第五章:人と民と

招集命令

 翌朝、いつもどおり朝食を食べ終えた頃、カーラがやってきた。

 赤い外套を纏い、少し複雑そうな顔をしていた。

「招集命令なんだけど、さて、どうしようかしらね?」

「しょう……しゅう?」

 紅茶の入った木杯を持ったまま、ミズガルドが怪訝そうな顔をした。

「これ」

 カーラがぴらっと羊皮紙を取り出す。トスティナはよく判らなかったのでただ首を傾げた。

「――王からの招集命令よ。ミズガルドと、トスティナにね」

 そのまま――首を傾げたまま――トスティナは動きを止めた。

(おう……さま?)

 足元で猫が、にゃあ、と鳴いた。



 もはや何が起きているのか判らなかった。

 自らを包む煌びやかなドレスも、隣に立つ正装姿のミズガルドも、そして目の前の――王も。

 トスティナには何ひとつ理解できなかった。

 服装も意味が判らない。なんなのだろう、この身を包むドレスは。白と黄色の布地で作られたドレスは、スカート部分がやわらかな薄い黄色のオーガンジーで彩られていて、その下は幾重にもフリルを重ねた白。その下から黄色のパニエがチラチラと顔を出す。胸元には黄色のコサージュが付けられていた。こんなものはもちろん、着たことがない。半ば無理矢理カーラに着せられたのだが、どう動けばいいのかすら判らない代物だった。

 状況も理解出来ない。どうして一介の庶民であるはずの自分が、こんな場所にいるのだろう。王宮の、しかも謁見の間だ。赤い絨毯の上でトスティナとミズガルドは膝をついていた。いくつか段を登った先に玉座があり、そこに一人、男性が座っている。

 そして何より――謁見している『王』が理解出来ない。

「久しぶりだね、ティナ」

 にこにこと、玉座で笑みを浮かべているのは知った顔だった。

「ユ……ウさ……」

 金髪に、端正な顔立ち。身を包むのは高価な服――玉座に座っているのだから当たり前なのだが。

 あの湖水の畔で逢った青年だった。

「あ。ごめんよ、ティナ。僕は本当はユークリッドっていうんだ。ユウのままでいいけどね」

 パチリとウィンクを飛ばされ、混乱と恐縮で泣き出しそうになってしまう。縋るように隣を見やると、ミズガルドは頭を垂れたままだった――が、微かに見える横顔が、苦虫を噛み潰したような表情だ。

「いい加減顔あげれば? ミズガルド」

「……恐縮です」

 心底嫌そうな声で応えながら、師は顔を上げる。

 満足そうに、ユークリッド――現グレシス国王は笑った。

「ティナは、記憶が戻ったって? 地の民の噂は本当だったんだね。美しい陽の光の髪が見れなくなって残念だけれど、その夏草のような髪も神秘的でよく似合うよ」

「え……あ、は……」

 どう応えればいいのか全く判らない。えうえうと妙な音が口から漏れるだけだ。

「あ、ごめんよ。唐突で。いやほら、僕王様だからね、そういう情報は頑張れば手に入れられちゃうんだ」

 無邪気な子供のように、さらっと告げる辺りが何故か怖い。

「でね。今日君たちを呼んだのはお願いごとがあったのさ」

「お願い……ですか?」

 ミズガルドはむすっとした顔のまま会話をしようとしないので、トスティナは恐る恐る問いかけてみる。

「うんそう。まずは、ティナ君に」

 反射的にぴん、と背筋が伸びた。

「地の民の生き残りがいて助かった。和平を結びたいんだ」

「――和平……?」

 目を瞬く。

 それはマイセルと真逆の申し出だ。

「利用するようで申し訳ないけれどね。僕はこんな馬鹿馬鹿しい休戦状態なんて長くやっていたくないんだよ。くだらない。起こってもいない戦に、休戦状態っていうのはどれだけ予算を割けばいいんだか。ま、それはそれとして。楽しくないでしょう? お姫様」

「えっ……ええと……そ、その、せ……戦争は、いや、です」

「うん。だから考えて欲しいんだ。それからミズガルド」

「……はい」

 至極面倒くさそうに、ミズガルドが返事をした。

「宮廷魔法師に戻らない?」

「辞退します」

 即答だった。判っていたのだろう――ユークリッドはにこにこと笑みを浮かべたままだ。

「あ、そういえば言ってなかったの? ミズガルド。ティナ驚いてるよ?」

「言いません。必要がない」

「ちょっとくらい話せばいいのに。ねー、ティナ」

「えっ、えっ、あ……え?」

「僕とミズガルドって、昔は仲良かったんだよ。ま、歳が近かったんで僕が懐いてたんだけどね」

 くすくすと、懐かしそうに言いながらユークリッドが笑う。

「さて。どうかな、ティナ。地の民の代表として、この国と和平を結ぶ口上をして欲しいんだ」

 この――国。

 ざっと脳裏を過ぎったのは赤だった。赤い炎。赤い熱。赤い兵士たち――赤くて怖い、人の波。

 カタ……と小さな音が聞こえた。それが、自らが震えているせいで靴がたてた音だと気づいた頃には、カタカタカタ、と際限なく音は続いていた。

「――ティナ!」

 ぐっと肩を掴まれる。ミズガルドだ。

 それは――あの時の少年だ。

(こわ……い!)

 思った瞬間、振り払っていた。

「いやっ!」

「ティ……」

 ミズガルドが息を呑んだ。そして――風が雪崩込んだ。


「ミズガルドォ、ティナァ!」


 悲鳴だった。

 それはあの風の少年にはとても似つかわしくない――悲鳴だった。

 唐突に部屋に現れたアグロアが、縋るようにミズガルドにしがみついた。その様子に、王座からユークリッドが立ち上がる。困惑したまま、ミズガルドが口を開いた。

「……も、申し訳ありません、王。無礼な風で」

「いや、気にしないよ。風はどこにでも吹く。――どうしたんだ?」

 アグロアがはっと、顔をユークリッドに向けた。その横顔が、今にも泣き崩れそうになっていた。

「アンタァ、王様か。人の王様か」

「この国の王だよ」

「こンのうすらとんかちが! アンタァ、戦争やんねェんじゃァなかったのかよォ!」

 さっと、ミズガルドとユークリッドが同じ速さで顔色を変えた。トスティナ自身も、全身の血がざっと沈み込むのを感じた。

「民と人との戦は終わりにしたいと僕は思っている。――何があった。風の子よ」

「アイツが……」

 震えながら、アグロアは叫んだ。

「マイセルが来たんだ、赤い軍団引き連れて! オイラの、オイラたちの風の村がァ……!」

 ミズガルドが唇を引き結んだ。アグロアは、縋りつくように――もう一度、叫んだ。

「助けてくれよォ、ミズガルド、ティナァ!」

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