信仰の最果て
Fluoroid
侃侃のち、喧喧
気がついたら目的の駅はとっくに過ぎていた。いわゆる、終点と呼ばれる駅に来てしまったのだろう。この街に移り住んで5年経つが、2,3回程度……いや、それ以上かもしれない。あまりはっきりとは思い出せないが複数回ほど来たことがある。
果たして何時の間に寝過ごしていたのだろう。そもそも、何の目的で乗ったのかさえ思い出せないが。事実、自分以外に客の居ない私鉄の車内は、乗る前も降りた後も変わらない様子だった。
何か、妙な空気が終始私を取り囲んでいた。
何処か不穏な音が始終頭に響いていた。
とりあえず無人の駅(客が居ないだけで、駅員は1人居た)を出て辺りを散策することとした。街の中心部は中途半端に栄えているが(とはいえどこまでも田舎なのだが)、この辺りは本当に何も無いようで、先程から風で木が揺れる音、季節外れの蝉や蛙が鳴く音、それと一面の田圃と、その奥に見える山々、そういったものばかりが語りかけてくる。
それとは対照的に、人々の歩く音や話す声、車の無機質な呼吸音などは一切と言って良いほどに聴こえてこない。ほんの少し文明というものから剥がれ落ちたような、かと言って人間社会を上手く溶かし込んだような、なんとも言えない陶酔感にも近い胸の高鳴りを感じる。そしてそれがうまい具合に私の心を落ち着けた。
長閑だ。
さて、時刻表のようなものを見る限り、次の電車はまだまだ先のようだ。特に何かをしたい訳でも無いのだが、この田舎のような、かと言って変に古くなく、至って自然で、人間とその他の自然とを隔てる壁など存在しないような、そんな場所であるこの地をしばらく漂っていたかった。私は少しばかり調子が良かった。
———何処か、遠くの方まで行ってみようか。
なんて考えが、背骨へと降りてきた。脳裏に現れたのではない。そうすることが大層自然であるとでもいうような感覚が身体を支配した。全く抵抗感のようなものが無い訳では無かったが、足の赴くままに向かった。自分がそうすることが、至極真っ当であるとさえ思う。
随分と、とは言え大した程ではない時間を歩いた。風景はさして変わり映えしなかったが、私を飽きさせることはなかった。
何か、妙な空気が終始私を取り囲んでいた。
何処か不穏な音が始終頭に響いていた。
何も考えず、ただ思うがままに来たにも関わらず、私はこの場所を目指していたようにも思える。
目の前に現れた——とはいえ急に姿を見せた、だとかそういった類では無いのだが——厳かで、彩色はひどく艶やかな朱の、だからといって新しさなど微塵も無い、歴史を感じさせる心地の良い古めかしさを携えた、私の人生で終ぞ見ることは無かった規模の鳥居。
私は自分の心臓が飛び跳ねる音を、この人生に於いて初めて聞いた。
神秘的——なんて言葉で言い尽くすことができない程、それは美しく見えた。色でも、形でもない。どこか、脳の髄に染み渡るような感覚。脊髄の全てが痺れるような、大した事でもない程の目眩を感じる。
何か、妙な空気が終始私を取り囲んでいた。
何処か不穏な音が始終頭に響いていた。
ああ、この鳥居は、私を迎えているのだろうか。
それとも、私のことをこの地に混じる異物として認識しているのだろうか。
少々、面白くない妄想を思考の隅に追いやり、一歩、前へ足を進める。
脳をアルコールで浸たしているような、エナジードリンクのカフェインが脳を無理矢理に醒ましているような、そんな浮遊感にも似た高揚が身体中を満たした。
一歩、また一歩と踏み出す度に、脳の奥の深いところが痺れるような、何かを破裂させたような感覚をもたらしていた。
子供の頃、入ってはいけない部屋に入り込んだ時のことを思い出した。開けてはいけない箱をこっそりと、それでいて堂々と開けた時の記憶が呼び起こされた。
狛犬が割れていた。一対の狛犬——いや、確か片方は獅子で、もう片方が狛犬なのだったか——その両方が無惨にも割れてしまっていた。
頭の上から台座の下まで、形容し難いほど凄惨な割れ方をしていた。
何か、妙な空気が終始私を取り囲んでいた。
何処か不穏な音が始終頭に響いていた。
ふと、拝殿のところに誰かがいるのに気がついた。
何処かで会ったような気もするが、かといって私の記憶には一切残っていない。
そんな少女だった。
その何も写してはいない、虚な目は、私を捉えて離さなかった。
その透き通ったような、深淵とも形容すべき仄暗い目は、私の体を捕らえて離さなかった。
何もかもを見通されているような、とはいえ特に関心など抱いていないような空洞を携えながら、彼女は微笑んでいた。
じっと、こっちを見ていた。
何か、妙な空気が終始私を取り囲んでいた。
何処か不穏な音が始終頭に響いていた。
私は何も考えられなかった。しかし、油断をするとその思考は得体の知れない恐怖で満ちる。先刻まであった浮遊間は……いや、寧ろ先程まで熱に浮かされていたがゆえに、私の体は何かに押さえつけられていたように感じるのだった。
それは手だった。
私の体よりもひとまわり、ふたまわり大きな手が、私の体を押さえつけていた。
そしてそれは、何かを持っていた。そして何かを待っていた。
何も無いと思っていた場所に、何か、何とでも表現できそうな、それでいて多少の歪みを持った、なにかを待っているような、それを隠そうとしているような。
朧気な手は、わたしの体をにぎり潰そうと、
聞いたことのあるこえが、
わたしのからだは宙に浮き、なおかつ水底へ引きずられながら静かに沈み、
聞いたことのある知らない呼び声がわたしの脳みそを溶かしながら、
ぼやけた視界に、気の遠くなるほど鮮明に、
色を失った見たことのある景色が延々と、
ああ、消えていく。わたしという私が脳裏によみがえっては消えていく。
すると突然、驚くほど朗らかで、なおかつ茫然とするほど恐ろしい声が聞こえた。
どこまでも纏わりつく様な、底冷えする様な、恐ろしい嗤い声。
それでいて安心するような、そんな
「まだ」
▼▲▼
機械的な、一定間隔で流れ続けている23世紀のメトロノームのような電子音が聞こえる。これの名前はなんだったか。貧弱な脳ではその答えを探し出すことができなかった。
いったいなんのことだ。
見覚えのある天井は、私にとって悪い知らせだ。いや、まだ望みは捨てない。ここが本当は知らない場所だったのかもしれない。ちょっとした走馬灯のような既視感なのかもしれない。
扉が開いて、数人、誰かが入ってくる。今度は知らない人もいた。知ってる人も2人ほどいたけど。
半ば、察した。すこし、諦めた。
ある男が私に言った。
私の部屋のクローゼットは、壊れてしまっていたのだ、と。
安アパートのものでは体重を支えきれなかった、と。
隣人がその音で気付いてくれたのだ、と。
なぁんだ。そういうことか。やっぱり現実ってのは私の望み通りにはいかないみたいだ。
どうやら私はまた死ねなかったらしい。
信仰の最果て Fluoroid @No_9-Sentences
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