ゾディアック・ライナー

蒲焼うなぎ

序章

序章-①

 高度四万メートル。この場所は成層圏の中でも熱圏に近く、地球ではスカイダイビングの世界最高記録の高度を記録している空域であり、実際にこの高さから人が落ちている。

 ここまでの高さとなると、母なる星の姿がはっきりと見える。実際、高度四万メートルともなれば空はほぼ闇……いや、宇宙色であり、地球は青く輝き雲が散りばめられ、陸地は地図を俯瞰しているかのような錯覚に陥るだろう。

 そういった景色は異世界でも同じであったらしい。

 そして、惑星としての構成が同じであるからこそ重力が発生し、物体は万物等しくその影響を受け、落下する。

 地球人には発生以降、二十一世紀に入ってもなお、自力のみでの単独飛行に成功した記録はない。

 付け加えれば、とてもとても当たり前の話ではあるのだが、酸素などほぼない。よって呼吸など絶対に不可能。

 これらの情報を統合すると。


「ぅおわあああぁぁぁぁぁああああああ!?」

「っきゃああああああああああああああ!!」


 入念な下準備を整えた上で、意図して落ちることを落下というのなら。

 宇宙服も酸素ボンベもなく、ブレザー主体の学校の制服しか装備していない高校生が高度四万メートル上空に突如出現した場合、それは落下ではなく墜落と呼称すべきである。

 さらに言えば、墜落速度は音速を超える。生身でそんな領域に突入したら最後、空中で弾けてミンチになるよりほかにない。

 恐ろしいことに現在、さかき宗一郎そういちろうおぼろ月夜つくよは空気摩擦により赤熱状態にある。二人とも恐怖のあまり抱きしめ合って墜落中であるが、そこに性を意識させるものはなく。むしろ生どころか死と向き合ってる状態だ。よって自身の状態を確認する余裕などなく、赤熱しているなどとはまったく気付いていない。

 強風が耳朶を打ち、正面にある惑星がぐるぐる回っている。その惑星の大きさが三秒前と全然違う。

 思考が爆散する。姿勢制御がおぼつかない。目尻から流れる涙が肌から離れきる前に蒸発していく。

 空が水色に着色されていく。その様子を見た宗一郎は、千切れる思考の中でなんとなく月夜の瞳の色を連想した。

 歯を食いしばり、宗一郎は無意識に月夜の背と頭を包み込むように抱きしめる。音速を超えた墜落速度なのだから、意味はないかもしれない。よってこの行動は、ただの反射に過ぎない。

 どうにか自分の身体を月夜と地面との間に割り込ませることに成功した宗一郎は、あとはもうどうにでもなれと自棄気味に構える。数秒後、二人は異世界の大地に着弾した。



 その日、宗一郎は妙に体調が悪かった。

 いや、妙に、という表現は正しくない。宗一郎は、自身の体調不良の原因を正しく理解しているのだから。

 なので現状が少々気まずくある。

 言ってしまえばこれは自業自得なので、そこまで心配してもらうようなことじゃないのだ。


「榊くん、本当に大丈夫? 無理してない?」

「う、うん。大丈夫無理してない。というかその、別に体調不良ってわけでもなくてさ」

「でも、顔色悪いよ?」


 寝不足だから。

 そう白状しようか迷う宗一郎。

 心配してくれるのは非常にありがたい反面、授業から離れて保健室に向かうには理由に正当性が皆無であることを自覚している宗一郎としては、クラスメイトに無用な心配をかけている現状をどうにも心苦しく感じてしまうのだ。

 一瞬だけ視線を横に流し、隣を歩くクラスメイトを一瞥する。

 相変わらず、日本人としてはぶっ飛ばした容姿をしている彼女とは、事務的なものを除けば会話したのは今日初めて、というくらいに接点がない。なのでこう、宗一郎としては会話に困る相手だ。

 クラスカーストでも底辺を自覚する宗一郎にとって、クラスを飛び越えてスクールカースト最上位に位置していそうなこのクラスメイトの隣にいるという時点で、できるだけ触れたくない相手。自意識過剰などではなく現実的な事実として、変な誤解を受けることもあり得るのだ。なんであんなのが彼女と一緒に歩いているんだ、という種類の。

 飛び抜けて美人な存在で、自分とはまったく接点を持ちようもないという高嶺の花。それが、いま宗一郎の隣を歩いている朧月夜という少女だった。

 ただなんとなく、変に気を使ったり妙な遠慮をしてみせるのは、彼女は好まなさそうな気がする。そんな根拠レスの考えを頭によぎらせた宗一郎は、正直に答えることにした。


「……単純に、ゲームに夢中になり過ぎて寝不足になっただけでさ。だから心配されるようなことじゃないというか。つまり……その、巻き込んでごめん」


 後頭部を掻いてから一瞬の間を置いて、頭を下げて謝罪する宗一郎。そんな彼を見て、隣を歩いていた月夜は、空色の瞳をぱちぱちと数回瞬かせた。

 まだ年の瀬も迎えていない年末間近。

 身を切るような寒さが勢力を増してきた最中の、隙間のような小春日和。不思議な暖かさに包まれながら、月夜は宗一郎に疑問をぶつける。


「……ううん、大事じゃなかったのならいいんだ。でも、寝不足になるほどだったの? 榊くんって、その辺は真面目にやってるって印象があったんだけど。そんなに面白いことがあったの?」


 彼女の評価は、それほど間違ってはいない。ゲームに夢中になるお年頃の宗一郎ではあるが、その辺の分別はしっかりしている少年だった。事実、宗一郎が授業中に居眠りをして指摘されるなど、彼女の記憶にはなかった。

 だからこそ、その指摘に宗一郎は困惑する。

 なにせ自覚するほどカーストの底辺だ。というかオタクだ。やり過ぎて寝不足になってしまう程度には、今プレイしているゲームに夢中になっている。

 絶対に早口になる。

 そして目の前のクラスメイトは、そういうものにあまり興味を示さないタイプにしか見えない。今時まったくゲームに触れない人間なんてそうはいないだろうが、少なくとも自分のような泥沼に飛び込むような真似はしないだろう。

 リア充だなんて妬むつもりもないし、そもそも相手の私生活などまるで知らないのだから、そこはどうでもいい。

 ただなんとなく、宗一郎は月夜がそんな話に興味を持つこと自体を珍しく思った。

 彼女にはあまり似合わないが、少しくらいはサボってもいいんじゃないか。そんな考えが頭をもたげる。

 変な誤解を、とは思うが、今はまだ授業中。それももう階段に差し掛かっているので、話し声が他の教室に届くこともまあ、ないだろう。


「うん、かなり。ちょっとゲーム内で作るのが難しいアイテムを作るのに成功してさ。オンラインゲームだから、他の友達とテンション上げながらやってたから、眠気吹っ飛んじゃって」

「へえー。なんてゲーム?」

「ゾディアック・ライナー・オンラインっての。よくZLOズィーエルオーとかゼロって呼ばれてるよそのゲーム」


 綴りは違うんだけどさ、と補足しながら説明を始める宗一郎に、耳を傾けていたクラスメイトの少女は驚きを露わにした。


「ZLO!? ほんと? わたしもやってるよそれ!」

「え、マジで? ……え、マジで?」


 一度目は聞き流し気味に、二度目は意味を理解し、結果的に同じ問いを発する宗一郎。


「あはは、やっぱりそんなイメージじゃないよね」

「あーいや……まあ、うん」


 朗らかに笑む月夜の様子に、答えに窮する。そのまま肯定するのはどうかと思うし、否定はまったく意味がない。結果、曖昧な態度に落ち着いてしまう。

「サービス開始直前くらいにね、友達から誘われたんだ。アンタはちょっと真面目すぎるから、息抜きの仕方くらい覚えなさいよって言われて」

 階段を降り、宗一郎が一つ目の踊り場に着いたところで月夜は少し照れ気味にZLOのプレイ動機を口にする。

 トン、と宗一郎に続いて踊り場に下りる月夜。


「やってるよってことは、今でもプレイしてるんだろ?」

「そうだよ。といっても別に最前線で戦うわけじゃないし、どっちかっていうと生活系のほうが楽しいから、そっちに集中しちゃってるんだけどね」


 へへ、と笑いながら自身のプレイ状況を語る月夜を見る。そんな笑顔を、宗一郎は見たことがなかった。


「十二宮にはそこまで興味ないんだ。機会があれば見てみたいな、とは思ってるんだけどね。榊くんは、どこまで進んでるの?」

「俺も生活系寄りだから、攻略は全然。メインクエストは第一章終わらせたところで止まっててさ。そこからもう寄り道ばっかり」

「あー、分かる、すごい分かるよ。ちょうどあの辺から出来ること増えるもんね」


 跳ねるような仕草で、宗一郎を追い越すように踊り場から一段、二段とゆっくり下りる月夜。

 その、なんでもない仕草すら優美に見える月夜の所作を見て、宗一郎も合わせるようにゆっくりと階段を下りて月夜の横に並ぶ。

 いつの間にか、宗一郎は最初に感じていた居心地の悪さが消えていることに気付く。

 ただ、居心地悪く感じていたことを知られるのは少し後ろめたくあったので、間違っても言葉にはしない。もしかしたら、聡明な彼女は宗一郎のそんな態度にもしっかり気付いていたのかもしれないが。

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