三つ編みとロング
鈴原日々木
短編 三つ編みとロング
「君は他人に対して説教をしたことはあるかい」
場所は神保町の雑居ビルの屋上に構えられたビアガーデンの一角である。
黛ヒカリは僕に対して問いかけた。
「あまり記憶にないですね。説教はするよりされる方が多いです。刺々しい印象を持たれるし、しなくて済むなら誰もしたくないんじゃないですか」
「そうかな」
「最近の若者は割とそうだと思いますよ」
ふむ。
と言って黛さんは手を顎に添えしばし黙った。
風が強く吹き、鼓膜を叩く音が聞こえる。黛さんの黒く長い髪が風に吹かれて、髪の先が吹流しのようにゆらゆらと揺れた。
どうやら台風が近づいているらしい。
「『最近の若者』とは随分と刺々しい言葉を使うじゃないか。私も十分その中に入っていると思うけどね」
黛さんは手元のビールを傾けながらニヤニヤしている。彼女にはこうやって他人の一挙一動を引用する癖がある。
「別に黛さんがどうこう言っているわけじゃないですよ。ただ、僕を含めた二十代前半の人間がそうってだけです。」
「なるほど。いやはや、揚げ足をとって悪かったよ。」
きちんと頭を下げる。悪いことをした様な顔をしている。演技派である。
「ということは、だ。君たちは人に対してストレスを与えたくない優しい奴らってわけだ。素晴らしいね、二十代前半。」
「そうですね。全員が全員ってわけではないですし、その行動は別に優しさに起因してるってわけではないですけど」
僕が話し終わるや否や黛さんは破顔した。
ハッハッハッハと大きく笑い、そのまま残りのビールを飲み干す。
「何が『そうですね』だよ。全否定じゃないか」
何が面白いのか彼女はもう一度大声で笑い、その流れで店員さんを呼び出しビールを注文した。
「実際に人と話したり、行動を共にするのは確かに楽しい時がありますけど、大なり小なり疲れます。多分そこがネックです。説教ってことは、他人の何かを否定するわけでしょう。それは僕ら的にマナー違反です。」
クックックとまだ笑いが堪えきれていない黛さんは空のビールを口にしながら僕の目をみる。
「随分と自分達のことを客観的に言うじゃないか。悲観的ともいう。この後はその分余った承認欲求がインターネットに向かってるとか論じそうだ。」
僕は目の前のフィッシュ&チップスからフォークを引き抜き、黛さんに向ける。
「性格が悪い」
彼女はただでさえ大きい目をわざとらしく更に広げてパチクリした。
しばしの沈黙の後、また黛さんは大声で笑う。
「悪かったって。それでも話してくれる青年は優しいなあ。」
手に持ったジョッキを脇に置くと、彼女は半身をずいと乗り出してきた。
「で、だ。それならさ、相談に親身に乗ってやったり、友人の悩みを一緒に考えて解決してやったりすることはないの?他人に干渉するって点では同じでしょ」
んん。難しいことを言う。
「ないことはないですけど」
「それならその理屈は通らないよね」
「何というか、そこで他人に不快な思いをさせるかってのが肝要なんです。」
「快と不快、ねえ」
ニヤリと口を歪める彼女の元にビールが届いた。黛さんはそれをぐいと飲み、満面の笑みである。
「わかりますよ。快も不快も人によります。それに相談や悩みの解決って基本的に相手からの要請があってから成立することじゃないですか。主体的に他人の領域に踏み込む様なことがよくないんです」
「なるほどな。善悪か。わかった。私の意地が悪かったよ。すまんな、青年。」
んじゃあさ、と黛さんは続ける。
「私の問いかけの続きを話そう。奇しくもつながる形になるけど、他人のために考え抜いた言葉にしろ、説教にしろ、適当にいった妄言にしろ、何かの間違いで他人の心に届いたとしよう。その時、そいつの心は揺さぶられる。色々なパターンが考えられる。助言の内容に心打たれて感謝をしたり、はたまた見当違いだと失望したり、あまつさえ自分の嫌な部分を言い当てられて不快になるかもしれない。逆に説教でも真に相手のためを思ったものなら相手の胸を打つかもしれないよな」
「それはそうですね」
どうやら本当に話したい話題に移れたらしく、もう黛さんの手はビールジョッキを持っていない。先ほどまでグラスを持ち上げていた左手は、今や空中で身振り手振りの道具と化している。
「仮に、だ。その内容に一点の違いもなく、置かれた境遇に差異のない2人の別人がいたとしよう。その2人に青年が全く同じ説教を垂れたとする。その時2人の反応も全く同じだと思うか?」
「いや、それはないんじゃないですか。あるかも知れないですけど、可能性はゼロに限りなく近いです。人によるし、僕との関係性にもよります。」
黛さんはパチっと指を鳴らしてこちらを指さす。
「その通りだ、青年。そう。『人による』んだよ。ただし、関係性には全く寄らない。」
黛さんはニコニコしながら左脇の下から二本目の手を生やし、その手でビールジョッキをもう一度掴んだ。
「厳密には人の心による。魂ではないことに気をつけるんだ。知っての通り、人の心はうつろうものだ。心と体は繋がっていて、そこを脳が中継している。耳から入った情報は脳に送られ処理される。その部分の演算に、心が影響を及ぼしているんだ」
「そしたら関係性も心に関係しません?対峙している人間によって心のありようも変わりますよ。」
「いや、違う。」
喉仏に増やした口にビールを流し込みながら、彼女は器用に話し続ける。
「そう考えると楽なだけだ」
一本だけ生えた右手で彼女は人差し指を立てる。右目を大きく開け、左目を細めて、皮肉ったように僕を見つめると、表情を変えずこう言い放った。
「っていう嘘。ちなみに私は酒に酔うと説教をする癖がある」
「酷え。」
そう言って僕は手元に置かれたカルピスで喉を潤して、遠目に見える三省堂書店を見つめた。
「本屋に行った方が有意義だったかな………」
「そんなことを言うな青年。君は立派な教訓を二つも得たじゃないか」
「一応聞いてあげます。一つ目は何ですか」
「私と遊ぶ時酒を飲まないと痛い目にあう。」
「二つ目は?」
「酔っ払いにまともに取り合うな。痛い目を見る」
最低である。
黛さんはケタケタと笑うと右脇の下からも腕を生やして、計4本の腕をピンと伸ばして僕を指さした。
「君は真面目だな!!」
元気にそう言うと、両サイドに生えた腕を二本ずつ器用に使い、自慢の長い黒髪を同時にいじり始めた。
「君はもしかして私のことを、酔っ払ったのをいいことに年下の男にクダを巻く面倒な女だと思っていないかい」
テーブルを挟んで向こう側にいる彼女は、急に真面目な顔をしてこちらを見つめた。相変わらず四本の腕は長い黒髪をいじっている。どうやら三つ編みを作っているようだ。
「今この状況を的確に言い表していると思いますけど。その言い分だと違うって言いたいんですか」
「ああ、違うね」
随分自信ありげに言う。
「そもそもだよ、青年。私が君に会いにきているんだ。何もないはず、無いだろう。」
極端に芝居がかった口調でそういうと、すかさず二本の右手で指を鳴らした。
「………」
無言で睨み返しても、彼女はポーズを崩さない。こちらも一歩も引く気は無いのでそのまま無言を貫く。
「………」
………ウインクされた。仕方なく口を開く自分に少し嫌気がさす。
「………最後会った時も似たような感じで拉致られた気がしますよ。しれっと五年ぶりに現れて、『よし、飲みに行くぞ!』ってのは、いささか説明不足じゃないですか。そりゃ、適当に遊びに来ただけだと思います」
全く、本当に、訳が分からなくて、
「こっちだって、少しは動揺してるんです」
すると黛さんは照れたように笑って、いつの間にか結び終わった三つ編みをブランコのように弄っている。
「そうかい、そうかい。それはなんというか、悪いね。酒を飲む以外に人とのコミュニケーションができないんだよ。真面目な雰囲気に耐えられない」
それにねえ、青年。黛さんは続ける。
「『歩く足には泥がつく』んだよ。街に出たなら、幸運にも私に出会って酒を飲みに行くことくらい起こり得る。目の前で起きることを、ちゃんと見て、享受するんだ」
そう言うと、喉元の二個目の口が開いている部分が膨らんで、拳大の
こちらはロングヘアーのストレートである。
「すみません!生もう二杯!」
新しく生えた頭は横を向いて店員さんにそう言った。急に吹く強い風。バタバタと音を立てる頭の上のパラソル。雨はまだ降っていないけど、いずれ振り出しそうな空模様である。
そんな大荒れの天候と似て、黛さんも随分混沌とした姿だ。両腕(と言って良いのか?)は肩と脇の下から2本ずつ生え、首はオルトロスのように二股に分かれ、その先には二つの同じ頭がついている。しかし完全なシンメトリーという訳ではなく、唯一髪型だけが異なっている。右が長い三つ編み、左がストレートのロング。
2対の瞳は僕を捉えると、にこりと微笑んだ。
「さてさて」「さてさてさて」
「「さてさてさてさて」」
左と右からのステレオで、話題を次に促される。
「こんな風にさあ、こうしたいなあ、って少しでも思うと、そうなっちゃうんだよ」
えへへ、えへへ。と同じ顔が違う髪型で、シンメトリーに頬をかいた。
「『同じく境遇の全く同じ二人』、ですか」
「そうそう」「そうだよ」
「「多分そう」」
自分でも確証がないらしい。本当に、適当な人だ。
「最後に声を合わせるのって、『ザ・たっち』みたいですね」
黛さん達は、頬をかいていた手を止めて、一瞬黙る。
二対の両目が僕の両目と交わった。
二人が同時に口を開く。
「「いや、マナカナ」」
たまらず僕は吹き出した。
「あはははは、モデルいるんですね」
黛さん達もつられて笑いはじめる。
「フハハハハ、ごめんごめん。私も昭和の生まれだからね、ついつい挙動の癖はその頃のテレビに寄ってしまうんだ」
三つ編みの黛さんがそう言うと、ストレートの黛さんも続く。
「あんまり信念なくキャラ付けをしてしまったよ、すまないね」「いやあ、安直すぎた」
「「恥ずかしいなあ」」
笑いすぎて目から溢れた涙を拭いながら二人ともヒーヒー笑っている。
気づいたら体は完全に別々になっていて、目の前には髪型だけ違う一卵性双生児のような二人がいた。
「まあ、今回は、こういう運びになった。」「体は二つになったけれども」
「「私は私だ」」
よろしく頼むよ。と言って、黛さん達は立ち上がった。三つ編みの黛さんが伝票を持つと、二人並んで出口へ向かう。今回はここまで、ということらしい。
次はいつ会えるのだろう。明日また会えるかもしれないし、また五年は会えないかもしれない。
一生会えないのは、やだなあ。白昼夢のような人、ないし人たちだった。
嵐はとうとう本調子になって、僕は暴風雨の中カルピスを啜る。
やっと運ばれてくる二本のビールジョッキと新しい伝票。ビールは苦いから苦手だ。苦手なものからは逃げたくなくし、大体いつも逃げている。
大人になって、苦手なものから逃げる権利が与えられた。
いや、逆か。逃げられるようになって、初めて大人になった気がする。そして気づいた。逃げても割とどうにかなる。取り返しがつかないことは、殆どない。
ただ、もう一つ気付いたのは、逃げた先にも苦手なことは転がっているということである。前門の虎、後門の狼ってほどではないが、人間はどこに行っても好ましくないものと対面する運命にあるのかも知れない。歩く足には泥がつくのである。
故に、権利というならば、なにに挑むか決める権利こそ、大人に与えられたものなのだろう。
そんなことを頭の中でこねくり回して、僕はビールジョッキの取っ手を掴んだ。よく冷えたガラスと水滴が僕の手を迎える。それは台風直前、湿気に満ちた大気の中で、存外心地の良いものだった。
ぐいと持ち上げたジョッキを口元に運び、勢いよく喉に流し込む。口の中に広がる苦味は、喉を駆け抜ける炭酸の清涼感と対照的に、じわりと口の中に広がり、控えめに言って最悪だった。
「うええ」
もう二度と飲まない。
初め、黛さんに飲まされた時もこんな感じだったなあ。と思い出した。
「お困りのようだね!青年!」
口腔内の感覚に辟易して俯いていると、正面から竹を割ったような声がする。
「なに、ちょうど酒が飲みたい気分だったんだ。貸してみな!」
そういうと正面に仁王立ちをしているポニーテールの女性は、腰に左手を当て、右手でジョッキを持ち、勢いよく飲み干した。…他人の酒を。
「悪いね。初対面なのに奢ってもらって」
しかも奢ったことにされた。なんて女だ。
「僕のだったんですが」
失礼なやつには毅然とした態度を崩してはいけない。なぜならつけあがるからだ。しかし、彼女の顔を見ると、自然に口元が緩む。結果、目だけ睨みを聞かせて口元は笑っているアンバランスな表情になってしまった。
「それもそうだな、青年。しかし君は随分飲みずらそうにそのビールを飲んでいたじゃないか。とてもじゃないが、もう一杯飲めないだろう。それに表情も………気持ち悪っ。なんだその表情。顔の上下で担当してる脳みそが違うのか?」
「マジで失礼な上に口悪すぎませんか」
ブハハハハハ、とポニーテールを揺らして笑う。見た目と笑い方のギャップが大きすぎる。
「良いねえ。気に入った。青年はこんな横柄な女が急に来ても目を逸らさないのか。見た目にそぐわず豪胆な男だね。これはテストだったんだよ」
横柄な自覚あったのか。それになんのテストだ。絶対に後付けだろう。
「まあいい。気に入ったのは本当だから。名を教えてくれ。今日は飲み明かそう。」
ポニーテールの女は顔を緩めると、右手を差し出してきた。どうやら握手を求めているらしい。
「こっちの了承取らないところまで同じなんですね」
「…?なんの話かな」
今度はなにが起こっているのか、皆目検討がつかないが、どうやら朝まで退屈しないようである。
「なんでもありません。こっちの話です」
顔に浮かんだクエッションマークが消えない女の手をとり、僕は握手をした。
「人の名前を聞くなら、自分からじゃ無いですか?」
そうか、それもそうだな。と言って一対の目を僕に向けて名を名乗る。
「黛カオルだ。全ての酒が好きだが特にビールが好きだ」
うん、そうだろう。それも全て知っている。
僕は今どんな顔をしているのだろう。頬は緩んでいそうである。
「それで、青年。君の名前は?」
僕は彼女に名前を告げた。
暴風雨の中、慣れない酒を飲む。
「ビールより、カルピスの方がうまいです」
気づくと、三省堂書店の向こうに晴れ間がさしていた。
<続かない>
三つ編みとロング 鈴原日々木 @ryryrymyg
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