ユートピア

こうえつ

第1話 彼女がいない時間に僕は全て失う

「おい、荒垣」

 打ち合わせが終わるまで待っているようにと、なじみの編集長に言われて二時間、居眠りをしかけていた僕にやっと声が掛かった。


 僕は荒垣真一。四十二歳。フリーのルポライターで、昨年病気で彼女を亡くしていた。

 前厄、本厄とはよく言ったものだ。本当に僕は死ぬところだった。いや死んでいたようなものだ。


 彼女を亡くした時、僕は何も感じなくなった。数ヶ月してから気がついた。何を食べても美味しくない。面白い話のオチが分からない。怖い話もホラーも怖くなくなった。僕も彼女を亡くした時に死んだのだと思った。だから何も感じないし、何も欲しくないのだと。食事はハンバーガーか牛丼で十分だった。映画にもドラマにも心は全く動かなかった。


 一年が経った今でもそれは変わっていない。今日も夕飯は牛丼だろう。心が死んでも身体は、食え、寝ろ、遊べと、要求してくる。 


 高級な中華料理や分厚いステーキを食い、夜の繁華街で女を見つけては、大枚をはたいてセックスする。けれど全ては同じだった。同じ味、同じ匂いだった。ステーキと牛丼の違い、昨日と今日の女の違い、どちらも分からない。


 ただ一つ、その後に訪れる眠りだけがありがたかった。疲れきった身体はそれ以上何も求めなくなり、僕は何も考えず眠ることができた。その時だけは安息を感じる。なぜなら悪夢を見なくて済むから。夢で見る彼女と過ごした日々、楽しかった思い出……、それは眠るのが嫌になる悪夢だった。


 そんな最悪な日が続いても僕の身体は生きている。そして少しずつ慣れていく。彼女がいない時間に。

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