絵談

桜 仁

第1話

 いやあ、久しいね。たしかあんたとは‥十年、二十年いや四十年。そうだぴったり四十年だ。懐かしいな。四十年前は良かったな。戦争、はあったけれどもそこまでひどくなかったろう。家族も友人も顔が明るかったし街もにぎやかでどこも栄えていたじゃないか。ああ、昔話が長くなってしまった。申し訳ないね。コーヒーでも飲むかい。砂糖とミルクはたしか入れなかったよな。なに、入れる?時が過ぎればそんなに好みが変わるものかい。えーと、ミルクと角砂糖が4つかい。ええ、そんなに甘いのが飲めるのかい。そんなのコーヒーとは言えないね。ああ、すまない。価値観や味の好みは人それぞれだな。すまんね、歳を取るとどうもひねくれてしまって。え、気にしない。いやぁ、優しいなぁ。あ、もしかして味の好みが変わったのはバロニアの影響かい。バロニアは超がつくほどの甘党だもんな。バロニアもなにか飲むかい。確かバロニアはコーヒーではなく紅茶だったな。ミルク、は、いるよな。角砂糖をいくつ入れる。3つかい。おいおい、お前は、バロニアよりも砂糖を入れるじゃねぇか。そんなんだと太るぞ。え、気にしない?幸せなこった。こんなきれいな奥さんがいて。あれ、もしやとなりにいるのはバロニアとの子かい。歳はいくつだい?十二、十二か若いな。たくさん冒険しろよ。私みたいな老人だと歩くのもやっとだからな。さて坊や、何を飲む。コーヒーかい、それとも紅茶かい。ん、ミルク?ほぉー、はちみつも入れてくれと。なるほどなるほど。3人とも、少し待っていておくれ、湯を沸かし、ミルクを温める時間を私に与えておくれ。いやぁ、本当に時がすぎるのはあっという間だよ。あ、そうだ。先日、部屋の整理をしていたら、ちょうど四十年前の日記が出てきたよ。え、なんで掃除なんかしていたのかって。失礼な、私だって掃除くらいはするよ。だがねぇ実を言うと引っ越すんだよ。この家を出ていくのさ。戦前からずっと住んでいて、たくさんの思い出もあるって言うのになぁ。嫌でも訳があるんだよ。戦争が終わってこの国は負けた。それで景気が悪化する。というのもまだ甘い。本当に地獄の底をつくくらい悪くなったんだ。戦争が終わってから三十年近くたった今でも景気は回復する兆しが見れないんだ。それで、なかなか、安易にお金が手に入らなくてねぇ。ここに住める分のお金がもうないんだ。半年後には、ここを出ていくよ。おっと、すまない。少し脱線してしまったね。昔は脱線なんてしなかったんだが。何の話だったかな。ああ、そうだ。日記を見つけたという話だったね。ときにバロニア、君は四十年前、僕をフッたんだ。三年間付き合っていた僕を。四十年前の二月だったかな。確か日記に書いてあるはずだ。あの頃は日記を書くのが習慣だったからな。今こう見返してみると案外面白いものだ。今は歳で指先が震えてしまってまともの字すらかけない。えーっと、バロニアが私を振ったのは二月の十、九。二月十九日か。当時の私はものすごいショックだったんだろうね。この日だけ字がとてつもなく汚い。まったく、恥ずかしいものだ。お前たちが結婚したのもこの日だろう。そうだ、きっと私は道を間違えたんだ。そのまままっすぐハンドルの向きを変えずにまっすぐ突き進んでいたらそのまま結婚できたろうに‥。ええい、やめだ。過去を嘆んだりするのは良くない。お、水が沸騰したようだ。ミルクも温まっているだろう。もう少し待っていてくれ。角砂糖を探すから。普段私は角砂糖なんてめったに使わないから、少しばかりホコリを被っているかもしれないが、腐ってなければいいよな。いや、砂糖は腐るのか?まぁ、食べれそうだったら入れておくよ。腹を壊したらすまんな。さぁ、坊やホットミルクができたぞ。熱いから舌を火傷せんようにな。お前も猫舌だろう。気をつけろよ。バロニアは熱いの平気だよな。私は無理だ。舌の火傷はめんどくさい。ひりひり感が次の日になってもまだ続く。大変なもんだ。坊や、好きなはちみつをたんとかけておいたぞ。甘すぎるかもしれんが、どうか恨まないでくれよ。坊や、大きくなったらブラックコーヒーを飲め。間違ってもミルクや砂糖を入れるな。太るぞ。若い頃はいいかもしれんが歳を取ると脂肪が落ちないのなんのって。なに、ミルクや角砂糖の有無太るのとは無関係だと?はっ、知るもんか。私はブラックは太らないと信じているんだ。勝手に私の概念を変えないでおくれよ。でも、私はブラックコーヒーが好き好んで飲んでいるわけではないんだよ。信じておくれ。飲めるから飲んでいる。それだけだ。ミルクや砂糖の有無は太ゔっヴン。ゔん。まぁ、飲めるから飲んでいる。それだけだ。あとかっこいいだろう。ブラックって。かっこいい大人になれよ坊や。そうだ、お前今仕事何をやっているんだい。え、まだあそこの会社で勤めているのかい。え、しかも昇任した。わお、家族がいたからとはいいことを言うじゃないか。私はバロニアとの一件から一ヶ月後に辞職したよ。ズルズル引っ張ってたんだろうな。仕事への威勢が悪くなってしまったし、周りからは早く辞めてと言わんばかりの白い眼差しを向けられていた。私には耐えられなかったんだな。情けない。でも、あそこで辞めて、事業を立ち上げていなかったらこんな家には住めていないだろう。バロニア、君はやはりあのブランド洋服店に勤めているのかい。流石だね。バロニア、君はどんな男が見ても心惹かれるような美しい女性だった。高嶺の花だった。まさかそんなきれいな花が私の手を取ってくれるとはね。まぁ、三年後には別れたわけだけれども。二人ともそんなにいい仕事をしているのだったら、私の数倍の広さの家に住んでいるんじゃないか。坊やも普通の公立学校に通っているわけではないんだろう。見るからに一流階級の私立のお坊ちゃまだ。お、ホットミルクが飲み終わったようだね。おかわりはいるかい。いらないか。甘さはどうだった。そうか、少し甘かったか。坊や、食べ過ぎは太るから危ないぞ。気をつけろ。あれ、おかしいな。コーヒーを飲んだのに眠くなってきたぞ。カフェインが効いていないのか歳のせいか。どっちにしろ私は寝たい。最後にバロニア、君は四十年たった今でも高嶺の花だ。いつまでも輝き続けていておくれ。あと、お前は家族を大事にな。坊やには冒険をさせろ。私みたいに未練を残さないようにさせるんだぞ。さて、眠ろう。おやすみ。




 老人は前のソファに横になった。数分後には眠りについた。愛しのバロニアとこうなるはずだった未来、しかしならなかった。ソファの前の壁には金色の枠が一つの作品の題名を囲っている。若い男と美女、二人の子供であろう少年。彼は美女を、バロニアを生涯愛し続けるだろう。




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絵談 桜 仁 @sakurazin

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