第三話-②
時間差で昼食を終え、食休みを穏やかに過ごすこと約三十分。和やかな時間は一人の人間が訪れたことで終わりを告げる。
時間の終わりは、痩せぎすの男という形をして現れた。
「やあ、休憩中だったかな」
「もうそろそろ終わりって感じだったんで、別にかまねーですけど」
「そうかい、ならよかった。いやしかし、本当に助かったよ。事務方としては即日に機能を復旧してくれたのは実にありがたい限りだった」
痩せぎすの男は、冒険者協会の事務長という立場にある人物だった。
「それに酒場もね。今も実に盛況だよ。ああそうそう、料理長なんかは、ツクヨくんにはぜひ永久就職してほしいと嘆願書を用意しようとしているらしいね。はは、大人気でなによりじゃないか」
「お気持ちだけ、いただいておきます」
事務長の冗談じみた言葉に、月夜はそれだけをすげなく返す。月夜と宗一郎は、この街に死ぬまで住み続けるつもりはない。
理由までは聞かされていない事務長だが、彼も冒険者協会で働く身。冒険者というものに身をやつす彼らが一定箇所に定住することなどないことくらい、よく理解している。なので彼は、ひとつ笑うだけで流した。
「さて、協会が二人に依頼した任務の期限は一週間、つまり今日が期日だ。そして僕は、君たち二人は依頼を十全にこなしたと考えている」
二人が座るテーブルの横で、事務長がやや大仰な仕草で任務完了の旨を伝える。
そのままの流れで事務長は自分のための丸椅子を持ち、二人の前に座った。
「ツクヨ君の提案通り、西区の偏屈な工房や周辺の料理店から応援を依頼するよりも、よほど安く済んだよ。手の空いている婦人方に厨房に入ってもらうという提案も、とても見事な発想だったね」
「ある程度は手順を教えてありますので、あとは協会側で雇っていれば酒場側は問題ないと思いますよ」
酒場側も協会職員が運営していたことを考えると、新たな雇用を生み出し、厨房を任せられるというだけで大きな余裕が生まれた。一週間という日数は、事務長を中心にして事務方が急遽対応するはめになったからである。
月夜の補足に、事務長はうんうんと満足そうに頷く。その事務長の目の隈が濃くなっていたり、頬がさらに骨ばったりしているのは気のせいではないだろう。だがあえて触れない二人。
「ソウイチロウ君の協会の修繕・改修作業も言葉もないほど見事なものだ。まさか素材と道具だけで、新築と見まがうほど修理してくれるとは思わなかった。職人というモノは基本的には偏屈な物体だからねえ。面倒な交渉を省けたのはとても大きかった」
「はあ、そりゃどうも」
「小物や文房具類の新調もね」
おそらくその点が事務長にとって最も嬉しかったことなのだろう。声が弾んでいる。
「さて、先ほども言ったがこれで協会からの依頼は達成された。よって、これから話すのは報酬の話だよ」
「あれ、報酬額はすでに取り決めていたはずでは?」
月夜の確認に、事務長は笑みの度合いを深めてその点についての補足説明を始める。
「ああ、報酬額が変わるわけではなくてね。単純に額が額だから、ただ貨幣をまるごと渡すわけにもいかないだろう?」
その指摘を聞いて、二人は同時に「確かに」と納得する。月夜が交渉し決定された依頼の成功報酬はかなりのものとなっている。マグナパテルの貨幣経済は基本的には硬貨で成立しており、紙幣の類はまだない。そのため、報酬の金額次第ではとんでもない量の硬貨を渡されるはめになってしまう。
「本来であれば、よほど上級の冒険者じゃない限り、一度の成功報酬でこんな金額を渡すことはないのだけれどねえ」
言いながら事務長は、小さな羊皮紙をテーブルの上に滑らせる。記載されている数字は四桁。単位はもちろんルクス。
「さすがにここまでくると、金額の規模が大きすぎるからね。なので二人には、専用口座の開設を勧めに来たんだよ。商工ギルドの口座とも紐づけできるからね」
宗一郎と月夜は顔を見合わせ、即座に口座開設を決定した。事務長もすぐに頷いてみせる。どうやらすでに口座開設の準備だけは進めておいたらしい。代表して月夜の口座に振り込むことを伝えてきた。
「それで次に、ツクヨ君から頼まれていた話だけどね、どうにか条件に合う場所を見つけてきた。と言っても、協会職員専用の接ぎ家だから、ずいぶんと狭いし二人住むのでやっとな物件だけど」
「間取りはどんな感じなんです?」
「間取りは、寝台を置くのがやっと、という程度の広さの部屋が二つ。不浄場は共同で浴室なし。料理台はあるけどかなり小さいね。そこそこ古いから好きに弄っていいそうだ」
なお接ぎ家とは日本でいうところのアパートとほぼ同義であり、不浄場はトイレのことを指す。
「キッチンがあるならまだ平気かな……。部屋二つってことは、間に壁があるんですよね?」
「当然だよ。ただ音を防ぐ効果はほとんど期待できないから、住むならそこは覚悟しておいてほしい、とのことだね」
「榊くん、大丈夫そう?」
「そこは全然平気。好きに弄っていいってんなら、広さは変えられないけど防音とかはどうにでもなるから」
「なら、わたしはこの物件でいいかなって思うんだけど、どうかな?」
「朧さんが大丈夫なら、俺は平気」
「さすが、協会をあれだけ立派に修繕してくれた職人だね」
と、話の流れで賃貸物件の契約を完了させる二人。これで、一週間過ごしたトール家の屋根裏部屋ともお別れとなる。
片付けた直後からトールの一人娘であるミュルンがよく遊びに来ていたのだが、以降は彼女の部屋になることが確定していた。
そのため、設置してある間仕切り壁はすぐさま取り外せるように細工が施されていた。
「ではそのように取り計らおう。このまま頑張っていけば、君たちならすぐにでも本部にも出入りできるようになりそうだね」
本部とは、中央樹マグナパテル内部にある、冒険者協会本部のことを指す。
そして冒険者協会本部とは、大樹国家マグナパテルのみならず、この世界の冒険者協会加盟国すべてに設置されている協会支部の一切を取り仕切る、冒険者たちの憧れの場所だ。同時に、強者を必要とする場所であり、世界最大の厄介ごとの集積地でもある。
月夜と宗一郎も、現時点での優先度はそれほど高くはないが、その協会本部への入館資格を得ようと考えている。少なくとも今ではないし、条件それ自体もそれなりに難易度が高いわけだが。
「よし、これで東区支部事務長としての用件は終わりだ。それで、ここから僕個人の興味についてなんだけどね」
「例の冒険者が暴れた理由、ですか」
「そう、それ」
話題が切り替わり、事務長の目が鋭くなる。
月夜と宗一郎が制圧した、暴漢と化したあの冒険者。彼は本部から派遣された冒険者に回収され、現在は市街病院ではなく、錬金術ギルドの特殊観察対象研究室に収容されている。
「彼は確かに外聞がよろしくない人物だった。協会から注意をしたことは数知れないし、捕縛経験もある。しかし……」
その口調から、少なくともこれほどの事件を起こしてしまうほどではなかった、ということが察せられた。
「正直、わたしはよく分からなかったんだけど……」
一瞬ではあるが、交戦した月夜は特に異常というモノは感じ取れなかった。というよりもあの冒険者が暴れていること自体がすでに異常事態であったので、そこまで気を回す余裕などなかったのである。
「榊くんはどうだった?」
交戦時間は月夜と大差はないが、それでも感じた部分は違うかもしれない。そんな望みをかけて宗一郎に問う月夜。
月夜からの問いを受けて、宗一郎は腕を組み目蓋を下ろして唸る。姿勢そのままで悩むこと数分。
「毒物で精神操作でもしたか、もしくは妙な呪いを受けたか。俺が思い当たるものっつったらそんくらいだけど、現状で断言はできないっすね」
宗一郎がもたらした回答はそのようなものとなった。
「ふぅむ……。毒物で精神操作というのは、実際に可能なのかい?」
「んー、使う毒物というか、薬物次第。興奮作用……じゃねえな、幻覚作用のある薬物でも使って洗脳じみたことをすれば、似たようなことはできるかなと思いますけどね。もしくは魔導……魔法薬かなんかと併用したか、かな」
魔導という言葉はこの世界にもあるにはあるが、一般的ではない。そもそも、宗一郎と月夜が使っている魔導という言葉は、ZLOプレイヤーたちのスラングである。いわゆる魔力というものを使用して神秘的現象を引き起こす魔法というものは、ZLOでは使用難易度によって低位のものを魔術、高位のものを魔法と呼び分けている。しかしそれでは呼称で混乱してしまうため、いつしかまとめて魔導と呼ぶようになった、という経緯があるのだ。なお、公式が逆輸入している。
とにかく、宗一郎の暴漢に対する考察はそういったものとなった。
「そうか……。まあ、現状では錬金術ギルドが原因を究明しているだろうし、あそこに収容されていること自体が充分な罰になるだろう。少し気にはなるが、これ以上調べたところで意味は薄いだろうね。分かった、ありがとう」
納得は行かないが一応、一定の理解を示す。事務長の見せる態度はそのようなものだった。確かにあの暴漢は怪しい点が満載だが、直接調べるには手が足りない。検体となりえる張本人はすでに錬金術ギルドの深奥だ。事務長がそこにいるだけで罰になると言っている以上、扱いもそれなりなのだろうということは察しが付く。
「さて、では僕はこの辺で失礼しよう。接ぎ家に関しては僕が責任をもって対応しておくから、君たちは休憩時間が終わり次第、受付に回って地図と鍵を受け取ってくれ」
「分かりました。……ああそれと、家賃は報酬から三ヶ月分ほど引き落としておいてください」
「了承した。といっても、今の君たちの所持金からしてみたら家賃三ヶ月分と言ってもせいぜい
疲れた笑みを浮かべながら、事務長はそう言って去っていった。
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