第五話-③



「朧さん、ちとまずいかもしんない」


 二人が『根』の奥にまで進行を開始し、順調に雑魚な魔物を打ち倒すこと数十分。突如、宗一郎は真面目の種類を変えた表情を作り、警告を発する。

 宗一郎が前方を歩いていたため、唐突に足を止めてそんなことを言い出した彼に、月夜も釣られる形で足を止めた。


「なにかあった?」


 雑魚とはいえ、魔物相手に油断はできない。まだまだ戦闘に対して素人であると自負しているからこそ、月夜は前衛を担う宗一郎の言葉を真剣に受け止める。

 現在位置は地下二層。目の前には地下三層へと向かう緩やかな下り通路。いまはまだ誤差程度に収まっているが、階を下るごとに確かに、わずかながら魔物も強くはなっているようだった。

 月夜は、想定外に強力な魔物が出現している、という不測の事態を予想した。

 だが、宗一郎が嗅ぎ取った〝まずい〟というものは、もう少し違うモノであったらしい。


「この間の、協会で暴れてた冒険者なんだけどさ、俺、暴れた原因に魔法薬があるかもしんないって言っただろ?」

「うん」


 月夜では分析もできなかったが、宗一郎は多少なりとも当たりを付けていた。彼はその当たりを、毒薬……麻薬に類するものを使用しての精神操作ではないか、と答えていた。

 宗一郎は呪いの可能性も示唆していたが、それは可能性と選択肢を狭めすぎないためのものだろうと推測できる。

 ではなぜ、宗一郎はあのとき、あの冒険者が暴れ出した理由に薬品が関係していると答えられたのか。簡単だ。あの僅かな交戦時間でも捉え切れるような何かしらの特徴があって、それが宗一郎が持つ知識と符合したのだ。

 では、なにと符合した?

 月夜に、そういったことを分析しきれるだけの知識はない。出来の悪い写真よりもよほど精密に再生できる記憶力があっても、有用に使える知識がなければただ切り取っただけの映像にすぎない。

 少なくとも呪い……呪術において精神操作を可とするほど緻密なものはZLOには存在していない。仮に呪術で何かしらの薬品を作ったところで、せいぜいが普段よりも恐怖心を煽るだとか、焦燥感を一層強く感じさせるだとか、そういった原始的なものに終始するのが月夜の持つゲーム的呪術の知識だ。

 今回はそのどれにも当てはまらない。

 となると可能性はもう一つ、宗一郎が示唆した魔法薬のほうになる。

 そこまで考えが行き着いた月夜を肯定するかのように、宗一郎は振り返ってから人差し指の先で自分の鼻先に触れた。


「そんときの冒険者が漂わせてたのと、同じ臭いがこの先からする」


 宗一郎が今度は親指で指した先は、地下三層へと繋がる下り坂。

 なるほど確かに、まずいかもしれない。

 月夜はそこまで察して、整った顔を嫌悪に染めた。


「……いると思う?」

「十中八九、いるだろうなあ。一人なのか複数なのかまでは分かんないけど、まあ偶然の線はないだろ。もしかしたら、なんかの実験かもって可能性はあるけど」


 だが、そんな危険物が一度は街中で使用されているという事実がある。隠すつもりなど最初から皆無であるか、もしくは質の悪い薬物が流行りだしているのか。

 ――あるいは、冒険者を狙ったか。


「……やめとこうか。もともとこれ以上は深入りできないしね」


 昇格試験用の特別依頼であっても、地下二層以降に潜ることは禁じられている。確かに嫌な予感はバリバリしているが、今回は特に用事がある場所でもなく、そもそも行ってはならないという口実がある。

 触らぬ神に祟りなしという先人たちから受け継いだありがたい教えに従って、二人は揃って回れ右。実に見事な百八十度回頭を見せたところで、戦闘と連携訓練の続きか、もしくはそろそろ戻ってご飯の準備を考えようとした、ときだった。


 ZLOには感覚値と呼ばれるステータスがある。基本的には五感の強化であり、視覚ならば動体視力や視野角の広さ等、視力に関わる能力が強まる。味覚であれば無味の毒物の識別さえも可能とする。例えば、要人に出される食事の毒見役を任されるクエストなどでは、このステータスにより成功判定に対して有利に働く、などという関わりを持っていた。触覚であれば高ければ空気の流れを察し人の気配を捉え、嗅覚であれば今回の宗一郎のように特定のニオイを捉えやすくなるということも可能とする。

 聴覚であればもちろん、例えば、より遠方から響くかすかな音を捉え認識し、識別することも可とする。


 超人じみたステータスが後付けで付与されている以上、二人の聴覚がその音を拾わない、という選択肢を選ぶはずもなく。


「朧さん、聞こえた?」

「……もうばっちり」


 拾ったのは男の怒号。逃げやがった、どこ行ったあのクソガキ、絶対に見つけだせ。定型文過ぎていっそ芸術的なそのやり取りを聞きつける二人。トール宅の屋根裏にあった怪しい壺のような出来の悪さに、宗一郎と月夜は同時にため息をつく。


「ごめん榊くん、いいかな」

「俺も似たような気分だから、大丈夫」


 月夜がベルトに差した刀に手をやりながらの問いに、宗一郎は彼女の意図を理解する。宗一郎も同じ気持ちだった。

 両者は頷き合ってから、地下三層への下り道を疾駆する。

 幸か不幸か、追跡できるだけの性能はもう、二人とも備えていた。



 こうして予定外の出来事により、今代の神薙カギであるリサと宗一郎、月夜は出会った。さらに言えば、本来であれば星屑の間に降臨するはずだった紲遥香もなぜか出現場所を違え、そして逃走するリサと遭遇している。

 話を一通り聞き終えた有雨は露骨にため息を吐いてから、実に様になる仕草で空を見上げた。


「色々と思うところはあるが、まあ、これも因果とかいうものなのだろうね。助けに行く理由にしては実に青いが、なんだ。そのおかげでこちらにも色々と収穫があったのも確かだからな」


 吐き捨てるようなぞんざいさで、有雨はそうのたまう。言葉の意味がよく理解できなかった宗一郎たちは、ただ首を傾げるばかり。遥香に至っては話の半分も理解できているかどうか。


「とにかく、概要は理解した。そういう流れであったのなら、君たちがリサと遭遇するのは必然だったのだろう。ところで宗一郎。君、連中から血液サンプルを回収していただろう。あれはどうするつもりだ?」


 そこまで見てたんかよ、とか、物理的にどこから見てたんだよ、とか思うところは色々あるが、いま話をそちらに持っていっても煙に巻かれるのがオチだと察し、宗一郎はやや不承不承ながらも理由を打ち明ける。


「あー……ちょい前に、東区の冒険者協会で冒険者が暴れてたって話は聞いてます?」

「聞いてる。……なるほど、君たちが噛んでいた事件だな?」

「知ってんのかよ……。まあいいです。とにかくその暴れてた冒険者を抑えたときに、妙な臭いを嗅いだんです。んで、リサに絡んでたあの連中からも同じ臭いがしたんで、あとで解析でもしてみようかなと」

「それで? もうその解析は終わった?」

「いやまだっす。一応保存できる環境だけは手元にあったんで、いまはそん中に入れて保存中。あとでそれなりの道具でっちあげて、とりあえず対策だけでも取りたいなってところで止まってますね」


 宗一郎たちが遥香とリサを救出してから今日まで、まだそれほどの日数は経過していない。その短時間で解析しきれていたのならそれはそれで驚異的ではあるが、時間と物質、その両面でまだ対応できなかったという。

 しかしそれは時間と道具さえあれば、この少年はこの異世界において血液検査まで実現し得る能力を持っているということでもある。

 しかも、話はそれだけではない。

 もしも予想が的中しているのなら、目の前の少年は是が非でも手元に置いておきたい人材だ。


「……話は変わるのだけど、宗一郎、月夜。君たちが腰に差しているその刀、それはどこで手に入れた? 少なくとも、モノの取り扱いに優れている南区の土産屋でも、私は一度しか見たことがないんだが」


 趣味ではないが、あること自体は知っている。だが西区で作っている工房はなく、普遍の象徴じみた東区では取り扱っている場所などあるのかどうかさえ不明な代物である。


「榊くんに作ってもらいました。わたしが彼にお願いして、材料集めから一緒に」

「ふむ」


 想定以上だが、予想の範疇内。

 なによりも大きいのは、宗一郎も月夜も、同じ遥かなる星界からの旅人であるということだ。

「なるほど。今この場で必要なことは充分に聞くことができた。なにより、君たちが私たちと同じ旅人であるということが大きい」


 何かしらの考えをまとめたらしい有雨の言葉にしかし、まったく理解が追いつけない高校生組。リサに至っては、割と最初から話についていけなかったためか、横でお茶の準備などしていた。


「あの、こっちからも質問、いいですか?」


 挙手しながらの月夜からの問いかけに、会話の主導権を握っていた有雨が頷くだけで了承とする。


「あの戦い、半分は有雨さんが誘発させたって言ってましたけど、それはどういうことなんですか?」

「ああ、それほど難しい話じゃない。要は国際的な問題の話だ。君たちはリサの立場と能力についてはもう聞いているか?」


 即答気味な有雨の応答に、月夜は反射的に頷く。

 神薙と呼ばれる稀有な力。この世界で唯一、遥かなる星界からの旅人と直接的な接触を許される能力。旅人が最初に降りてくる場所とされる宝王大樹マグナパテルの根元にある星屑の間の開閉権。月夜は他にもまだありそうだなと推測してはいるが、最初に旅人と接触できる力の持ち主というのは、この世界ではそれだけでも大きな権威を持ち合わせているだろう。


「過去、単独で今も続く技術大国を興した人物さえいるのが、遥かなる星界からの旅人だ。すべての記録を洗ったわけではないが、私が知っただけでも例外なく、旅人全員が何かしらのずば抜けた能力を保有している。そういった稀有な人材と真っ先に接触できる能力者だ。当然、どこの国も欲しがる」


 言われてみれば確かに、神薙を押さえてさえおけば、旅人たちと真っ先に接触できる可能性を手元に引き寄せられるのは間違いない。自分たちの関係者で囲んでおけば、天才性を確実に帯びた人間を、自分たちの国に最初に誘うことができるというのは、それだけでも大きい。


「大樹国家マグナパテルは永世中立を謳ってはいるが、外交を捨てたわけではない。大使館その他はすべて南区で集中管理してはいるが、送り込まれてくるスパイなんかは当然いてね。横から旅人を掻っ攫おうと、いまも目を光らせているというわけだ」


 それは、誰かを害してでも、というニュアンスが多分に含まれていた。

 遥かなる星界からの旅人は、星屑の間から出てしまえば見つけることは困難だ。これだけ種族に溢れている世界なら、どのような形をしていようと群衆に紛れてしまえば見分けが付きにくい。


「……じゃあ、リサちゃんを攫おうとしたのは」


 一番最初に、確実にそうだと言える状況で接触してしまえば、あとはどうとでもなる。


「そういうことだ。縁志と私はリサに出迎えられているんでね。それだけ接触もあれば、当然情だって移る。そしてそれ以上に、妙なものにつけ回されるのは趣味じゃない。だからそういった問題児を釣り上げるために、きちんと話し合った上で護衛役を買って出た。手口を知るために攻撃をわざと食らってみたんだが、そちらはお粗末だったな。あとは、やつらの逃走経路を確認するために追っていたんだが……」

「そこに、わたしたちが割って入った、と」

「そうなる。まあ、結果としては悪くないどころか上々だろう。経路の特定はそれほど難しいことではないが、同じ旅人の能力は運次第だ。それを早期に確認できたことは大きい。……それにしても月夜、君は頭の回転がかなり早いな」

「ど、どうも」


 有雨はやたらと満足そうに頷いてみせる。キャリアウーマンな姿からして、優秀な人材や部下を得られたことに対する満足感のように見えて、月夜はなんとなく複雑な気持ちになる。

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