第六話-⑤
「一応聞くけど、他になにかある?」
他の料理まで入れると手間が増えるというのに、月夜は律義に他にリクエストがないか問う。
しかし安心なことに、全員がそれでオッケーを出した。強いて言えば、数名がステーキは遠慮した程度か。
当然リサはクラブサンドだのステーキだのの名称は知らない。似た料理はこちらにも存在していることは知っているが、この場合は単純にリサが都会慣れしていないだけだったりする。
「なんだ、おまえたち。食えるときには食っておくべきだぞ。どうせこれから先、戦闘などで散々なまでにカロリーを消費させられるのだからな。ダイエットなぞもってのほかだ。いまのうちに大量消費に慣れて燃費を良好にしておかないと、いざというときに碌な動きができなくなる」
その圧倒的な熱量に胸やけを起こしただけだ、とはとても言えない一同。
なおパン類だが、宗一郎たちはすでに白くふわふわなパンを作成済みで、イースト菌も充分量を確保済みである。
大工事を終えたあとの一週間で、宗一郎と月夜と遥香は協力し合い、とにかく大量の食材を確保しまくったのだ。
現在は加工や保存方法を研究しつつ、調味料の増産体制に移行しつつある。
「……うぁーっし。そいじゃあお昼作りますかねえ」
「はぁーい」
「うん~」
「お手伝いしますっ」
日本人一行とリサの六人の中で、料理できないほうが実は少数派だったりする。しかもできないのは社会人組で、雑な男飯なら一応作れなくもない縁志と違い、有雨は完璧に外食派だった。
リサは手先は器用だがレパートリーが少ないため、現在は三人のお手伝いをしながら作れるメニューを増やしている最中。
そのまま、ぞろぞろとキッチンが併設されている食堂へと移動する一同。
縁志と有雨は屋敷からこっそりと持ち込んでいたソファにだらしなく身体を預け、キッチンに並ぶ未成年組を見送る。そのシーンだけを切り取れば、完全にダメな大人の構図でしかなかった。
「まだ平気だけど、そろそろ米が恋しくなってくるよなあ」
「だねえ。パンも悪くないんだけど、ご飯とお味噌汁が食べたいよ。卵焼きとかはできるんだけどね」
「焼き魚とお新香もどうにかなりそうなんだよなあ。ただ、なあ……」
「お米、全然見ないよね。大豆っぽいのは見かけたんだけど、あれも滅多に出回ってないみたいだし」
月夜シェフを中心にして色々と試行錯誤を繰り返してはいるが、いい加減、和食が懐かしく思えるくらいには異世界暮らしが続いてきている。
「こっち来てまだ短い僕は、そういう意味じゃまだ幸せなんだなって思う……」
「ひどい、なんて悪い後輩なんだ。そんな悲しいことを言うなんて俺はもう残念でなりませんのでベーコン一枚失敬」
「ちょ、センパイ!?」
遥香が悲しみに溢れた声を出すが、そんな後輩の涙の訴えを華麗にスルーしてのける宗一郎。それでも肉や野菜を切る音のリズムが途切れない辺り、月夜ほどとは言わなくとも割と高レベルの調理スキルを持っているのだと理解させられる。
「あのなあ、宗。そういう話は勘弁してくれ。俺なんてもう三ヶ月は米も味噌も醤油も食ってないんだ。せっかく意識しないでいられたのに、思い出しちまったじゃないか」
キッチンとダイニングは連結している。というより引き戸もなにもあったものではないので、キッチン側の会話は筒抜けになってしまうのだ。
ましてや彼らの身体能力や技能等はかなり底上げされている。感覚値の数値が宗一郎ほどではないにせよ、縁志だって地球にいたころよりは格段に聴力が上昇しているのだ。
そのため縁志は、キッチンで繰り広げられた日本食雑談も見事に拾ってしまっていたのである。
「む。やっぱその辺の食材は見かけない感じ?」
「ああ、ちっともだ。胡椒を始めとした香辛料は見かけるし、かなり貴重だが砂糖の類も見られる。けど、日本食に使えそうな食材ってのは、調べた範囲では見たことないな」
日本食に使えそうな食材を知らないだけかもしれないけどな。縁志は皮肉っぽく付け足すが、実際、市場でも和食に転用できそうな食材はそれほど多くなかった。
「ううーん。いくつか再現はできそうなんだけどなあ。焼き魚とか大根おろしとか」
「それっぽい魚とかちょいちょい見るし、卵焼きも作れるけど……醤油欲しくなるよなあ、それ」
「だよねえ……。市場全部を見たわけじゃないけど、少なくとも大豆とかまだ見たことないよ、わたし」
どんどん悲しみに浸される一同。
現在の状況は、究極的なまでに楽観視すれば海外生活に近い。唐突にシェアハウスに押し込まれてどうにか生活を送っているようなものだ。
しかも日本という国はドマイナーを通り越して皆無な扱いをする世界である。無論、アジア食品店やら日本食材専門店などあるはずもなく。
宗一郎も月夜も、東区の市場で食材を何度も購入してはいるものの、やはり日本食に転用できそうな食材はまだ見ていないのが現状だ。
雑穀もいくらか見つけてはいるし、麦類は市場で溢れている。その気になれば麦飯じみたものは作れるだろうとは見ている。
だが米については、長粒種も短粒種も一切見かけていないし、どの店も取り扱っていなかった。大豆も同じような事情だ。
大根のような根菜類は散見される。実は港がそこそこ近いためか、干し魚などの魚介類を取り扱っている店も少なくない。そちらの方面はなんとか再現できそうなだけに、一層、日本食の主役である米を始めとした食材の皆無さが実に辛い。
「麦があるなら、粉ものくらいはなんとかしてみるかねえ。そのうち港とか行ってみてえところですな」
「あ、ならリサの故郷の村とか立ち寄ったらどう? 確かラベンダー畑があるんでしょう。僕ちょっと見てみたいなあ」
「はい、機会があればぜひいらしてください。おばさんも喜ぶと思います」
そんな風に、食卓事情になんとなく不安を覚えつつも、再び雑談に戻る調理組。
「そうだ宗一郎くん、海が近くて港があるんだったら、かつお節とかダシとか、そういうのはいけるんじゃないかな」
「あ、そうか。ダシがあるだけで料理の幅かなり増やせるもんな」
「調味料関係なら、割とどうにかなりそうだね」
「どうせ兄貴からの要望で酒造りも始めるからなあ。それに合わせて酢作りもできるし、マヨネーズとかいけるよ」
まずは調味料の充実から手掛けていくことにしたらしい。
その後はリサの故郷の話や港町での新たな食材発掘の話題で盛り上がりつつ、本日のお昼ご飯を次々完成させていく。
完成したクラブサンドとサーロインステーキのセットは、肉食獣をして大変満足させ、メニューのひとつとして無事登録された。
◆
来客を出迎えた月夜は、その二人の来客に驚き硬直していた。黒地のシャツの背中側に流していた金色の髪がはらりと流れ落ちるのが、どことなく印象的である。エプロンはピンクの無地。ファンシーだが意外とよく似合っていた。
「……その、突然の来訪、すまない」
そんな、本気で申し訳ない台詞で頭を下げる王太子殿下。
これが相手にするのも面倒な新聞の勧誘だとか宗教のご紹介であったら問答無用で扉を閉めるところだが、さすがにこの国の王族が相手となれば無視できない。
「……よ、ようこそ、いらっしゃいました?」
才媛と言われようと、月夜はごくごく普通の女子高生。律義に呼び鈴を鳴らして出迎えを待つ王族に対する適切な対処法など知るわけもなく。
「ええと、どうぞ、お、お上がりよ?」
普段以上にスッとぼけた応対を繰り出すのだった。
「ふぁれ、殿下?」
キュウリもどきをスティック状に切り分け軽く塩をまぶしたものを咥えながらニンジンを切っていた宗一郎が、面食らいながらレイナードたちを出迎える。
困惑笑みを浮かべていた月夜は、割と平気そうな態度を取っている宗一郎にパスしてキッチンに戻り、客人に出す茶の準備を始めた。
遥香とリサ、縁志の三人は最初の月夜と似たような驚愕を見せている。有雨は流し目でレイナードらを一瞥し、再びなにか書物に視線を落とした。
ますます胸中複雑の一途を辿るレイナードだが、これ以上口を噤んでいても話はまったく進まない。
「まあ、なんだ。こちらにも色々と面倒な事情があってな」
目を逸らさないのは、王太子としての矜持なのかもしれない。しかし気分だけはなぜか遠いものになってしまう。それを察されたか、宗一郎は苦笑いだ。
「まあ、別に来客を断ってるわけじゃなし、自由に来てくれて構わないんだけどさ」
律義なのか素なのか、宗一郎の口調は砕けたまま。もちろんレイナード本人が公の場以外ではそれを許しているし、我が身に降りかかった状況を考えると、むしろそちらのほうが助かるくらいである。
「まず、その人ちゃんとした場所に座らせたほうがいいよな? ……あ、ですよね?」
さすがに、人がいるところで今の物言いはまずいと思ったか、一応訂正してみせる宗一郎。そんな彼の様子を見てレイナードは表情を綻ばせ、嫌味なく鼻で笑う。
「私に対する口調は気にするな、むしろそれくらいのほうが私にとっては新鮮で面白い。先ほども言ったように、公式の場でだけ気を付けてくれれば、私から文句を言うことはないさ。さすがに人として最低限の常識的な礼儀は求めたいところではあるがな」
「まあ、それでいいんだったら」
「ああ、そうしてくれ」
了解と返事して、レイナードが抱き上げている女性をソファの空いている場所へと座らせる。
相手が女性であることを察し、月夜が駆け付けて補助を行う。
「ごめんなさい、世話をかけますね」
「いえいえ、気にしないでください」
レイナードは来訪時から、ある女性を横抱きにしていた。
(……この人)
淑やかで上品な物腰のこの女性は、己の力で歩くことができない。座する動作さえも流麗ではあるものの、重心を定めるまでに一瞬のぐらつきがあったのを、月夜は見逃すことができなかった。
おそらく、腰から下の感覚が彼女にはない。
月夜は表情を速やかに笑顔に変える。余計な心配は彼女の矜持を傷つけるかもしれない。気にしないことこそ、月夜なりの気遣いであった。
「――ありがとう」
耳朶に響く軽やかな声は土鈴のよう。
おそらく自分の思考に気付いたのだと月夜は察したが、それでも表には出さない。座らせた女性も似たような思考を走らせたのか、特に追及することもなかった。
「紹介が遅れたな。彼女は私の姉で、第一王女のアリーヤだ。王女と言うと緊張してしまうだろうが……」
「アリーヤです。どうかわたしへの口調も、気兼ねないものにしてほしいわ。ええ、それこそレイナードに対するソウイチロウ殿のような感じが理想的ね」
レイナードからの紹介に割り込む姉。アリーヤ本人はニコニコと微笑み、弟のレイナードは慣れた様子のため息を漏らす。それだけで、なるほどあの国王の娘なのだと理解した。
「ども、いらっしゃいませ。よろしくです」
そして本当に砕け切った口調を維持する宗一郎。月夜は一瞬驚いて彼に視線を向けるも、そこでまたも気付く。
目が投げやりっぽくなっていたことに。
相手がどれだけ真面目であろうが、品行方正であろうが、あの血筋なのだと悟った顔をしている。
「そいで、いきなりどうしたん?」
口調もどこか投げやりのまま、ここへ来た目的を問う。王族が直接監視という可能性もなくはないが、それにしては第一王女を伴って王太子がやってくる、というのはさすがに不自然に過ぎる。
「ああ。こちらについては、それほど優先度が高い話というわけではないのだがな。まず、なんだ。我が王家の中で最も話が通る家族が姉上であったことと、もうひとつ」
自分の家族に対する感想がそれでいいのか、と突っ込みのひとつも飛ばしたくなる。恐ろしいことに有雨のこめかみが先ほどからひくひくしているので、あんまり積み重なると犠牲者が出るかもしれない。
最有力候補は宗一郎、次いで遥香。肉食の獣方面に怒りが向いた場合、最有力候補は月夜が一気に躍り出る計算だ。
「もうひとつ?」
「ああ。こちらは本当に手が空いたときなどで構わないのだが……。姉上の移動手段を、構築してはくれないだろうか」
おそらく、個人的には優先度を高くしてほしい問題を、レイナードは努めて軽い口調で告げた。
□
豪華な造りの、しかしとても閑静で誰にも見つからないような庭園の端から、木材を加工する音が広がる。遥かなる星界からの旅人に当てられた庭である。
木製の輪を作り、一回り程小さな輪を重ね二重のタイヤとする。ゴムに相当する部分は魔物の素材だ。皮が分厚く弾力性の高いものを、と注文したら、レイナードが一瞬で手に入れてきたのである。
レイナード曰く「なに、私の私財で購入したものだから一切気にしなくていい」とのことで、それを信じることにした。
本来であればタイヤ部分には鉄材を使いたいところではあったが在庫がほとんど枯渇状態であるため、フレーム部分の細長い支え等、ごく一部に使用することに留めている。
「時間が取れたら、きちんとした素材をちゃんと集めて作りたいところだなあ」
という呟きが宗一郎から聞こえる。どうやら彼にとっては、まったく納得がいかない出来であるらしい。声がひどく不満げだ。
助手は遥香、お手伝いは月夜。
月夜の場合、アリーヤのサイズを測るための補助だ。
背もたれや腰かけ部分はクッション性の高い革張り。天然皮革を素材にしている辺り、場所や国次第では高級品な気がするが、彼女は真実、高位の人間である。よって使用先としては正しいので問題はない、と自分に言い聞かせることしばし。
付与魔導で摩擦部分をいじったり、あるいはリクライニングを利かせるために細かい部分をひたすら調整しては睨みつけること、約一時間。
「はいできた。とりあえず乗ってみて、感想とか使い勝手とかどんどん出してくれると助かります」
「これは……すごいわね?」
宗一郎と遥香が披露したのは、少々アンティークな趣のある車椅子だった。
現代日本で見られるような車椅子の基本的構造を取り入れつつも、木製素材がメインのそれはデザインなども相まって高級感に溢れている。
「これに座ってみればいいのね?」
「ええ、どうぞ遠慮なく。月夜さん、ちと手伝ってあげて」
「はーい」
「ほんでえーと……殿下は……」
「レオでいい」
「はいよ。んじゃレオ、ここの取っ手を持って支えてて」
ブレーキをかけ、レイナードに手押しハンドル部分を握らせ支えさせてから、アリーヤに座らせる。
「……あら、素敵な座り心地」
「はは、そりゃ良かった。それで使い方なんですけど」
いつでも補助に入れるように月夜が側に控え、宗一郎はハンドリムで自力移動できること、方向転換の方法、誰か人がいれば後ろから押してもらえること、勝手に動き出さないようにブレーキ装置の位置、その他諸々を簡単に教えていく。
そしてついに、車椅子を発進させる。
「わあ、すごいすごい! 座っているのに、こんなに滑らかに動けるなんて! ねえツクヨ、もっと早く!」
「あ、姉上、さすがに危ないのでは!」
月夜が少しだけ押す速度を上げたりしてリクエストに応え、レイナードが少々慌てて止めに入る中、宗一郎と遥香は少しばかり真剣に彼らの様子を眺める。
「……センパイ。車椅子なんて、レシピにはなかった、よね?」
「ああ、なかった。馬車とか、その辺の部分的なレシピを応用してたけど、そんな別レシピを組み合わせるなんてシステム、少なくともZLOにはなかったな」
「うん」
この車椅子の一件で、特に製造に深く関わっている宗一郎と遥香は理解せざるを得なかった。
本当に、色んな意味で当たり前のことだが。
この世界は、システム外のものも作ることは充分に可能なのである、ということを。
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