第九話-⑤
「そ、そういえば、みなさんは昨夜は大変だったんですよね。その……色々と」
「うん、それはもう、とても大変でした」
特に臭いが。遠い目をして空色の瞳から輝きを失わせつつ零す月夜に、リサも思わず苦笑いだ。あれはキツかっただろうな、という心配が浮かんで見える。
もしかしたら、自分も戦いの場に立つかもしれない。そう思ったリサが直近で発生しただろう戦いの話を聞くために持ちだしてみたのだが、あの悪臭までセットで思い出すはめになってしまった。
「そ、それで、いったいどんな戦いになったのですか?」
臭いについては頭から追い出そう。そんな考えが薄ら透けて見えるリサの話の持っていき方に少し笑ってしまいつつ、宗一郎らは昨夜の武勇伝を語り始める。
陽が沈み、リサが転移で避難した後の話。
暗闇の中を、監視していた建物の中に忍び込んだ一同が、店の地下で繰り広げた戦いの一部始終。
「そういえば、月夜さんが言ってた三下っぽい爺さんって、結局正体は分からないままなん?」
「ああ。あの状況の中でも最初はずいぶんと丁寧な物腰ではあったから、どこかの貴族の執事なのかとは思ったけどな。服装も整ってたし」
「立場的な印象はともかくとして、結構強かったよね。有雨さんはメインクエ一章後半に入った直後くらいの強さって言ってたけど、実際はもうちょっと先の強さっぽい感じはしたかな」
「そうだな、遺憾だが少し手こずったし」
楽しそうにリサの髪をいじりながら話す月夜と、昨夜の戦闘で少々苦戦したことを素直に認め悔しがる縁志。
宗一郎と遥香は戦っていないが、あの老人は思いのほか強さを秘めていたようだ。
「そんじゃ結局、その爺さんの正体は不明のまま?」
揃って頷く月夜と縁志。
唐突に出現した敵は正体不明。しかも有雨曰く逃げ足だけは早かったらしく、彼女をして最後には取り逃している。わざと見逃した線もなくはないが、どうにも不気味さだけが残る相手である。
「せめて、どこから来たのか分かればまだマシなんだけどな」
という、なんでもないような宗一郎の呟きに、なにかを思い出したのは月夜だった。
「――あ、そういえば」
「ん、なにかあった?」
「うん。あの人、確かこう言ってたよ。『此度の遥かなる星界からの旅人はみな実に良い。これならば、アイテールにいる我が主もご満足いただけるでしょう!』って。だからひょっとしたらあの人、アイテールから来た人なのかも」
「ああ、例の貴族国家のか、あり得そうだ」
「アイテールから?」
そこに疑問の色に染まった声を上げたのは割と意外なことに、月夜の手によってツインテールにされたリサだった。
「アイテールに住んでいる人が、外に出てきていたんですか?」
「……だと思うんだけど、リサちゃんにとっては、それが不思議なの?」
「は、はい。アイテールの住民が、国境を越えて国外に出てくるなんてことは、ごく一部の例外を除いてまずあり得ないんです。アイテールの貴族は上から下までみんな、国の外は穢れていると信じているからって」
「……その、ごく一部の例外ってのは?」
「アイテール国内で重罪を犯した貴族が、国を追放されるっておばさんが言ってました。でもアイテールでの習慣は消えないから、もしも外で綺麗な服を着た人が一人でいたら、すぐにそこから離れなさいって言ってました。なにをされるか、分からないから」
「……トールさんが最初にわたしたちがアイテールの貴族かどうかを確認してたの、それかあ……」
「ああ、どっかの貴族かどうか確認してたっけ、そういえば」
河原での出来事を思い出す。
確かにトールは最初に、警戒を露わにして宗一郎と月夜に、そう尋ねていた。あのときの二人は学校の制服で、こちらの世界ではまずありえない品質の服装だった。
「アイテールの貴族は出てこない。もしも外で出会ったら決して近づいてはいけない。たぶん、どこの村でも子どもに教えていることだと思います」
「ヒグマ扱いかよ……」
生きていくうえで必要な知識と教訓として教えられているほど、アイテールの貴族というものは厄介な生物であるらしい。
いよいよもって近づきたくない国家筆頭になったわけだが、例の老人とアイテールの関係は無視できない。
「と、とにかく。アイテールの貴族が国外に出てくることはあり得ない、なんだよね?」
「はい、間違いないです。アイテールには貴族しかいないので、例え執事であっても出てくることはないはずです」
「……それ、外交とかどうしてるんだ?」
「そこまでは……。何かしら方法があるのかもしれませんが、わたしは知らないです」
「まあ、一介の村娘が他国との外交だの政治だのまで知ってたら、それはそれでおかしいもんなあ」
だからいいのですよ、とばかりに慈悲に溢れたなでなでを敢行する宗一郎。気持ち良さそうにされるがままのリサ。そしてすぐ隣でちょっと羨ましそうに宗一郎を見る月夜。彼女もリサを撫でたかったらしい。
「あのう、ちょっと疑問があるんですけど」
おずおずと挙手したのは遥香。
だいぶこのメンバーに慣れたのか、注目されても特に怯みを見せることもなく、遥香は意見を述べた。
「その人、月夜先輩たちが名乗ったから、僕たちが遥かなる星界からの旅人だって知ったんですか?」
「……ううん、名乗るどころか、そもそも会話すらしてないよ?」
月夜の記憶の中では、あの老人とは意思の疎通をほぼ行っていない。一度だけ縁志が皮肉込みで応答しているが、彼との言葉のやり取りはそのたった一度のみである。
よって、それは絶対に間違いなく。
「――あれ? タイミングおかしくないですか? それだとその人、最初から僕たちが遥かなる星界からの旅人だって知ってません?」
その一言は、遥香を除いた宗一郎たちの思考を白化させた。
「つまり、俺たちの素性を知っている上で接触してきたってことか」
縁志は連想で思い出す。そう、かの老人は確かに口にしていたではないか。
〝私は正直、遥かなる星界からの旅人の中でもあなたは、最弱か二番目くらいを想定していたのですが〟
屈辱的だが、だからこそ印象には残っていた。確かにあの老人は最初から、縁志たちを遥かなる星界からの旅人だと認識していたのだ。
「これは、この場で俺たちだけで考える話じゃないな。一度上に戻って、有雨も交えてきちんと話し合わないと駄目だ」
「了解。……そういえば腹減ったわ」
「だね。続きはご飯食べてからにしよっか。リサちゃんと遥香ちゃんもそれでいいかな?」
「分かりました。いいとこまで行ったし、このままお昼ご飯作るの手伝いますね」
「わ、わたしもお手伝いしていいですか!?」
「ありがと~。リサちゃんもいっぱい手伝ってね」
こうして、少しばかりの緊張感に包まれた一同は、昼食や話し合いのためにリビングへと戻っていくのだった。
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