第4話

 髪を切り意気揚々と自宅に向けて歩きだしてはや二時間は経過したのではないか?


 手に持ったスマホは充電が切れて、ただのポケットの重りになっている。

 おかしい。俺はこんなにも方向音痴では無かったはずなのだが?



 辺りは既に暗くなり、電柱の住所表記も見たことない地名になっている。

 しかもまだそんなに遅い時間でもないのに誰も歩いていない……


 ヤバい。俺はこのまま朝を迎えなくてはならないのか?


 道迷いに気づいたときは下手に先に移動せず元の道を戻る。沢には降りずに尾根に登れ……あれ? 違うな、それは山道での話だ。


「誰でもいいからいてくれたら助かるんだけどなぁ~」

 その時、公園の中から話し声? うめき声? のようなものが聞こえてきた。


「誰かいますかぁ?」

 声と音のする方に近づいてみると、ボロを着た男が女性に覆いかぶさってなにかしている様な状況にぶち当たった。


 暗くてよく見えないが、女性の口を男が押さえて声が出ないようにしているのが分かった。

「ヤバい!」


 俺は何も考えず、一直線に男の元へ走り出し、その勢いのまま男の横っ腹を蹴り込んだ。

「ぶべらっ」


 的確に蹴り込む前に足音で気づかれてしまったために充分なダメージを男に与えられなかった。

「大丈夫? とりあえず後ろに隠れていて」


 女性を俺の後方へ逃がすと、ヨロヨロと立ち上がってきた男と対峙する。


 余りきれいとは言えない格好に破れたズボン。右手にはナイフ……ではないな。デカイ。包丁か?


 素人が包丁を振り回したってまともに当たりっこないが、どう見てもあの包丁は小汚いのでバイキンとかソッチの方が数倍危なさそうだ。



 俺は頭の中で、やつを最低の手数で確実に仕留めるように脳内シミュレートを行う。

 面倒なことに男は半狂乱状態なのでどう動くかの予測がつけづらい。だから尚の事手数を減らし、やつになるべく近づかないで済むようにしたい。


 やつは俺に近づきながら包丁をブンブンと振り回している。次の瞬間やつは大きく右手の包丁を振りかざし、やつの正面にいる俺に向かってそれを振り下ろしてきた。


 チャンス。


 やつが包丁を袈裟懸けさがけに振り下すのをぎりぎりで避け、包丁が最下点に達する直前のがら空きになった腹に思いっきり俺の右拳を打ち込んでやった。


 やつは身体をくの字に曲げ、右手に握っていた小汚い包丁を手から離した。

 ポスっと軽い音がして包丁は芝生の上に落ちる。


 俺の右膝を叩き込むのに丁度いいライン上にやつの顔面がやってくる。俺はやつの後頭部を両手で押さえる。ペトっと手が汚れる……


「いらっしゃ~いい!」

 ゴン、ぐじゅ‼


 俺の膝がクリティカルに当たり何かが潰れる水っぽい音の後にドサッとやつが倒れる音が続く。


 誠治父さんの『実践! 暴漢に襲われた時講座』……教わったのは四年ぐらい前だっけな? 中一の坊主に教えることじゃないと思ったけど、まさかこんなところで役立つとは思いもよらなかった。





 さて、三十六計逃げるに如かずということで、警察が来る前にとっとと逃げます。悪いことはしていない、たぶん、だけど面倒はゴメンだからだ。


「お嬢さん立てるか? って、あんた。何やってんの?」


 先程この俺がぶっ倒した野郎に襲われていていたのは、つい二時間ほど前に俺と別れたばかりの鈴原だった。


 うなだれて動く気力もないのか、ぼうっと俺を見つめ返すだけ。

「っったく! 仕方ない」


 辺りに落ちていた鈴原のバッグとスマホなど身元に繋がりそうなものは全部回収して、俺は鈴原を背負って暗闇の中に走り出した。




 二〇分も走ったところで俺も息切れしてきた。遠くの方でパトカーのサイレンが複数聞こえてきたので、あの野郎は警察にちゃんと回収されることだろう。


「君方くん、ごめん……ごめんなさい」

「いいって。あんたが悪いわけじゃないだろう? 悪いのは全部あいつ」


「うん。でも……ごめんなさい」

「ふう、まあ良いや。で、申し訳ないが、一体ここはどこで、俺の家……えっと、富士見原ってところなんだけど、どっちに行けば良いんだ?」



 ショック状態で歩くこともままならない鈴原をおぶったままやっとのことで自宅玄関のドアをくぐる。


「どぅあ~ つ、ついた……今何時? って、一〇時かよ」

 まずは鈴原をリビングのソファーに座らせて身体の状態を確認する。


 ショックを受けているのは仕方ない。四肢の傷や他に痛むところはないか尋ねる。

 肘と膝に擦りむいた傷があったので、消毒して薬を塗っておく。やつになにかされる前で本当に良かった。


 鈴原はとりあえず大丈夫そうなので、俺は自分のケアを片付けてしまうことにする。


 怪我はちょっと擦りむいた程度なので消毒だけしておけばいいとして、着ているジャージを処分しないと誰かに俺の姿を見られているかもしれないし、膝部分にはやつの血液がしっかり付着している。


「あ~ もったいない。まだ新しいジャージだったのに……」

 ハサミで切り刻んで、紙袋にいれて月曜日の燃えるゴミの日に処分してしまおう。


 手足も洗って、リビングに戻ると鈴原はさっきまでの青い顔から赤い顔に表情を一変していた。


「ま、まさかどこかに傷を追っているのか⁉ 発熱があるのか!」

 慌てて駆け寄ると鈴原はものすごい勢いで後退あとじさる。


「?」

「ふ、ふ、服を着てよ! バカ!」


「へ?」

 別に全裸じゃないし、ボクサーパンツ穿いているじゃん。プールとかで見かける格好と大差変わりないじゃん。


「い、いいいいいから何か着てきてよ!」

「まじかよ。服の入ったダンボール箱ってどれだっけなぁ……」


 未だ開封していないダンボール箱に服が仕舞ってあったと思うのだけどそのダンボール箱の在処ありかがわからん。


 寝室とリビング、リビングから今は使っていない空き部屋を何往復かしてやっとロンTとスウェットのパンツを見つけた。

 ちな、ロンTは緩衝材代わりに皿を包んであったやつだ。




 部屋に鈴原を待たせてマンションの目の前のコンビニで夕飯になりそうなものを買ってくる。夜の一〇時じゃまともな食事など期待できないがおにぎりと菓子パンが幾つか買えたので良しとしておく。


「ほら、食え。食わないと精神的にも保たないぞ。経験者が言うんだから間違いない」

「……うん。ありがと」

 暫く無言で美味くない食事を楽しむ。


「なあ、教えられる範囲でも構わないからあんたに何があるのか言ってくれないか?」

「ももか」


「ん?」

「私はじゃない。萌々花って名前がある」


「ああ、済まない。鈴原」

「も・も・か!」


「……も、萌々花。それで何があったんだ?」



 萌々花の家は所謂母子家庭ってやつで、母親は夜仕事に出ているとのこと。水商売ってやつだな。

 隣の市の繁華街にあるキャバクラでホステスをやっているので、夜中すぎまで帰宅することは無いそうだ。


 親が家にいないからって外を一人で彷徨うろつく理由にはならないが、それについて問うても答えたくないようで萌々花は口をつぐむ。


 無理して話して貰うこともないし、聞く必要も無いだろう。所詮しょせん他人の家庭事情だ。

 俺だってあの時間まで外を彷徨いていたのだから他人の行動をとやかくいう資格はない。

 俺の場合は迷子だったから、恥ずかしすぎて絶対に言いたくないだけだがな。



「時間が時間だから歩けるようになったら送っていくけれど、萌々花のウチはどこなんだ?」

 もうスマホの充電もバッチリなのでマップ機能でスイスイどこにでもいけちゃうぞ。


「私の家なんて無い。私の居場所はもうどこにもないんだもん」

 ……えっと。どこかで聞いたセリフですね。

 聞いたのでは無いですね。かつての俺が吐き出したセリフですね。なんだか嫌な予感……


 萌々花は真剣な目をして俺のことを見つめてくる。


「君方くん。あなた、ここに一人暮らしよね? 親御さんは見当たらないし、家具とかを見ても家族がいるようには見えない」

「ま、まあ……そうだね。ひとりだね」


「お願いがあるの。君方くん、わたしをここに住まわせてください。なんでもするから……君方くんはわたしのことを好きに扱っていいから、ここにわたしをおいて……お願い」



 俺って、今日初めて会った同級生の女の子から泣きながら土下座されてお願いされるようなことを何かしたっけ?


 俺は昨日ここに引っ越してきたばかりだけどこっちの方ってこういうのが普通なのかな?

 違うよね?


 何でもするって言われても俺は家事一般全部最低限のことぐらいは出来るしなぁ……

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