第三章:真実の足音
魔法薬の練習を始めましょう
「魔法薬は、魔法の中でも面倒くさいジャンルではある」
ミズガルドが、仕事道具である幾つかの透明な容器をピンと弾きながら話していた。
「薬草を探して、煎じて、それに魔法をくわえて変質させ、変質したものを調合し、また仕上げとして魔法を施す。正直面倒以外の何物でもない。ただ、通常の魔法に比べて利点が多い。判るか?」
「えと……効果が持続しやすい?」
「それもある。特に病気なんかはな。長期的に効くものでないと意味が無いし。あとは単純に、取り扱いが簡単になる。薬の形なら、一般人でも扱え、さらに持ち運べるからな」
ミズガルドの講義に、トスティナはこくこくと頷いた。
魔法の講義は、毎日午後一で行われる。しかし今日はどういうわけか、午前中にミズガルドから声をかけてきた。初めて仕事部屋に入れてもらい、トスティナは様々な道具が並べられた部屋を見渡した。本や薬草、道具、と所狭しと並べられているせいで、地震一つで色々壊れそうではある。
「さて。……とりあえず、やってみるか」
幾つかの道具と材料を机に並べ、ミズガルドは「ティナ」と呼びかけてきた。論より実践。いつのまにか、ミズガルドとトスティナの間にはそういった空気が生まれていた。ミズガルドの教えに従い、トスティナは真剣に取り組んだ。
そして――
ぱんっ! と爆発した。
がしゃんっ! と何かが倒れた。
ひゃあぁっ! と悲鳴が上がった。
それらすべてを、少年の笑い声が包み込んだ。
「アハッアッハハハハ、ひぃ、すンげェなァティナ!」
「アアア、アグロア、笑い事じゃありませんー!」
半ば涙目になりながら、トスティナは両手をぱたぱたと振り回した。空中で腹を抱えて盛大にぐるんぐるん回りながら笑っているアグロアが、その動きだけでまた笑っている。
その前で師はといえば、ただ静かに瞼を下ろし、不機嫌そうな顔で黙り込んでいる。
ぽた、ぽたと。
師の髪の先から、幾しずくか透明な液体が垂れていた。今しがたトスティナが爆発させ、ミズガルドが頭から引っ被った魔法薬(出来損ない)だ。
その成果は、現れている。
「……君は、俺が嫌いなのか?」
「とととととんでもないです!」
泣きそうだった。その言葉自体も痛いが、何よりトスティナは目の前の惨状に泣きそうだった。それが、己が招いたものだということも含めてだ。
木だった。それはどう見ても木だった。
ミズガルドの黒髪の上、そう高さはないが、太く濃い色をした幹と白い葉をつけた木が生えている。
――ミズガルドの頭から、確かに木が生えていた。
「俺は成長剤を教えたはずだったんだがな……」
「わた、わたしもそれを教わったはずで……した」
「うひひっ、ひー、いンやァたぶん成功はしてンだぜィ、これ」
笑いながらアグロアが言うので、トスティナは恐る恐る彼を見上げた。
「せい……こう?」
師の頭に木を生やしておいて?
「だっと思うぜィ。この木、パッセの木だしねィ」
「ああ……」
ミズガルドまでもが苦々しげに頷いたので、トスティナはきょときょとと二人を見比べた。
「パッセですか?」
「パッセの木サァ。青いちっちぇ花を咲かせンだけンど、今の時期、ちょうど種子飛ばしまくってンだァねィ」
「外に出た時についたんだろうな。……くそ」
「ごごご、ごめんなさいっ」
「……、いや、仕方ない」
苦虫をまとめて噛み潰したような声で呻かれても、説得力がない。しょぼんと肩を落としたトスティナの前で、ミズガルドはのっそりと動き出す。その瞬間、ごっ、と鈍い音が部屋に響いた。
「せせせせんせいいい」
「ひぃ、ひぃ、アンタ今、ノッポなんだから気ィつけなッてェ」
戸棚に頭から生えた木を盛大にぶつけたミズガルドが、ゆっくり、ゆっくり、息を吐いた。
「……薬を作る。成長を解くものを」
「作れンのかィ?」
「……ルーシャの実があればな」
ざっと辺りを見渡し、眉間に皺を寄せたまま低く呟く。
「ないのかィ?」
「切らしてる」
「わっ、わたし採ってきます!」
「待て。落ち着け。今の時期にあるか馬鹿」
呆れた声を出された。それから、ミズガルドは天井を睨む。その拍子に、木が後ろにあった棚を殴ったがもう気にしないことにしたようだった。
「風」
「はィよォ?」
「カーラに頼んでくれ。持ってきてくれと。街なら売ってるだろう」
アグロアがきょとんと首を傾げた。
「頼むくれェなら、オイラだって街まで行ってもいいけンど、カーラの姉ちゃん、今日なんか会議とか言ってなかったっけかァ?」
あ、とトスティナは小さく声を上げた。カーラと最後に会ったのは一週間ほど前だが、確かにその時に言っていた気がする。ミズガルドも思い出したのだろう、また小さく嘆息した。
「せ、先生。あの、わたし買ってきます……!」
「一人では行くな」
「え」
一瞬言葉を失ったトスティナの前で、ミズガルドは軽く口を手で覆い、アグロアに目をやった。
「アグロア。頼めるか」
「えー。アンタ自分で行けばいいじゃねェかァ」
「俺は」
何かを言いかけ、ミズガルドはそこでふっと言葉を切った。
「先生?」
「……俺は行けない。これではな」
これ、と頭を指される。
「う、うう。えと、あの、伐採……? 剪定……? して、いけばその」
「そういう問題じゃない」
「相変わらず街は避けるねィ」
アグロアの言葉にトスティナは目を瞬かせた。
「え? 先生……街はお嫌いですか?」
そっと問いかけるが、ミズガルドは答えない。トスティナはどうしていいか判らず、そっと足元を見つめた。
口を噤んだ二人を見て、アグロアが盛大にため息を吐いた。
「ったく、しゃーねェのなァ! 貸しだぜィ、お二人さん!」
言うなり、空中でアグロアがくるんっ、と回転した。同時にぽんっと軽い音がして、足元に再度近づいてきていたはずの栗鼠たちがまた一斉に逃げ出した。その床へと、ふわっと少年が降り立った。
瞳の色はいつもと同じ藍色で、顔の造形もいつもどおりだ。ただ、普段なら眩しいばかりの白髪が栗色に染まっており、服装も、いつものやや珍妙な涼しげな格好ではなく、普通の人と同じような格好だ。
「……ア、グロア?」
「へっへーんっ、似合うかィ?」
「すごいですー! 似合いますー! どうやったんですか!?」
「幻視だろう」
と、答えたのはミズガルドだった。顰めっ面のまま、続ける。
「本質が変わったわけではないが……簡単に言えば、見る側を錯覚させる魔法だ。一般的に民は得意とされている」
「せいかーいッ。ま、ちィっと面倒くせェんだけンどなァ、ま、同士の為なら仕方あんめェ」
「同士ですか?」
「ん、そこのわがまま坊ちゃんのことサァ」
にっと、アグロアが笑う。
「こンなら、街に行けるぜィ。ティナと行ってくりゃァいいかィ?」
「一人で」
「オイラァ、アンタらの金とかよっく判んねェぜィ?」
「い、行きます行きますわたし行きます! いいですよね、先生!」
振り返ると、ミズガルドは苦々し気な顔のまま、はぁ、とため息と共に頷いた。
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