどは、あの地で生きて死んでいくことが当たり前だと思ってる。ハッ、理解できねえよ』



 ふと、そう言って蔑むように笑う”彼”が浮かび上がった。



――確かに入るだけなら割と簡単そうね。



 杠は、なるべく足音をたてないようにそっとその場から離れた。



 ここは谷と橋と門しかない、という訳でもない。杠が隠れていた場所の後ろはうっそうと木々が生えており、奥は薄暗くて見通しにくい。おそらくこの中は管理されていないだろうと想像がつく。橋の先に山があり、その中に大きな門があって、その門からぐるりと都を囲っているように高い塀が続いているだけの、至極わかりやすい構造をしているだけだ。



 大門はだいたい1986mくらいの高さだったが、山を分断している塀はせいぜい1324m。たいした高さではない。山に入ってしまえば見つからずに侵入することだって可能だし、塀を超えてもしばらくは山が続くのだろう。つまり、塀さえ超えてしまえばどうってことはない。



――大正解だったみたいね。



しばらく塀に沿って歩き続け、杠は塀に程よく近い位置にある大きな木を見つけた。



 杠は木のくぼみや枝を利用してするすると木に上る。塀より少し高い位置にある、比較的大きな枝に座ってあたりを見渡す姿はまるで猿のようだ。塀の外側、内側に誰もいないことを確認して塀に飛び移り、そのままひょいっと超えた。



 驚くくらいあっさりと、俗にいう不法侵入を成し遂げた。



「はい成功。見張り一人いないなんてね」



 すとん。と軽快な音を鳴らして塀の内側に降り立つ。そのままの勢いで積もった雪に雪駄がのめり込んだ。膝当たりまで雪に沈んだが、よいしょと引き抜きながら杠は考える。なぜこんなにも簡単に、と。



 きっとこんな方法で突破されたことがないんだろう。山育ちだったらこのくらいは簡単だと思うが。前例がなければ対策の立てようもないということか。それはそれで仕方ないことだ。



 ともあれ、無事に塀は越えられた。あとは朱鷺の屋敷を探すだけ。



――まずは山を下りないことには始まらないわね。日が暮れる前には見つけなければ。



 今夜も野宿になるのは御免よ、と呟き杠は斜面に沿って走り出した。

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