ヴぁんぷくらすた!~優しい吸血鬼は人間達と暮らしたい~

あさままさA

【序章 吸血鬼ロベルトとエゴサーチ】

第一話「吸血鬼、スマートフォンを拾う」

 夜空に浮かぶ月のような金色の髪、鮮血を思わせる深紅の瞳。齢十七の容姿に、少し華奢とも言える体躯。それらは相まって彼に人形のような印象を与えていた。


 彼、ロベルトは数百年の時を生きる吸血鬼である。


 人間の血を吸い、永遠の時を生きる異形。

 伝説として語り継がれる、人類を脅かす脅威。


 そんな存在であるロベルトにとって、この世の中は生きづらくてたまらないものでしかなかった。永遠の時を生きる吸血鬼にとって日常とは破棄すべき時間の集合体だからに他ならない。


 単純に退屈なのである。


 そして退屈を加速させるのが、人の営みの中で生きられないということ。血を欲する吸血鬼であるゆえに、人々にとってみれば当然ながら自分達を餌とする捕食者。

 

 だからこそ受け入れられるはずがない。

 迫害され、恐怖を抱かれ、拒絶される。

 どうしたっても孤独になる。


 そんなものは、吸血鬼になって最初の百年ほどで嫌というほど味わってはいるけれど。


(そして、こんな風に過去を振り返って溜め息を吐くのは何度目だろうか……)


 嘆息は薄暗い空間を仄かに白く染め、刹那に消えた。


 そこは美しい彼の容姿には到底、似合わない朽ちた屋敷。


 家屋を形取る木材は完全に老朽化しており、軽い衝撃にも耐えられないだろう。純白だったであろう内壁は今や、そのように推測することしか出来ないほどに汚れ、変色している。


 しかし、そこが彼の世界であり全てだった。ほとんどこの屋敷、その周辺より外へ出ることはない。


 じめじめとした空気が漂い、鼻腔をくすぐる香りは退廃的ないくつもの要素が織り込んだ表現し難い負の具現。


 どんな環境であれ死ぬことはないロベルトにとって、住む場所の環境などあまり気にはならないのかも知れなかった。


 いや、気にならなくなったのかも知れない。


 吸血鬼は孤独だと言ったが、ロベルトの記憶には人間達と過ごしていた日々が存在するのである。


 自分を受け入れてくれる人間達と、それこそ「家族」と呼称して差し支えないほどに密接な関係を構築していた。その頃は綺麗な家に住んでいた。


 そして何より、あの頃は幸せだった。

 生きづらい世界だとは思わなかった。


 彼が形式的に私室としている部屋の机。埃がうっすら白く染めるその上に飾られた写真立てだけが手入れをきちんと受け、外界から差し込む月光を反射している。


 そこに収められたモノクロの集合写真。

 ロベルトを中心として微笑む、数人の男女。


 確かにあの時は家族と呼べる温もりがあった。そんな記憶があるだけに、ロベルトは吸血鬼でありながら「人恋しさ」という感情を知っていた。そして今でも時折、胸に滾ることがある。


 でも、あの時の彼らはもういない。


 永遠の時を生きる吸血鬼にとって、人の一生は短すぎる。あっという間に過ぎ去り、一人、二人と……この世から去っていくのを見届けた。


 覚悟はしていた。だからロベルトはその悲しみに苦悩することはなく、穏やかに別れを告げた。


 そして今、ロベルトだけが変わりなく生きている。


 容姿も、そして――やはり今でも人の輪の中にありたいという気持ちも変わらずに。


 でも、そんな感情を今日まで生かしてきたのは奇しくも、吸血鬼としての不死性だ。血を吸い続ける限りにおいて、ロベルトは永久にこの世から消えることはない。


 ――さぁ、今日も吸血の時間だ。


 遠く、屋敷の外から聞こえた足音が合図だった。体を預けていたロッキングチェアから立ち上がり、吸血鬼としたの本能が目覚める。机に積もった埃を手で拭うように払い、写真立てを伏せるようにして倒した。


        ○


 ロベルトは人間とことを荒立てるのを許容しない。


 人の輪の中で生き、それを至上の思い出とする優しい吸血鬼は無闇に誰かを襲うということはしない。


 吸血は確かに人間を捕食対象として捉える行為ではある。しかし、その吸血対象を殺めてしまうほどの量を吸ったりはしない。それでも無理矢理、というのは彼の流儀に反するのである。


 とはいえ、今のロベルトには純粋な好意で首筋を差し出してくれる人間がいるわけでもない。人間達と暮らしていた時代、ロベルトは彼らから血をもらって生きていた。彼らは怖がらず、喜んで差し出してくれていた。


 だが、今は少し事情が違う。

 行動しなければ血を吸うことはできない。


 今、ロベルトが住んでいるのは森の最奥に位置する捨てられた屋敷である。元は人間が別荘として使っていたものらしい。こんな森の奥に屋敷があるのは、よっぽどの密会に使っていたからなのか、それとも森が広がったのか……。


 よく分からないが、今のロベルトにとってはそれが理想的だった。


 それはこのような深い森であるからなのか……終わりを悟った人間が頻繁に――そう、本当に頻繁に命を捨てにくるのである。


 端的に言ってしまえば、この森は自殺の名所だった。


 ロベルトは優しい吸血鬼である。人を襲うことはしない。しかし、命をないがしろにする人間に対しては、少しその気性を荒立てることがある。


 自分の養分として多少の血液を奪うこと。

 それに抱いていた躊躇いを捨て去れるくらいには。


 どうせ、捨てる命だ。ならば、別に構わないだろう……そのように思い、自分の優しさは少し胸の奥に仕舞い込む。そして、吸血鬼然とした襲撃に出る。


 幸い人目は少ない、絶好の狩り場。

 そういう意味で、ここは理想的な場所であった。


 屋敷から出て、木々を物陰として姿を隠しながら歩み寄る。そしてゆっくりと様子を伺う。月明かりが森の中、薄っすらと存在する物々の輪郭を描いていた。


 足音はゆっくりとこちらの方へと歩み連ねているのが分かる。

 しかし、そこでロベルトは一つの違和感を感じていた。


(……足音が多いな。それに、随分とテンポの速い歩みだ)


 自殺の名所として知られるこの森には頻繁に命を捨てに人間が訪れる。それらを襲っているロロからすれば、今回は「ハズレ」ということになるのを彼は悟ったのだ。


(自殺するような人間が複数で、しかも自信に満ち溢れたかのような軽やかな歩み連ねで、このような場所を歩くものか……)


 自殺の名所というこの場所はほとんどの場合において、ロベルトに優位な効果をもたらす。


 それはもちろん吸血対象の確保、そして自殺の名所という不吉さから生まれる不可侵性のような意味合いもある。言ってみれば彼の餌しか立ち入らないのだ。


 しかし、だからこそ――いや、逆にと言うべきか。


 肝試しといった感覚でここを訪れる者もごく稀に存在するのだった。それをロベルトは「ハズレ」と呼称しているのである。


(さて、どうするか……。このままふらふらと歩かれて屋敷まで辿り着かれるのは困るな。しかし)


 ここで好奇心に駆られた人間を脅かし、追い返すこともできる。しかし、それによっておそらく彼らが抱いている「幽霊がいるのではないか」といった推測を現実とすることになってしまうかも知れない。


 まぁ、ロベルトは吸血鬼であって幽霊ではない。


 しかし、こんな暗がりに佇む彼の姿を見て気が動転すれば、そのようにも解釈するだろう。それを人里に持ち帰られるのが面倒だとロベルトは考えていた。


(とはいえ、ここで歯止めをかけないと本当に屋敷まで辿り着いてしまうな)


 屋敷の中に入られてしまえば対処はさらに難しくなる。ロベルトの姿を認識した彼らがその不意に現れた存在を「人間だ」と認めるまでの猶予を、どうしても屋内は与えてしまうだろう。


 そして、そこから会話でも始まれば厄介極まりない。


(誰かが森の最奥で生活している、なんて噂になっては困るからなぁ。……仕方ないか)


 そのように思考したことを合図に、ロベルトは動きだす。

 静寂を切り裂くようにわざと大きく音を立てて森の中を走り回り始めたのだ。


 地面には積もった木の葉が覆うように一面、敷き詰められている。歩む音は彼らの物と同様、鮮明に響くはずだ。


 何か獣の気配とでも感じ取ってくれればいい。


 それが無理なら人影まで見せるしかない――そのように思っていたが、杞憂だった。


 彼らはその程度の音で悲鳴を上げ、ある者は転び、地面を這うようにして来た道を走り去っていくのだった。


 その後ろ姿を見送りながら、ロベルトは今日幾度目かの溜め息を吐く。

 安堵と呆れの入り混じった嘆息だった。


(さて、帰ろう)


 ――と踵を返しかけた、その時である。


 ロベルトは、彼らがこの暗闇でも視認できるような強い光を放つ「何か」を落としていることに気が付く。


「何だろう、これ……」


 不死身だからこそ、という自信のようなものが垣間見える仕草。


 彼にとって得体の知れない「それ」を何の警戒心もなく拾い上げ、眼前で観察する。板状の何かであり、広い一面だけが眩い光を放っている。


 世情に疎いロベルトは、人間の文化をあまりに知らない。それがスマートフォンと呼ばれる文明の利器だと彼が知るのは――もう少し先の話である。

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